住吉大社御文庫目録  全2冊
住吉大社編
享保8年に三都の書肆20人が発起し、各地の書林も賛同して創建されたのが「住吉御文庫」である。以来今日まで、紆余曲折はあったが書籍出版者が折りにふれて書籍の奉納を行ってきた。明治10年ころまでの書籍を「国書漢籍」それ以降昭和19年までの書籍を「洋装本」の2分冊として、蔵書目録を編纂し利用の便をはかる。

発売= 清文堂出版

発行所=大阪書林御文庫講(大阪市西区新町2-5-5 株式会社大阪屋 内)
      大阪出版協会(大阪市天王寺区大道4-3-25 株式会社新興出版社啓林館 内)
      (社)日本書籍出版協会 大阪支部(大阪市天王寺区上本町3-2-14 ひかりのくに株式会社 内)

ISBN4-7924-2399-6 (2003.5) B5 判 並製本 総500頁 揃本体26,000円
住吉御文庫とは (本書「序」――住吉大社宮司 真弓常忠氏記――より抜粋)
 享保八年(一七二二)九月、三都(大坂・京都・江戸)の書肆二十人が発起し、各地の書林(本屋)も賛同して創建されたのが「住吉御文庫」(白壁土蔵造り二階建、八坪四合六勺)である。同時に百五十一人から五百七十五部の書籍も奉納された。そのことは最初の『奉納書籍目録』によって判明するが、爾来、宝暦・明和・安永・天明・寛政・享和の各年に奉納がなされ、その都度奉納記も記されていて、宝暦二年(一七五二)、文政八年(一八二五)には『御文庫書籍目録』も作成された。
 当時の蔵書中には、『大永住吉社歌合』『奉納千首和歌』『奉納法楽百首』等の和歌の神としての崇敬を示すものをはじめ、天明の頃、枯死しかけた松の献木に添えて献詠された和歌・俳句を集めた『松苗集』十四巻も納められている。そのほか珍しい本としては奈良絵本『月かげ』や『文正草子』、又『八雲集』『讃岐典侍日記』、大塩平八郎(中斎)自ら奉納した『洗心洞剳記』、坂本龍馬に英語を教えたという土佐の川田白竜筆にかゝる漁夫万次郎の『漂巽紀略』の稿本もあり、写本・版本等貴重図書も少なくなく、大坂最古の図書館の充実ぶりが窺われる。
 明治以後、洋装本の奉納も相つぎ、和装本約一九、七〇〇冊、洋装本四、九〇〇冊(昭和十九年以前奉納)に及び、ここ十数年来整理を続行してきた。
初めて知り得た御文庫の全容と大阪書林の心意気
大阪女子大学名誉教授 片桐洋一
 昭和三十四年(一九五九)に、当時住吉大社から程近い所にあった大阪女子大学に勤めた私は、ごく自然に御文庫の本を拝見していた。
 二十歳代の終わりから三十歳代にかけて何度も閲覧に参上し、写真を撮らせていただいたものも多いが、私の怠惰のせいもあって、閲覧させていただきながら、それを論文等で問題にしたことは、ほとんどない。
 当時、私は袋綴の『住吉大社御文庫貴重図書目録』(昭和八年刊)をたよりにしていたのであるが、御文庫にはそれ以外にも数多くの蔵書があり、それが十分に整理されていないことは知っていた。しかし、御文庫の成り立ちが化政期から明治に至る大阪出版界の最盛期に出版元から献納された本が中心をなしていたことも知っていたから、どうせ版本が中心だろう、平安時代文学を研究している自分が深入りする必要もなかろうと思って怠けていたのであるが、今回刊行された『住吉大社御文庫目録』を見ると、写本も多く登録されている。しかも、鎌倉時代後期書写の『続後撰和歌集』は大阪の書林として有名な鹿田静七氏が奉納したものであり、十市遠忠自筆、三条西公条加点の『住吉法楽百首』は西尾播吉氏が奉納したものであるというように、宝物として所蔵して当然と言うべき写本を奉納している大阪人の心意気に驚き、自分の関心の狭さと気概のなさを恥ずかしく思った次第である。
 この『目録』の刊行によって、我々は初めて御文庫の全容を知り得たのであるが、同時に、江戸時代から続く住吉大社御文庫講の方々の心意気をも感動的に知り得たのである。
 併せて言えば、歴史的大事業と言うべき今回の目録作成の関係者各位の心意気にも、多くの人々とともに、感動の拍手を捧げたいと思うのである。
神も嘉納の雄編
前大阪府文化財保護審議委員 水田紀久
 昭和が平成と改まって十有五年、やっとのこと住吉大社の御文庫を悉皆総ざらえした目録二冊が世に出た。収蔵書、国書・漢籍および洋装本のすべてにわたる哀然たる雄編である。申すまでもなく、当「御文庫」は学芸の神様のふみぐらで、創建は享保の昔にさかのぼり、かの大坂学問所懐徳堂のそれと、ほゞ相並ぶ。三都の典籍関係者は、編著者も筆者も書林も、ひとしく斯業への神助加護を祈念し、報恩感謝の誠を致すべく、特別仕立ての尤品を取り揃え、言霊の幸わう証しとして奉納寄進した。
 ご存じのように、住吉大社御文庫には七十年前より、当時府立中之島図書館司書上松寅三氏等の尽力で、大和綴和紙印刷の貴重書目録が備わり、わずかに利用者の渇をいやし続けてきたが、このたびはその中之島図書館に多年職を奉じた古典籍の専家で、就中近世大坂の出版事情に精通した多治比郁夫氏を中心に、実地体験豊かな専門職の図書館人が一致協力し、末永く内外の要望に応え得る見事な成果を実らせた。神も必ずや見そなわすと信ずる。
 想い起こせば、生涯この墨之江の地にお住まいだった大壺石濱純太郎先生は、奥州二本松の儒者上田復軒の『殷易索考』刊本が、ここ住吉大社御文庫にも在ることを仰せられ、周易の遡源による殷易の探究が、ひとり易学のみならず思想万般の研究法に通じる旨力説され、ほゞ復軒と並世のわが富永仲基の加上説にも関説されたことがある。
 わたくしが御文庫の神恩を蒙ったのは、昭和三十八年夏、混沌詩社の曽谷学川自筆『曼陀羅稿』を、御紹介頂いた奥野茂寿氏より祭館で閲覧、撮影を許された時からで、その頃わたくしたちは、今回の目録編集に携わった方々と、昭和の混沌会を結んだばかりであった。
 わたくしは、今般の総合的調査整理のお仕事にも懇ろにお誘い頂いたが、非専門、非力のゆえに、わずか驢眼の届く範囲でのお手伝いにとどめ、罪亡ぼしに代えさせて頂いた。けれども、この新目録こそは恩頼無量、二拝二拍手、初物のおさがりを拝受慶祝するものは、ひとり老いたるわたくしのみであろうか。