中古文学攷
山本利達著
■本書の構成
T伊勢物語 語り手の言葉 今の翁 かたゐおきな
U源氏物語
〔発想〕 桐壷院の知 密通と罪 横川僧都の発想−この修法のほどにしるし見えずは 昔のかむざしの端を折る
〔語彙〕 おほけなき心 「人笑へ」と「人笑はれ」 家屋の「はし」 ほとけかみ
V枕草子 定子後宮の文化の記録 日記的章段の情報 いみじきぬすびと
W詠歌環境 大井川御幸和歌序−貫之の序 大蔵史生倉橋豊蔭 花びらに書く 雲のかよひぢ
X有 職 雷鳴壷 日の始まりは寅の刻説存疑


著者の関連書籍
山本利達著・紫式部日記攷



ISBN4-7924-1380-X (2003.10) A5 判 上製本 246頁 本体6400円
刊行のことば
滋賀大学名誉教授 山本利達
 大学へ入って、玉上琢弥先生の講義にひかれて、私は源氏物語に親しむようになった。自分で講義をするようになって、中古文学の作品を扱い、その関係で考察したことを論文とすることが多かった。紫式部日記と源氏物語に関する既発表のものを、それぞれ一書として、『紫式部日記攷』『源氏物語攷』を先に出した。
 今年度から講義から離れることとなり、『源氏物語攷』刊行以後発表の源氏物語に関するもの(未発表もの一篇)と、伊勢物語、枕草子、和歌および有職に関するものを、この度『中古文学攷』という一書にすることにした。内容の概要を目次の順に述べよう。
〔伊勢物語〕
 (一)伊勢物語の文章で後人注といわれているものを、成立の視点からでなく、物語の文章としての性格を考える。(二)四十段の「いまのおきなまさにしなむや」および、八十一段の「かたゐおきな」「いたじきのしたにはひありきて」の読み方を考える。
〔源氏物語(1)発想〕
 (一)源氏と藤壷との関係を桐壷院は知っていたのかどうかを追求。(二)密通と罪との関連がどのように扱われているかを本文に密着して考究。(三)浮舟の修法を依頼されて、「この修法のほどにしるし見えずは」と思ったという横川僧都はどう決意したのか。(四)絵合の折、朱雀院から絵を贈られた斎宮女御が、「昔のかむざしの端をいささか折」って返しをしたのはどんな心情からだったのか。
〔源氏物語(2)語意〕
 注釈書によって意味の異なる語(「おほけなき心」、「家屋の「はし」」)や、二語の意味が区別されずに解されている語(「人笑へ」と「人笑はれ」、「ほとけかみ」と「かみほとけ」)の意味を本文中における用いられ方から考察。
〔枕草子〕
 (一)書名の由来を考え、定子の後宮で、類聚の段の題目に当たる語を枕と呼び、互いに意見を出し合って楽しみ、それを記録することが作者の役目だったとの仮説を立て、日記的章段、随想の段が加えられ、枕草子は、定子後宮の文化の記録という位置づけに導く。(二)日記的章段の語る情報の価値について考察。(三)「草のいほりをたれかたづねん」と答えた清少納言が、なぜ「いみじきぬすびと」といわれたのか、本文の読み方を問題にする。
〔詠歌環境〕
 (一)貫之の「大井川御幸和歌序」から、和歌献上のさま、貫之の序の特性を考究。(二)『一条摂政御集』の物語部分の主人公大蔵史生倉橋豊蔭の命名と、藤原伊尹との関連を想定し、物語化の方法に迫る。(三)歌を花びらに書くということの実情の探究。(四)「雲のかよひぢ」を雲の往来する道とする説は、「かよひぢ」の用例から不適切だと思われる。
〔有職〕
 (一)襲芳舎がどうして「雷鳴壷」と呼ばれたのかを追求。(二)中古文では、日の始まりは丑の刻からと考えられていたと思われる例がかなりあり、寅の刻からとする説の有効性に疑問を提した。

 本書の内容は概略以上の如くである。いずれも、事と言について考えるよう心がけたものである。拙いながらも役に立てたらの思いがある。
※上記のデータはいずれも本書刊行時のものです。