上井久義著作集 全7巻
 刊行に当たって
 豊かな習俗を伝承してきた社会の構造は、高度経済成長を経て大きく変化した。かつての暮らしをたずねて村や町に出かけても、明治生まれの人から話を聞ける機会は稀である。上井久義氏は、日本が高度経済成長への助走を始めた昭和三〇年頃に民俗学を志し、以後半世紀にわたって民俗社会を確かな眼で見つめてきた一人である。
 このたび上井氏の長年にわたる研究の成果が著作集として刊行されることになった。それらを「民俗宗教の基調」「宮座儀礼と司祭者」「女性司祭と祭儀」「民俗社会の構成と葬墓」「農耕・物忌・祖先祭」「琉球の宗教と古代の親族」「民俗学への誘い」の七巻に分類して収録している。上井氏の研究の魅力は、幅広い分野が研究の対象になっていることと、フィールドワークに加え、民俗に関わる多様な資料に注目して、それらを鋭い感性で分析していることである。そして短いエッセイから長編の論文まで、民俗に対する熱い思いが満ちている。
 今なお旺盛な好奇心を胸に積極的にフィールドワークに出かけて、柔軟な頭脳で新しい研究に取り組んでいる上井氏の民俗学を、この著作集を通して是非多くの方に知っていただきたい。

            森 隆男
 東條 寛
 黒田一充
 藤井裕之
 市川秀之


●第1巻 民俗宗教の基調●

第一部 民俗宗教の司祭者
 采女の源流 斎人 内侍 ヒナモリの伝承 かぐや姫の実像 女帝と斎王 忍海の卜部と女性司祭 葛城の女帝と古代豪族
第二部 伝統儀礼の伝承
 伊勢神宮の成立 多気大神宮と伊勢神話 春日と都祁山の道 八十嶋祭の成立 祇園会の成立と伝播 丹生祝と国造の浜降り 社地と聖地

●第2巻 宮座儀礼と司祭者●
第一部 祭祀形態の探求
 宮座の階層と儀礼―若狭の先祖と平 頭屋儀礼の諸相―南敦賀の諸儀礼 宮座と斎童―若狭倉見の頭屋儀礼 長子頭人制儀礼―名張のネンドコ 宮座儀礼の構成―若狭の弥美神社 頭屋のモンサン―伊賀地域の神祭 宮座の原初的形態
第二部 宮座儀礼の展開
 弓神事の源流 人形を焼くお祷祭 金刀比羅宮の宮座 湖北尾上のオコナイ 吹田市域の神祭 御田植と代掻き棒 年中行事絵巻と騎馬の童 共同体儀礼の経済的背景

●第3巻 女性司祭と祭儀●
第一部 古代の祭儀の伝承
 古代の祭儀 古代祭儀と神楽 神楽歌と細男舞 住吉の斎童と巫女 住吉の民俗儀礼 風祭と生贄
第二部 女性司祭の伝統
 女性司祭の伝統 上臈の巫女 生贄の説話 神宮采女と生贄の説話

●第4巻 民俗社会の構成と葬墓●
第一部 民俗社会の構成
 自治と均衡 多々良木の民俗 河内滝畑の伝承文化 横山谷南面利の村落構造
第二部 葬墓制
 葬儀礼の伝承 殯宮の民俗 中世村落と社・寺・堂 家と散墓制の形成 明日香村の他界儀礼・祖先まつり 菩提所と詣り墓

●第5巻 農耕・物忌・祖先祭●
第一部 祖先と祭祀
 オトゴ・カワタリ・オニモチ 『播磨国風土記』の民俗 祖先霊来訪の民俗儀礼
第二部 農耕の祭祀
 芋作と儀礼 籾・米に対する民俗信仰 畑作の儀礼 月の民俗信仰 神饌にみる食文化
第三部 物忌と祭祀
 民俗宗教 物忌の構造 来訪神の素顔 民俗神の象徴と新嘗祭 対馬の民俗宗教 大阪の祭礼

●第6巻 琉球の宗教と古代の親族●
第一部 琉球の民俗宗教
 聖所と親族 琉球の聖観念セヂとマブイ 先島の聖地と祭祀 御嶽の神役 琉球の王と神女 琉球の女帝 琉球の宗教と圓王妃
第二部 親族の構成
 系譜と権限 姻族の紐帯 姻族の紐帯と戸籍 秦氏と鴨氏の連繋 桂と烏と斎王と 古代の親族名称

●第7巻 民俗学への誘い●
民俗を歩く まつりで出合う 暮らしの民俗 地域の民俗

揃本体39.800円
日本学に寄与する上井著作集
京都文教短期大学学長 伊藤唯真
 このたび、日本古代史と民俗学の泰斗、上井久義先生の主要論文約八十篇を類別、集大成した著作集が刊行されることになった。先生の業績の全容を知りたいと望む後進にとっては願ってもないことであるし、学界にとってもなによりの朗報である。
 日ごろ、先生は史学と民俗学との親縁関係を強調され、二つの学問の間にある壁を取り払い、むしろ両者を統合させてこそ、日本文化の基層的な民俗宗教は明かしえられるとの立場を明示しておられた。
 この学問の方法論的な反省の下に、史学と民俗学の等位に基づいて、早くから宗教文化の解明に当ってこられたおひとりが上井先生であった。かりに私なりに先生の思いを忖度すれば、「歴史を視て民俗を識り、民俗を探って歴史に編む」ということになろうか。このような先生の思念がこの著作集の随所に、また所論の展開を通して顕われている。
 先生の主要な研究対象は民俗宗教にあるが、その課題は祖先祭祀、葬墓制、宮座、司祭者、地域社会の信仰、生業にかかる祭儀などと広汎多岐にわたっている。著作集での諸論題が示す通りである。民俗宗教を考える場合、三つの領域、すなわち聖地、司祭者、祭祀儀礼があると教示されるが、三者のうち、早くから解明に努められたのは女性の司祭者であった。長い歴史のなかの、さまざまな祭祀の場で、女性が主軸となる祭祀儀礼を文献史料と民俗資料とを駆使、論証して考究されている。女性宗教者論の展開は、まさに上井先生の独場である。第一巻第一部、第三巻などに収められているこの方面の諸論考は、女性史研究上の重要な文献となろう。
 本著作集は歴史、民俗、民族、宗教、社会など諸学の基本図書として高く評価されよう。また、ここに収載された諸研究が、日本学の構築に貢献することは間違いないところである。
民俗宗教の基層を問う
國學院大學文学部教授 野村純一
 上井久義氏の学問は、始終一貫して民俗宗教の基層を問うて来たのではなかろうか。私はいつもそのように読んでいた。その意味で、今回『著作集』七巻が上梓されるのは、氏の学問、研究の方法と理念、そして何よりもその思想を理解する上で、まことに有益であると思われる。殊に昨今、読書量退潮傾向の著しい若い世代に向けては、大いに推挙したい。
 理由はいくつかあるが、第一は上井氏の守備範囲の広さである。多くの文献資料を駆使され、一方、民俗誌にもすこぶる詳しい。加えてフィールド調査にもとづく具体的検証には余人の及ばぬ場面がある。氏のこの方法は、実は早くに柳田國男の確実に領導するところであった。ただ上井氏の「民俗社会の構成と葬墓」や「親族の構成」にかかわる諸論考は、民俗学というよりも、むしろ文化人類学、あるいは社会学の色合いが濃い。柳田以降の学際的研究を端的に示していると評せよう。上井久義氏の学問の特色である。
 改めてそれを思えば、本『著作集』の中でも、今後論議の焦点になるのは、おそらくは第六巻第一部「琉球の民俗宗教」の章ではなかろうか。「先島の聖地と祭祀」をはじめ、琉球における「御嶽」、つまり「聖所」とそれへの「信仰」は、本土の神道の成立とはたしてどうかかわるのか、どうか。民俗宗教の基層、基底を常に視野に入れる氏の理念と思想は、ここに最も大きな課題を擁していると思われる。『著作集』の刊行を機会に、南島における神観念の問題はもう一度俎上にすべきではなかろうか。
民俗宗教の源流を映し出す一大パノラマ
帝塚山大学人文科学部教授 赤田光男
 このたび関西大学名誉教授上井久義氏の研究成果のほぼ全容を収めた著作集(全七巻)が刊行されることになった。大変よろこばしい。
 著作目録を見てもうかがえるように、上井氏の研究分野は多岐にわたる。主として(1)古代の司祭者(女・斎人・物忌・持衰・内侍・ヒナモリ・斎王など)とその役割、(2)古代の神社(伊勢・春日・出雲社など)の創祀経緯と古代祭儀、(3)女性司祭者の伝統、(4)古代の親族、(5)宮座の組織と神事、(6)葬墓制と祖先祭祀、(7)農耕儀礼、(8)沖縄の司祭者と祭祀、などがあげられる。これらの分野を文献史料や民俗資料、時には考古資料、中国の文献などを縦横に駆使して分析し、その古層を探る作業を永年続けてこられた。
 とりわけ古代の民俗宗教の世界を追究した多数の論考がある。神道でも仏教でもない民俗宗教の原質を丹念に考察し、卓越した成果をあげられたことは周知のとおりである。女の源流は、喪に服し、殯に参加して泣き、山陵の鎮魂にも関与し、また新嘗祭に参加する巫女の性格をもつとか、伊勢神宮の遷宮の際の正殿の心柱は、宮座の頭屋の家に設けられるオハケに相当するとか、近年発掘された出雲大社の三本の巨柱遺跡は四〇メートルほどの高殿があったことを示すとされるが、これは出雲国造家が海の彼方から来る神を迎え祀る施設であった、等々随所で注目すべき見解が示されている。
 古代のみならず、古代から現代におよぶ民俗宗教について、宮座、葬墓制、祖先祭祀などからも分析され、カミやホトケを日本人がいかに丁重に祭祀してきたか如実にうかがえる。江湖に推薦したい大作である
確かな歴史感覚で民俗学を深める
神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科教授 福田アジオ
 日本の民俗学は急速に歴史離れを起こしているように見える。歴史との関係を断ち切って、現在学としての民俗学を標榜する人たちが増えている。しかし、歴史的な蓄積があって民俗は存在するのであり、民俗学の研究にも重みが増すのである。歴史抜きの民俗学は、耳ざわりの良い語句をちりばめた軽薄な評論に陥りがちである。日本で民俗学を開拓した柳田国男は終始日本の歴史を明らかにする学問を目指していた。
 民俗学の学風を東西の地域差で見れば、東は歴史離れの傾向が強く、西は歴史へのこだわりを示す。上井久義氏はその西の学風を代表する研究者である。歴史とか時代を重視する民俗学研究者は少なくないが、その多くは、古代や中世を印象的に把握するだけで、現代の民俗を簡単に古代に結びつけてしまったり、あるいは逆に古代の文字資料の中に、民俗を発見しても、現代の民俗に関心を示さず、現代との関係を考えない。それに対して、上井氏の研究はいずれも古代や中世の文字資料を丹念に読み、民俗をそこから読み取るとともに、常に現代の民俗への関心を失わない。しかも地域に根ざした分析を行う。
 上井氏の研究を読むとき、いつも感じるのは歴史への確かな感覚が民俗の理解や分析に深みをもたらしているということである。そして、その幅広さである。古代への関心を示す民俗学研究者の多くは信仰や儀礼に関心を持つが、社会経済的な側面は無視する。ところが、上井氏の研究は、信仰や儀礼を担う社会組織をも常に視野に入れている。親族組織、村落組織、宮座あるいは司祭者の研究は、信仰や儀礼の理解を確実にし、描き出す歴史像を豊かなものにしている。
 全七巻に及ぶ上井久義氏の著作集は、民俗と歴史との関係を改めて確認する機会を作ってくれるであろう。そして、重厚な民俗学研究が再び学界の趨勢になる契機にもなるものと確信している
上井学の集大成
日本女子大学人間社会学部教授 福原敏男
 近年、歴史学や民俗学の分野においては著作集が出版されることは稀である。上井氏の業績の大部は、長年にわたる評価に曝されてもその価値は喪われていない。また、上井氏の多様多彩な業績は狭義の学問の枠を横断し、神話学、古代史学、民俗学、歌謡学、宗教史学など人文諸科学を自在に融通するものである。柳田学や折口学のように、「上井学」と表現するのが妥当であろう。
 一九六九年に上井輝代氏との共著で上梓された初論文集『日本民俗の源流』は、今もって新鮮な感動を与える。斎人、葬送、再生、共同体儀礼、残存の五章から構成された本書は、以降の研究の未来予想図をすでに示している名作である。例えば、近年、中近世史の研究者が宮座研究に邁進し、また女性史研究者が女性司祭の問題を取り上げる傾向にある。上井氏はこのような動向の先駆をなし、本著作の第二巻「宮座儀礼と司祭者」においては若狭地方を中心とする祭祀形態の実態と文献の調査、第三巻「女性司祭と祭儀」では古代の女性による祭儀の研究成果をまとめている。上井氏はこれまでの文献史学者とは異なる見解成果を提示してきた。西日本や南西諸島を中心とするフィールド・ワークや文献解読に裏打ちされるばかりでなく、オーセンティシティー(本質)の追求ともいうべき氏の学問姿勢には直感としか呼び得ない豊かな着想がある。鳥越憲三郎氏、横田健一氏より直伝された神話学・古代史学をここに垣間見ることができる。上井氏はまた多くの後進を輩出した。高取正男氏の死去以降、京都大学日本史出身者を中心とした文化史的民俗学派は座標軸を位置づけられなくなった。以降、上井スクールは、故五来重氏の薫陶を受けた宗教民俗研究グループ、田中久夫氏の御影史学派に拠る人々、植木行宣氏・山路興造氏の民俗芸能研究グループなどとともに関西の民俗学を支えている。
 柳田以降、東京の民俗学は基本的には一貫して文化人類学を志向してきた。現在でも若い研究者には社会学や人類学において流行の方法論の応用に人気がある。そのような研究動向とともに、いま一度、歴史研究としての民俗学に立ち戻ることも必要だ。そのためにもこの著作集に凝縮された上井学を今こそじっくり読むべきである。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。