仮名文書の国語学的研究
辛島美絵著
本書は、仮名文書の国語資料としての性格を明らかにし、国語史研究に活用しようとするものである。第一部では〈仮名文書の総体的把握〉として、『鎌倉遺文』所収の仮名文書の語彙調査を行い、他の文献資料と比較・検証しつつ語彙の性格の解明を目指す。第二部では〈仮名文書を資料とした国語史的研究の実践〉として国語史的に注目される諸例をめぐり、それら事象の国語史的位置づけを試みる。結果、貴重な事例が鎌倉時代の仮名文書言語中に多数存することを示し、新たな研究の指針を提示する。

ISBN4-7924-1376-6 (2003.10) A5 判 上製本 486頁 本体12,000円
●本書の構成
序 章 国語資料としての仮名文書研究について
第一節 古文書研究の歴史と意義
第二節 本書における方法

第一章 仮名文書の言語における〈実用的対話性〉について
第一節 「る・らる」の尊敬用法について
第二節 高頻度形容詞から見た仮名文書の〈実用的対話性〉

第二章 〈実用的対話性〉による口頭語の反映について
第一節 鎌倉時代のオ段長音の開合と四つ仮名の混乱例をめぐって
第二節 シシ語尾形容詞について
第三節 動詞活用の変化について
第四節 仮名文書に見られる口頭語的な語彙

第三章 実用文としての仮名文書言語の特色
第一節 仮名文書・古文書用語としての「明白なり」について
第二節 「ながし」の用法から見た仮名文書の表現の形成と伝統性
第三節 「つくしがたし」の用法から見た仮名文書の表現の形成と伝統性
第四節 高頻度形容詞から見た仮名文書の実用文としての特色
第五節 形容動詞語彙から見た仮名文書
第六節 助動詞から見た漢字書き文書との共通性

終 章 各仮名文書類の国語学的特色と今後の研究の方向

別 表
索 引


 

 著者の関連書籍
 辛島美絵著  古代の〈けしき〉の研究



新分野をきり拓く 辛島美絵氏『仮名文書の国語学的研究』
九州大学大学院人文科学研究院教授  迫野虔徳
 古文書の、とりわけ仮名文書の国語資料としての価値については、あらためて説くまでもない。多くの場合、原本がそのまま残っていること、作成年次が明らかなこと、差し出し者と宛所などの成立のいきさつを示す記事が原則として備わっていること、など、いわゆる一等資料としての資格をそなえており、ことばの資料として魅力的な資料群であることは誰の目にもあきらかである。しかし、これらの資料群から、時折、断片的に引例することはあっても、正面からこれに取り組もうとする研究はなかなか現れなかった。本書の著者辛島さんが指摘するように、資料の全容がつかみ難かったこと、各地に散在する資料の探索と閲覧が容易ではなかったことなど、たしかにこれまでは困難な事情が多かったと言えよう。しかし、近年『平安遺文』『鎌倉遺文』など一定の時期の文書を網羅する資料の刊行がなされ、また東大史料編纂所をはじめとして、原本の写真、影写本の公開閲覧等がすすめられたことなどもあって事情は一変した。この期をのがさず、古文書を真っ正面にすえたことばの研究に挑んだのが本書である。新たな分野をきり拓く画期的な研究と言ってよいであろう。
 本書は、『鎌倉遺文 古文書編』全四十二巻を直接の対象に、古文書仮名資料の言語資料としての性格を多方面から分析しようとする。鎌倉時代は、国語史研究の上で資料のひとつの谷間と言われるが、本書は、その欠を幾分かでも補おうとするつまみ食い的な研究をめざしたものではない。今日に伝来する文書が相当量のまとまりを持つ鎌倉時代の、文書全体の資料的性格を明らかにしようとした本格的な研究である。文体の影響を比較的受けにくいとされる形容詞語彙について、全数調査をこころみたものなどは、その姿勢が端的にあらわれたものである。
 その調査にあたって、必要と認めた場合には、可能な限り写真、影写本等で確かめて正確を期したところが本書の一つの特色をなしている。確かめたものについては、「写真」「影写」などと一々ことわってあり、このために、我々は本書で示された用例には安心してこれにつくことができるのである。
 文書は、差出人が受取人に向かって実生活上必要な情報を伝えるために作成されたもので、実際の対話の構造に類似したところがあるという。著者は、それを「実用的対話性」と呼び、ここに古文書のことばの一つの基本的性格を見ようとする。本質的に文語を基調とするものの、したがって、口語と思われる事象の反映がすくなくないという。音韻、語彙、語法の多方面にわたり、興味深い豊富な事例が全編に報告されている。なかでも、尊敬の「る」「らる」が受身から派生したものであることを説いた第一章第一節は、事実の説得性はもとよりであるが、差出人と受取人を基本構造にする古文書の資料性を明確に描き出してみせたものとして出色である。
 新たな研究の確かな胎動を感じさせるものとして、本書を広く推奨するものである。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。