経済小説の原点『日本永代蔵』
西鶴を楽しむA
谷脇理史著


『永代蔵』は教訓の書か?
早稲田大学文学部教授 谷脇理史
 『日本永代蔵』(以下『永代蔵』と略称)は、西鶴町人物の第一作、それ以前の文芸にはほとんどない町人たちの経済生活をまともに、しかも面白くとりあげた作品として、その評価は高い。が、西鶴町人物の中では、『世間胸算用』(以下『胸算用』と略称)が最高傑作、『永代蔵』はその下風に立っているかのように見なされがちのようである。なぜなのか?
 『永代蔵』は、「大福新長者教」を副題とし、作品の随所に教訓的な言辞をつらねている。そのためもあってか、『永代蔵』の場合はこれまで、致富への教訓書、金持ちになるための教えといった側面が強調され続けて来た。しかも、教訓などは文学の価値からすれば邪魔物と考える近代の文学観が支配的な中では、どうしても『胸算用』とくらべて旗色が悪かったのである。
 が、はたして『永代蔵』は致富への教訓書なのかどうか?
 確かにそのような形を備えてはいる。が、その教訓の内容(主張)は、家業への精励、始末(倹約)、健康維持を基調とし、その過程で知恵・才覚を働かせよと云っているに過ぎない。それは当時の町人にとっても、現代の我々にとっても常識、日常生活の中でも常に強調されていることである。従って西鶴は、その教訓(主張)をまともに説くだけでは、読者の興味を惹き、『永代蔵』を買ってもらうだけの面白さを生み出せないことになる。浮世草子は「慰み草」、読者を楽しませ、面白がらせねばならない。
 そこで西鶴はどうしたか。教訓(主張)を面白く適確な表現で具体化すること、その常識を突き破って成功、時に失敗する人間のありようをさまざまな側面から形象化すること、その二つの方向に『永代蔵』の力点を置いたのである。
 本書は、そのような点を中心に書かれている。教訓の内容などは二の次、その表現の方法と人間形象のありように重点を置き、その面白さをとらえ、『永代蔵』を楽しむための視点を提示することに努めている。それが成功しているか否か、どの程度の説得力や意味を持ちうるかは、読者諸氏の評価を待つ以外にないのだが…。




西鶴作品のおかしさ、面白さを追求する好評シリーズ
@谷脇理史著・『好色一代女』の面白さ・可笑しさ

B谷脇理史著・創作した手紙『万の文反古』

C広嶋進著・大晦日を笑う『世間胸算用』

別巻@谷脇理史著・『日本永代蔵』成立論談義

DE杉本好伸著・日本推理小説の源流『本朝桜陰比事』

別巻A谷脇理史・広嶋進編著 新視点による西鶴への誘い




ISBN4-7924-1382-6 (2004.3) 四六判 上製本 316頁 本体2800円
■本書の構成
一 『永代蔵』の名言
二 『永代蔵』のあらまし
三 吝嗇家藤市の変貌
四 一代目と二代目
五 二代目の諸相
六 富を得るきっかけ
七 世界の広がり
八 富める者と貧しき者
九 モデルの問題とカムフラージュ

『日本永代蔵』への確かな導きの手
甲子園大学人間文化学部助教授 中川すがね
 清文堂出版社から「西鶴を楽しむ」シリーズの第二弾として、谷脇理史先生の御著書、『経済小説の原点『日本永代蔵』』が発刊された。本書はこれまでの谷脇先生の井原西鶴研究の成果をふまえつつ、傑作『日本永代蔵』の魅力に迫る好著である。
 『日本永代蔵』は江戸時代前期、とりわけ十七世紀後半の高度成長から十八世紀の低成長へ移る過渡期の「ただ銀が銀をためる世の中」といわれた大坂の経済社会の様相を知る上で、必読の書である。私自身、江戸時代前期の大坂の金融業を研究するにあたって、『日本永代蔵』に出てくる両替屋や銭屋、大名貸商人についての記載は欠くことのできない「史料」として立ちはだかっている。また研究を離れて、文学として読んでも、これほど人間性や人間の運命について考えさせられ、おもしろい読み物はそうはない。
 ただ作者の井原西鶴は一筋縄ではいかない大坂町人である。『日本永代蔵』には、いかに金持になるかという教訓書というありがちなとらえ方では理解できない、多くの謎があるのである。たとえば、谷脇先生も指摘されているように、『日本永代蔵』は元禄町人の常識や実感に依拠して書かれながら、実際には常識をはるかにつきぬけたところで商売に成功したり没落していった町人たちの事例が多く描かれている。その意味するところは何なのか。実在の商人に題材をとったモデル小説といわれているが、実話はどのように処理されて文学作品となったのか。またいかに金持になるかという大テーマのかたわらで、貧しく世をわたる人々や、中国と日本の商人の比較、農民や漁民のありかたなど、より広い世界のありようが描かれていることをいかに読んだらよいのか。そして『日本永代蔵』のおもしろさを支えている、井原西鶴の人物造型の手法とは、どのようなものか。
 『日本永代蔵』を真に理解し楽しむためには、丁寧にテキストをときほぐして、こうした疑問に答えてくれる本書は、最良の導きの書である。『日本永代蔵』を読んだことのある人にも、これから読みたいと思っている人にも、ぜひ本書をお薦めしたい。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。