祈りの姿
―紀伊国神々の考古学B―
菅原正明著
■本書の構成
T 神仏の世界
神の出現/仏の出現/仏の姿/神仏の宇宙/神仏の役割/宗教儀礼/命のゆらぎ
U 浄土へのあくがれ
末法到来/弥勒の救い/阿弥陀浄土への希求/阿弥陀仏の流転/祈りの空間/阿弥陀如来の誓願
V 祈りの回廊
―高野山―
高野山の草創/高野浄土/高野山町石道/
高野山奥之院出土の蔵骨器と経筒
―熊 野―
熊野修験/熊野三山/熊野三山の社殿/熊野三山の礼殿/熊野新宮(速玉)大社の礼殿跡の発掘調査/御正体/熊野参詣/熊野御幸/熊野聖/熊野経塚/聖地巡礼/熊野三山の神道化/祈りの回廊


紀伊国神々の考古学 全三巻
祈りの造形―紀伊国神々の考古学@―

久遠の祈り―紀伊国神々の考古学A―


ISBN4-7924-0508-4 (2004.12) A5 判 上製本 258頁 本体3800円
『紀伊国神々の考古学』全三巻を書き終えて
妹背山護持顕彰会顧問 菅原正明
 長い時間を費やしたが、やっと『紀伊国神々の考古学』をまとめることができた。本書には「考古学」のタイトルを付してはいるが、この内容は、紀伊国で生活してきた遠い祖先の生活の中にあった「祈り」を通して、ここで生きてきた人々の姿を浮彫にしようとするものである。
 紀伊半島の西側、南海の波洗う豊かな海岸と山深い森に包まれた木の国、紀伊国の遠い昔の人々の生活は「祈り」の中にあった。人々は、神を祀る社を造り、精進潔斎して、酒や神饌を供え、神の託宣を聞き、また仏像を安置するための寺院を建立し、荘厳し、花を献じ、供物を供え、灯明を燈し、香を焚き、祈願してきた。さらに供養塔を立て、また墓標を造立し、この世とあの世の寄る辺としてきた。人々の思いが祈りの造形として残されてきた。人々の暮らしの中で底深く息づいていたのは、見える仏の世界と見えない神の世界が一体となった生き方であった。仏にすがり、神に誓い、現世利益を祈願し、祖先を供養し、来世の往生を希求してきた人々の思いが残された。この歴史のうねりの中で、神仏自体も様々な対応をしてきた。そこにあるのは人々の多様な生き様に対する救済の手だても数限りなくあったことを示している。祈りの形が祈りの姿となり、そこに両手を合わせる人たちの姿が浮かんでくる。人々は祈りを込めて多様な仏像・建造物・石造物などを造ってきた。これらの一部は時の移ろいの中で何度も修理がくりかえされ、今日まで護り伝えられてきたが、しかしその大半は既に崩壊し消滅している。この中でも紀伊国の祈りが異彩を放つのは、日本文化の基層をなしている信仰の聖地―北の高嶺の地高野山、南端の果無山脈の奥の熊野三山が古代から現在に至るまで絶えることなく人々を惹きつけていることである。しかし、かつて多くの人々が難行苦行の旅路の果てに聖地にたどり着き、神仏に出会い感涙に咽んだ熱き思いは、今では遠い昔の出来事として忘れ去られ、古道としてその名残を留めているのみである。
 私は、これまで十数年間にわたり紀伊国に残されてきた数多くの文化財の調査を行ってきたが、その一つ一つに、歴史の中に埋もれた名も無き人々の祈りの姿が刻まれていることに目をみはったのである。これらの調査により明らかになったのは、神仏に裏打ちされた底知れず深い紀伊国の文化の彩りの豊かさであり、またそれは人々の苦悩でもあった。併せ、近代化の中で希薄化していく祈りの姿でもあった。祈りはもともと生命の中に含まれていたのではなかろうか。これまで、遠い昔から人々は神仏に祈りを託した人生を送ってきたが、今では、現代文明の名の下に祈りが遠ざけられ、すべてが物として分析され、解釈され、多くの人々の心からなにものかを畏れる慎み深い生命が失われていった。この祈りの造形が今や観光・鑑賞の対象となり、何かが失われていった。また、生かされて生きることへの祈り自体が失われていった。
 今回、紀伊国における文化財の調査を通して、人々が育んできた祈りの生活に思いを馳せ、物言わぬ文化財が語りかける話を『紀伊国神々の考古学』と題して三冊に分けて書き留めてきた。第一巻「祈りの造形」において、祈りの歴史的風景を概観し、次いで文化財建造物の保存修理工事に伴う発掘調査の成果を素材にして祈りの造形について述べた。そして第二巻「久遠の祈り」において、石造物群の調査を中心に、石の中に刻み込まれた久遠の祈りの造形を明らかにし、併せ、中世根来寺の寺院経済について、その特質を示してきた。そして、最後の第三巻「祈りの姿」において、人々を祈りに駆りたててきた背景をなす神仏の世界を概観し、浄土へのあくがれを素描し、併せ高野山・熊野三山をめぐる祈りの回廊に光を当て、神仏の求心力とその潮流の行く末を探った。
 今ここで、これまでの紀伊国の調査研究を振り返ってみて、幾重にも重なる紀伊国の歴史の深さ、豊かさに改めて驚かされる。そればかりではなく、なお深く歴史の底に紀伊国の人々の祈りに込めた生き方が、光も当てられずに鎮まっているような気がする。いつの日にかもっと深みのある紀伊国の遠い祖先の多様な暮しについての話ができればと思っている。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。