都市と故郷のフィクション
―知の対流U―
芝原宏治 スティーヴン・ドッド 山崎弘行 高梨友宏 編 


本書の構成


第T部 いろ・おと・いのち

ふるさとの色を考える ―魯迅の「故郷」を読みながら― 李 瑞芳・芝原宏治
日中の「紅白」 林 嵐娟・芝原宏治
都市に形成された音楽 ―ウィーンとシューベルトの『おやすみ』―  田島昭洋
色と音の共感覚 酒井英樹
梶井基次郎 逆境の克服 スティーヴン・ドッド筒井香代子抄訳

第U部 映画・演劇等

港町の映画 ―大阪とハンブルクを事例として― ミリアム・ローデ
上海と初期中国映画 ―一九二〇年代「モダン劇映画」に表されている魔都「上海」― 張 新民
人形芝居におけるフィクション性と現実性 ―人形を論じるクライストと近松― アンドレアス・レーゲルスベルガー
オペラ『スペードの女王』 ―華やかな都、貧しい都― 浅岡宣彦
映画で世直しを ―黒澤明の思想と映画― 都築政昭

第V部 夢・教養・人生

「一枚絵」が語る世界 ―グリム童話の一つの受容と展開― 國光圭子
日本美術に対するポーランド人の憧れ ―バロックから現代まで― エヴァ・カミンスキ/川手圭一訳
ブランケンブルクの『小説試論』 ―その教養小説的特徴と十八世紀小説理論の関連について― 北原寛子
啓蒙のユートピア小説における都市の表象 ―ティソ・ド・パトをめぐって(1)― 小西嘉幸
啓蒙のユートピア小説における都市の表象 ―ティソ・ド・パトをめぐって(2)― 鈴木田研二

第W部 虚構と現実

都市とメディア 高梨友宏
歌群の創造 ―齋藤茂吉「おひろ」の形成過程― 足立匡敏
カミング・アウト、身体的快楽、ゲイ・アイデンティティ ―テネシー・ウィリアムズの二つの小説を読む― 坂井 隆
言語の拡充という虚構 田原憲和
プロビンスの出身者であること イアン・リチャーズ/坂井 隆・竹下幸男訳

第X部 郷愁

帰れない土地 スティーヴン・ドッド
創造性と願望の変換 ―ノスタルジアの力を考察する― 芝原宏治
アイルランド文学における都市と郷愁 ―ジョージ・ムアの「郷愁」を中心に― 山崎弘行
ギリシア悲劇に見る「望郷」 ―エウリピデス『タウリケのイピゲネイア』考― 丹下和彦
    *     *     *
On Being a Provincial Ian Richards
Kajii Motojiro: The Conquest of Adversity Stephen Dodd




 シリーズ知の対流 全三巻
 編者 芝原宏治 スティーヴン・ドッド  フィクションに封印された社会の断面を読みとく  定価 本体3、800円+税
 T 都市のフィクション
  

 芝原宏治 林 嵐娟 梁 淑a  句読点は単なる補助符号ではない  今は、そこから人が読まれ、文化が読まれている  定価 本体4、800円+税
 V 日中韓英の句読法と言語表現




ISBN978-4-7924-0625-7 C3390 (2007.8) A5 判 上製本 420頁 本体4600円
『都市と故郷のフィクション』(シリーズ「知の対流」U)の刊行にあたって
芝 原 宏 治
スティーヴン・ドッド
山 崎 弘 行
高 梨 友 宏
 本シリーズの第一巻『都市のフィクション』の案内パンフレット(清文堂出版発行)の中で、同書編集者の芝原とドッドは次のように書いている。

フィクションが存在しない文化というものは考えられない。ドラマ(戯曲)が抜け落ちたイギリス文化や物語がなくなった日本文化を想像しようと思うだけで、私たちは名状しがたい不安に襲われる。ゲーテの足跡が消え失せたドイツ文化史を想像することができないのも、ワイマールの宰相であったゲーテ以上に、数々の名作を書き遺した人物としてのゲーテが、私たちの心の中に大きな位置を占めているからであろう。フィクションの比重は、それほどに大きいのである。本書第X部において語られる広い意味でのフィクションなら、なおさらそうであろう。文化に加えて都市文化というものを考えても、思うことは同じである。

四行目の「本書第X部において語られる」を「『都市のフィクション』第X部において語られた」に変えるなら、この文章は、そのまま、ここでも使うことが可能である。第一巻と同じように、本書第二巻も、また、大阪市立大学文学研究科のCOE研究課題「都市文化創造のための人文科学的研究」の一環として実施した国際シンポジウムから生まれたものだからである。
 本書のタイトルとして早い時期に考えたのは、「都市と故郷のフィクションと現実」である。その後、最後の三文字を削除したが、それは、くどいと感じたからにすぎない。「と現実」は常に私たちの思いの中にあった。一見したところ書名とは直接つながらないように映る論文も収録されているのは、このためである。
 「都市」と「故郷」は、いずれもメタファー的な意味を含んでいる。また、世界を一つの国と見、今ある国々のそれぞれを一つの都市と見たら、何が故郷と考えられるか、という発想も書名の背後にはある。したがって、第T部「いろ・おと・いのち」で語られている「ふるさと」も、第X部「郷愁」で取り上げられている「故郷」も、編集者としては、執筆者とはやや異なる目で読むことがあった。
 第U部「映画・演劇等」、第V部「夢・教養・人生」、第W部「虚構と現実」を含む五部から本巻は成っているが、この構成は固定的なものではない。観点を変えれば、また、別な分類が可能である。幾通りもの分類が可能である。大阪市立大学文学研究科・ハンブルク大学日本学科・ロンドン大学東洋アフリカ学院の学術交流関係がなかったら到底実現しなかったであろうプロジェクトの二番目の成果を、複数の方向から見ていただきたい。