歴史表象としての東アジア
−歴史研究と歴史教育との対話−
浅倉有子・上越教育大学東アジア研究会編
上越教育大学を会場として開催された国際シンポジウム「東アジア地域における新しい歴史表象をめざして−歴史研究と歴史教育との対話−」における報告と討論をもとに構成。歴史学研究と歴史教育の新たな展開を示す。


編者の関連書籍
浅倉有子著・北方史と近世社会

ISBN4-7924-0528-9 (2002.12) A5 判 上製本 360頁 本体9500円
■本書の構成
第1部 歴史と資料・歴史と言説
ノヴォシビールスクの中世研究者グループによるロシア史研究への貢献 ニコライ・N.ボロフスキイ/歴史と文学−韓日関係史が残したもの− 崔 官/「ふるさと」と民俗学 真野俊和/自然環境変動と人類の歴史 山縣耕太郎
第2部 地域と国家
中国遼寧・東北地区における地方史研究及び地方史教育の若干の問題−地方史特有の社会的効能を兼論− 崔 粲/望みなき周辺か、それとも未来のエルドラドか?−極東の歴史家たちの立場から見た一体的な地域史のなかの北東アジア− ヴィクトル・L.ラーリン/9世紀の新羅と日本の関係 金 恩淑/ロシアにおける日本人たち−現在のなかの過ぎ去りしこと− ゾーヤ・F.モルグーン/14世紀の内乱(南北朝内乱)における国家(中央)と地域 市沢 哲/地域と国家−幻想としての国民国家− 河西英通
第3部 宗教・文化・民衆
満州に住んだロシア人旧教徒 中村喜和/協同労働慣行と芸能−その伝統的様式の解体と再編成のプロセス− 朴 銓烈/「民族」を消し去る「国民」 イ・ヨンスク/「文明」の秩序とミッション−イングランド長老教会と19世紀のブリテン・中国・日本− 駒込 武/田辺尚雄と「東洋音楽」の概念 植村幸生
第4部 歴史教育と歴史認識
共生・共栄の未来史のために−韓国の歴史認識と歴史教育の新しい地平線− 李 元淳/中国歴史教育における外国史観 于 友西/アメリカにおける東アジア研究と教育 余 志森/自国史と世界史との統一的把握と新たな歴史認識のあり方を求めて 二谷貞夫
第5部 討論の記録、成果と課題
討論の記録(抄) 浅倉有子/地域からはじまる多元的な歴史表象をめぐる対話の可能性 下里俊行/歴史表象としての東アジア 浅倉有子
21世紀の東アジア地域史研究に向けて
盛岡大学学長 加藤 章
 『歴史表象としての東アジア』という大胆なしかも魅力的なタイトルをもつ本書は、21世紀を迎えた東アジアの人々や国々にとって、何か明るいシンパシーを感じさせます。
 たしかに本書の母胎となった国際シンポジウムは20世紀末の90年前後から急速に関心のたかまってきた日本・韓国・中国・ロシアの共同研究−それは「環日本海文化」研究や歴史教科書をめぐるシンポジウムなど、多様なスタイルをとっていましたが、ここではそれらをさらに深めるような形で4ヶ国の研究者が報告しています。サブタイトル「歴史研究と歴史教育との対話」が物語るように、20世紀後半に生起した東アジア地域での多様な歴史的研究と歴史認識の育成についての各氏の報告論文が4部に分類されて収められています。それぞれが独立したユニークなテーマをもって述べられていますが、その内容には東アジア地域の中での関係史、たとえば韓日関係史が生んだ文学作品中の登場人物分析、また日本古代史でも弱点の一つであった9世紀の新羅商人と日本の密接な関係などの新視点、またロシア・中国で進む、最近の精密な地域研究動向の紹介、さらには日本側研究者のこれまでのオーソドックスな見解を打ち破るような環境史、民俗学、国家論、文明論からの新知見など、きわめて刺激的な論文が並んでいます。第4部は「歴史教育と歴史認識」のもとに日・中・韓の21世紀への新しい歴史教育論が競いあっています。
本書は350頁の大著ですが、個々の論文を狙って読む方法のほかに、第5部「討論の記録と成果」におさめられた研究代表者浅倉有子・下里俊行両氏の心のこもったコメント、特に「地域からはじまる多元的な歴史表象をめぐる対話の可能性」(下里氏)から読み始めるのも一方法でしょう。「歴史表象」「対話」などキーワードの解説、19名の発表を正確に受け止めたポイントの指摘と今後の論点が示されており、問題意識を明確にしてから各論にチャレンジするのも効果的な「歴史表象」に近づく方法かも知れません。
 本書を通じて強く印象に残る文として、日本の植民地政策にふれたイ・ヨンスク氏が「日本人の中には他者は存在しない」「朝鮮に行こうが、満州に行こうが、そこは常に『日本』の延長でしかなかった」という近代日本に特有のイデオロギーを指摘しています。未だに一部に残る日本中心主義的「東アジア観」には頂門の一針といえましょう。21世紀の東アジア地域史研究を指向する人には必読の書として推薦します。
東アジアという新しい歴史主体
京都大学東南アジア研究センター教授 濱下武志
 これまで歴史は誰が必要としてきたであろうか。様々な意味でそれは国家であった、と言うことができる。近代国家は歴史主体を自らのもとに置くことによって、自らの位置を正当化するという課題を担ってきた。別の言葉で表現するならば、国家によって認定された歴史が唯一の歴史であった。
 しかし、このような国家を中心とした歴史像や歴史認識が現在大きく変わろうとしている。その理由の第1は、情報文化をはじめとして、世界化・地球化の動きが加速し、その中で国家を超えた動きが日常的になってきたことである。また第2には、従来国家のもとにあった地域や地方がこの地球規模の情報ネットワークを利用して、自らの「地方」を地球規模で発信するという動きもみられる。いわばこれまで国家の下に置かれ、また国家の連合によって維持されてきたとされる地方や、さらに地域世界が様々に新しい結びつきを現出させていると言えよう。
 他方、経済や社会、文化の相互影響は極めて速いスピードで世界化・地球化しているが、政治については、むしろナショナリズムの動きを強めようとしているという傾向も見られる。したがって現在、歴史を議論し、また今後を考えようとする時には、複合的な地域像を考えることが求められている。その意味で東アジアは一つの複合地域の表象として、その中で国家も含めた様々な歴史主体の動きが東アジアという地域に様々に跳ね返り、相互に影響しあっている。
 本書は、地球規模の動きが進みつつある中で、東アジアという地域をこれまでの日韓中の3国という捉え方のみではなく、シベリア・ロシアや北海道さらには地域と民族を重層的に捉え、社会や生活を見つめながら議論しようとしている。それらは、現在国際的に注目されつつあるグローバル・ヒストリー・スタディーズの動きの先がけをなす議論ともなっている。さらに、東アジアという時間と空間をその地域内部の歴史を考えるという目的においてのみならず、それを歴史教育という場で実現していこうとしている点も本書の特徴である。歴史表象と歴史教育の視野を相互に対話させながら、東アジアという新たな歴史主体を考えることによって、これまで見えてこなかった地域像、社会像、人間像が立ち現れ、また、それらがこれまでの国家の下にある単一の歴史に理解を、様々に異なる角度から再検討する手がかりを与えるものと確信している。