新発見 豊臣期大坂図屏風
関西大学なにわ大阪研究センター・高橋隆博 監修


オーストリアの古城で新発見された「豊臣期大坂図屏風」をカラー図版で紹介。屏風全体を撮影したパノラマページも収録。金と極彩色で活写された大坂城や大坂の街、そこに暮らす人々の姿が鮮やかに甦る。


本書の構成

■豊臣期の大坂 ■大坂城 ■淀川・八軒家 ■船場・上町
■天王寺・住吉・堺 ■京坂間の寺社と名所 ■人びとの暮らし
  
  オーストリアでの「豊臣期大坂図屏風」
  「豊臣期大坂図屏風」について
  オランダ東インド会社と日本金図屏風(イザベル・田中・ファン・ダーレン)
  海外に渡った日本の屏風
  極楽橋 その後―竹生島に安住の地



ISBN978-4-7924-0701-8 C0021 (2010.4・2016.4) 菊判変型(257×270ミリ) 並製本 91頁 カラー図版70余点、別に大判折込図有り 本体1900円

  オーストリアの古城から姿を現した豊臣時代の大坂

大阪城天守閣研究副主幹 北川 央

 豊臣秀吉の築いた大坂城の絵が、まさかヨーロッパの古城に眠っていようとは、いったい誰が予想できたであろうか。

 オーストリア第二の都市グラーツ郊外のエッゲンベルク城の壁面に大坂城を描いた屏風絵がはめこまれているとの衝撃的な情報は、二〇〇六年秋にドイツ・ケルン大学のフランチィスカ・エームケ教授によって関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センターにもたらされた。同大学の藪田貫教授からすぐに私にも連絡が入り、翌日にはエームケ教授が大阪城天守閣に私を訪ねて来られ、写真を拝見させていただいた。そこに描かれていたのはまさしく豊臣時代の大坂城で、以前私が小論で言及し、慶長元年(一五九六)〜同五年のわずかな期間しか存在しなかった廊下橋様式の華麗な極楽橋も、これまでのどの史料より詳細に描かれていた。

 屏風絵は豊臣時代の大坂城と城下町大坂の繁栄ぶりを描いたまことに稀有な絵画史料で、「豊臣期大坂図屏風」と名づけられ、早速なにわ・大阪文化遺産学研究センターの高橋隆博センター長、藪田教授のお二人を牽引役に、本格的な研究が始まった。本書で解説を執筆された内田吉哉氏は、高橋センター長の指導のもと、その研究で中心的な役割を担った新進気鋭の若手研究者である。二〇〇七年には、エッゲンベルク城を所管するシュタイアーマルク州立博物館ヨアネウム、そして我々大阪城天守閣との間で、同センターとの三年間の共同研究協定も締結された。

 本書はそうした成果も踏まえて刊行されるもので、屏風絵のさまざまな部分が鮮明な拡大図版で掲載されており、当時の上町・船場の街並みや人々の暮らし、さまざまな職業、芸能・祭礼の様子などがまざまざと甦ってくる。ただ眺めているだけでもずいぶん楽しい書であるが、それぞれの図版には適切な解説が付けられ、読者の理解を助けてくれる。簡潔で平易な文章には、共同研究の成果などが要領よくまとめられている。

 ところで、「豊臣期大坂図屏風」に描かれた大坂城には注目すべき内容がいくつもあり、我々を大いに驚かせてくれた。これまでの通説に強く再考を迫るもので、この屏風絵の発見が、大坂城の長い研究史の上でも、たいへん重要な画期となることは疑いない。本書の刊行によって、「豊臣期大坂図屏風」の詳細が学界の共有財産となり、未解明な部分が多い豊臣大坂城の構造や城下町に関する研究が大きく進展することを期待したい。

 また、「豊臣期大坂図屏風」自体にも、いろいろと謎が多い。いつ、誰が何の目的で作り、どういう経緯で、どのような経路を通ってオーストリアにまでたどりついたのか――本書ではイサベル・田中・ファン・ダーレン氏がひとつの可能性を示唆されているが、本書を手にする方々には、ぜひそちらの謎解きにも、ご参加いただきたいと思う。

 
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。