大坂西町奉行 新見正路日記
清文堂史料叢書第119刊
藪田 貫編著


解説と図を添え、大坂町奉行の世界を読み解く


■本書の構成

口絵  新見正路日記(東北大学附属図書館蔵)・大坂西町奉行所図(神戸市立博物館所蔵)・新見正路墓碑(東京都中野区上高田 願正寺)

本文  新見正路日記 文政十二年八月十五日〜天保二年九月二日

解題  大坂町奉行の世界…藪田 貫
(関西大学教授)
解説  大坂西町奉行所図について…藪田 貫
特別寄稿  発掘調査から見た大坂西町奉行所…佐久間貴士
(大阪樟蔭女子大学教授)
別添付図  大坂西町奉行所図




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ISBN978-4-7924-0697-4 C3021  (2010.1) A5判 上製本 538頁 本体10,000円
文人旗本新見正路の記録
東京大学文学部教授 藤田 覚
 私と本日記の記主である新見正路との出会いは、四〇年近くも前にさかのぼる。東北大学の大学院生であったころ、古色蒼然とした東北大学付属図書館の書庫で直接手にとってみたのが最初である。同図書館には、端正な細かな文字で記された膨大な小型の横帳が、狩野文庫新見家記録として所蔵されていた。当時の私がうけた印象は、江戸城中の儀式にかかわる事柄が、毎日毎日詳細に記されているだけの退屈な記録、というものでほとんど興味は湧かなかった。その後、江戸幕府を軸とした政治史の研究に足を踏み入れ、幕府の政治的意思決定の仕組みなどに興味を持ち始めたとき、かつて図書館でみかけた膨大な新見家記録が気になり、新見正路が御側御用取次を務めていた天保改革期の一年分だけを読んでみた。退屈な江戸城内外で行われた儀式の記事と記事のあいだに、将軍と老中、奉行らの行動ややり取りを示す記事が記されていて、江戸幕府政治の深奥である江戸城中奥の動きを読みとることができた。
 新見正路は、父正登についで目付に就任し、大坂町奉行を経て、後に一二代将軍となる徳川家慶の側衆、そして御側御用取次に就任して天保改革政治の一翼を担った。正路のあと新見家を継いだのは、日米通商条約批准書交換のためアメリカ派遣正使となって有名な新見正興である。この新見家は、正登−正路−正興、と代々にわたり詳細な職務上の記録を残している家である。新見家記録は、旗本家の史料が乏しいなか、とくに目付や御用取次など幕政史研究にとって貴重な記録を、しかも大量に遺してくれた希有な史料群である。
 新見正路は、幕府役人であるとともに蔵書家として知られる。賜廬文庫の主であり、その家臣松岡肇とともに古器物や古書画の収集家として著名である。能吏であるとともに文人として、幅広く文人社会との親交をもっていた。日記を読む上で、前提におくべきである。
 大坂町奉行所は、一八世紀初め以来、大坂が全国経済にもった位置を背景にして、幕府の全国支配の上でもっとも重要な遠国役所として位置づけられた。古くから町触などが収集・刊行されてきたし、近年では大坂町奉行所関係の史料も活字化され、大坂町奉行所それ自体の研究が発展してきた。そのような研究状況のなか、奉行所のトップである大坂町奉行自身が記した日記、しかも端正な文字により几帳面に記述された記録が、藪田貫氏のご努力により用意周到な解説や図を付して刊行され、容易に読むことが出来るようになった。本書の刊行により、大坂町奉行所の研究のみならず、江戸幕府の上方支配と行政、天保初期の大坂都市社会の研究が一段と発展することが予感される。

 
奉行の目を通して見た一九世紀前半の大坂  −「新見日記」が持つ多様な可能性−
大阪市立大学法学研究科教授 安竹貴彦
 大阪では天保山築造の契機となった河川大浚渫でその名を知られる新見の人となりを、藤田東湖はのちに「見聞偶筆」の中で「君子の人」「無我の人」と記し称賛した。また新見は同時に実に几帳面な記録家でもあり、たとえば「続徳川実紀」中の家斉の治世記事・逸話の多くは彼に負うところ大である。そのような新見の大坂町奉行着任から離任までの二年余にわたる公私の日記が今回、藪田氏の尽力によりわれわれの共有財産となることを、近世大坂を研究対象とする者のひとりとして率直によろこびたい。
 日記は自身の感想や評を排し、各種の業務や事件あるいは日々の出来事を、簡潔かつ客観的に記述しようとする姿勢に貫かれているが、それゆえに新見が町奉行という立場から見た一九世紀前半の大坂の奉行所、城、代官所あるいは町とその周辺部などの状況が、そこに勤め暮らす人々の姿とともに鮮やかに描き出されている。また、御用日記からは与力内山彦次郎の重用や東町の大塩平八郎との関係が、私日記からは中井七郎・塙次郎・大塩といった学者たちや歌人磯丸らとの交流などがうかがわれるのも興味深い。
 勿論、日記から得られる貴重で新たな知見も枚挙に暇がない。ほんの数例のみを掲げるならば、御用日における膨大な公事訴訟数はもとより、新見自身による吟味や内済勧告、重要事案に対する与力吟味への「陰聞」「透見」という形での直接・間接的関与の多さは、裁判における奉行の役割を再認識させ、また城代・堺奉行・目付などを対象に頻繁に行われる「公事聴(裁判傍聴)」の記事も、その意義や機能に再考を迫る。日々生じる犯罪・紛争への対処に関する多数の記事中には、起奉公人や家請小屋を巡る事例、火罪執行方法の江戸との統一など大坂ならではの事案も散見されるし、上述の大浚渫工事へと至る一連の過程についても、やはり数々の貴重な情報を提供してくれている。
 新見の二代後の大坂町奉行で、後に江戸の町奉行も経験した矢部定謙は、やはり藤田東湖に対し「町奉行を命ぜられ格・禄とも結構なれども十分に事を扱ふの面白さは大坂町奉行の時にしかず」と語ったとされるが、今回の新見日記の刊行は、これまた藪田氏により日の目を見た西町奉行所図や同氏による詳細な解題、さらには西町奉行所の発掘調査を担当した佐久間貴士氏の寄稿とも相俟って、それを見事にわれわれにも実感させてくれる。

 
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。