大正デモクラシーの研究
重松正史著
素材は和歌山県内にしぼられているが、明治末から活発化する地域開発への欲求と「大衆社会」の形成に対応して、それらの主導権を握ろうとうごめく政党や名望家、伝統勢力と新興勢力の間で織り成される壮大な政治ドラマ。著者のつとに定評のある実証的研究により提示される、現在をも髣髴とさせる大衆民主主義の実態の画期的研究書。

ISBN4-7924-0524-6 (2002.8) A5 判 上製本 366頁 本体8800円
■本書の構成
序章
第一章 郊外開発論争と市政
市会の党派と支持基盤/置娼論争/和歌浦開発論争/隠れた主題=地価/大阪と和歌山
第二章 都市下層社会をめぐる状況−一九二〇年代の和歌山市−
国民党系統の政治家とその基盤/国粋会/民政党代議士とその基盤
第三章 紀南開発と県政−電源開発をめぐる地域の政治的状況−
県会勢力分野の変遷/県会における「海草閥」の位置/電気・電鉄会社の争覇戦/電気会社の進出にまつわる政治問題/日高郡・東牟婁郡対策としての道路建設/紀勢線の延長と路線問題/紀南政界と「海草閥」
第四章 和歌山築港論と県政・市政
築港問題の概要、位置と財源/和歌山市会の各党派と築港問題/築港と鉄道/一九二七・二八年の状況
第五章 青年党と活動家
和歌山立憲青年党/社会主義者・瀧上巨志/活動の展開、電灯料値下げ運動と築港運動/「無産党員」岡崎昇(峡雨)
第六章 政治運動と部落
代議士と部落/和歌山県会と部落問題/集票の実体/市町村会への進出/政治的進出の意義
第七章 和歌山県同和会の活動
和歌山県同和会の組織化の担い手/和歌山県同和会の特徴/運動の行き詰まりと打開策/昭和恐慌期の運動
終章

大正デモクラシー論の新たな展開
花園大学名誉教授 服部 敬
 本書は、大正デモクラシー期における大衆社会の形成を実証的に解明しようとするものである。著者は、その過程を多角的・総合的に検証するために、地域史研究の手法を採用する。具体的には、和歌山県会・和歌山市会の動向を中心とする地域政治状況を国政や大阪の大資本との関係も視野に入れつつ、具体的に分析することである。
 公娼設置・和歌浦開発・電気事業・鉄道建設・道路建設・築港等の諸問題、普通選挙・電灯料値下げ・国粋会・立憲青年党・水平社・同和会といった運動や運動体と政党・政治家の支持基盤との具体的な関係が、纏れた糸を解きほぐすように、丁寧に細かく分析される。地域の政治に活躍し、やがて泡沫の如く姿を消す地方政治家の矛盾に満ちた経歴や言動を、裏面史やこぼれ話に堕することなく追求していく手法は、著者ならではの感がする。
 このような方法によって、都市名望家を基盤とする政友会に代わって進出する地方政治家の基盤は、労働者・被差別民などを含む中流以下の階層であり、その支持を取り付ける役割を果たすのが、水平社・国粋会の構成員や米騒動の被検挙者であったことが明らかにされる。国粋会員は、地元の顔役であり興行界・遊郭・土建・運送・湯屋などを職業にするものが多く、大衆動員の役割を担ったが、米相場などの投機界、紡織・化学などの工業界とも深い関わりを持っており、地方政治家もまた紡績・化学工業の支援を受けていた。
 著者の緻密な実証的研究は、夙に定評のある所である。その実証によって描き出される政治状況は、従来の大正デモクラシー論とは随分異なっている。和歌山立憲青年党と電灯料値下げ運動、水平社と国粋会、水平社と同和会の関係などにっいても同様である。著者の主張は、どちらかと言えば控えめであるが、緻密な実証に裏付けられているだけに重いものがある。本書の刊行によって、大正デモクラシー論は新たな展開をみせるに違いない。
地域史研究の金字塔
京都大学大学院法学研究科教授 伊藤之雄
 重松正史氏は、愛知県や岐阜県の一八九〇年代の地域史研究で、重厚な成果を挙げた後、和歌山県に居を移されたのを機に、和歌山県にフィールドを拡大し、その地域政治史研究に新風を吹き込むとともに、旗手的存在となられた。本書は、膨大な史料調査と、十分な史料吟味の上に、明治末から昭和初期の和歌山市と和歌山県の地域政治を描いた論文を、再構成したものである。
 本書は、地域の断面を描いた論文を集めたものではない。ここには、明治末から活発化する地域開発への欲求と「大衆社会」の形成に対応して、それらの主導権を握ろうとうごめく政党や名望家、伝統勢力と新興勢力の間で織り成す、壮大な政治ドラマがある。著者の視点は、和歌山市域の変化から、電源開発・鉄道建設などをめぐる和歌山県政の変化にまで及ぶ。都市部と農村部の地域格差も含め、大正デモクラシーの時代の和歌山県の地域政治の動態を生き生きと描いている。
 また、著者は、政治勢力の背後にある企業の利害にまで分析を進め、その関連で大阪とのつながりまで視野に入れるというユニークな視角を提起している。同様の関連で、それは、和歌山県政の大立者であった岡崎邦輔と大阪財界の重鎮の中橋徳五郎という、政友会の有力幹部同士の対立にも広がる。本書は、「庶民」や「大衆」への温かい視点で描かれているが、被差別部落の運動も含めた「大衆社会」を推進する大正デモクラシー勢力と、国粋会や政治「ゴロ」との結びっきも見逃さない。これは、本書が大衆民主主義の状況への批判的な視点も踏まえた、今日的センスに裏付けられたものであることを示している。
 本書は、地域政治史の古典となるような気がする。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。