近世熊野の民衆と地域社会
笠原正夫著



本書は、三つの側面から熊野地域を取り上げる。第一は紀伊徳川家の統治であり、第二は林業・漁業などの経済活動であり、第三は人の交流や商品流通の広がりである。山深い山林に入って働き、荒海で漁稼ぎや船稼ぎをして生活する地域の姿から、「熊野信仰」をもとにした熊野とちがった熊野の歴史を描く。



■本書の構成

序 章

第一章 領国統治と熊野の地域性
 第一節 「口熊野」と「奥熊野」の成立
 第二節 元禄期の所領調査に見る熊野と伊勢
 第三節 宝暦十年の巡見使と熊野
 第四節 『紀伊続風土記』の編さんと熊野
 第五節 度会県の設置と紀伊牟婁郡の分割

第二章 生産・流通の発展と山村開発
 第一節 近世初期の森林資源の開発と熊野
 第二節 栖原角兵衛家の熊野炭販売と深川炭商人
 第三節 新宮領の木炭政策と山方農民
 第四節 熊野地方の御仕入方役所と山村 
―口熊野を中心として―

第三章 交流と地域社会の動向
 第一節 「熊野の縄文文化論」と近世の熊野
 第二節 熊野地方の木地師の生活
 第三節 近世の熊野三山と西国三十三所巡礼
 第四節 保養施設としての南紀の湯治場 
―湯崎・湯峯・川湯・龍神のにぎわい―
 第五節 大辺路の整備と二、三の問題

終 章

 
あとがき/索引



  著者の関連書籍
  笠原正夫著 紀州藩の政治と社会



ISBN978-4-7924-1029-2 C3021  (2015.3) A5判 上製本 352頁 本体8,800円

  近世熊野研究の新たな地平をひらく


和歌山大学経済学部教授 上村雅洋

 
 本書は、著者が、紀州をフィールドに研究を進めてこられた研究の成果であり、著者の『近世漁村の史的研究―紀州の漁村を素材として―』『紀州藩の政治と社会』に続く第三冊目の研究書である。
 熊野研究といえば、これまで「蟻の熊野詣」「熊野古道」「熊野三山」などに象徴される中世以来の長い伝統、熊野信仰といった視点からの研究として捉えられる場合が多かった。そうした熊野の側面を否定するものではないが、それだけで、果たして熊野を正しく捉えることができるのであろうか。そこには、熊野に育ち、熊野で生活する人々の営みがあったのではないか。そうした疑問から本書は出発している。とりわけ、近世の熊野を捉えようとしたとき、その土地、その地域に根ざして生活をしている人々や地域の実態を把握せずに、熊野を語ることはできないであろう。そこにこそ、熊野を多面的に正しく捉えることができる道があると判断された。
 著者は、これまで和歌山県下の自治体史に深く関わってこられた。とりわけ本宮町史、熊野川町史、古座川町史、大塔村史、田辺市史などの熊野地方の自治体史において、多くの地元に存在した史料を駆使して、熊野地方の歴史を明らかにしてこられた。本書も、そうした熊野の在地史料をふんだんに用いた研究となっており、これまでの近世熊野の実態を豊富な史料を基に解明してくれる。
 本書は、三つの側面から熊野地域を取り上げる。第一は統治であり、第二は経済活動であり、第三は交流である。熊野の特性を解明しようとすれば、熊野はどのように支配・統治されていたのか、そこに住む人々はどのような経済活動をして生計を支えていたのか、そして熊野は孤立することなく、どのような地域との交流のなかで存在していたのか、熊野のもつさまざまな側面を明らかにする。
 こうした特徴をもつ本書は、まさに近世熊野の研究に新たな地平をひらくものということができよう。豊富な史料に裏付けられた本書は、これまでの熊野研究にも大きな一石を投じることになるであろう。紀州の歴史だけでなく、広く熊野に関心をもつ人々に対しても推奨したい書物である。



  地域史の視点から描いた熊野の近世史


東京大学史料編纂所教授 佐藤孝之

 
 私たちは熊野≠ニいう地域≠フ歴史について、どれほどの理解を持っているだろうか。熊野が、二〇〇四年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されたことは周知のことであるが、その名称からも窺えるように、信仰の場としての熊野を評価したものであり、これは広く共有されている熊野観といってよいだろう。
 熊野の歴史は古く、その研究も枚挙に遑ないが、それは主として熊野信仰に関わる面からの追究、すなわち熊野三山信仰史の研究が多くを占めている。そして、熊野は山岳修験の「聖地」であり、一方で「異郷」「辺境」という位置付けがなされた地域でもある。しかしながら、こうした熊野観は、畿内など外からの視点であり、熊野に住み、熊野で生活・生産に勤しんでいる人々の視点ではない。「山深い山林に入って働き、荒海で漁稼ぎや船稼ぎをして生活する地域」として熊野の歴史を捉える研究は極めて少ない、と本書の著者笠原正夫氏は指摘する。
 このような問題意識を基に、本書は地域史の視点から近世熊野の歴史を描いたものである。近世熊野の研究も多方面からなされているが、著者は「どちらかといえば、政策や制度などについてや熊野信仰に関する問題が多い」として、本書では「近世熊野の土地に根ざして生活している人々と地域社会の実態を熊野の特殊性と普遍性を念頭に置いて描くことに心がけた」という。本書の趣旨は、著者のこの言葉に尽きる。
 熊野は広大な紀伊山地のなかにあり、古くから材木の供給地となり、近世には木炭の一大生産地であった。本書において、材木や炭の生産・流通を通して、また水田の開発や木地師の生活といった面を含めて、山村地域熊野の諸問題を取り上げ解明した点は、熊野に限らず、わが国の山村史研究を豊かなものにしている。近世の熊野三山と西国三十三所巡礼の問題等についても論じているが、地域の側から捉えるという視点は変わらない。
 本書は、主として二〇〇〇年代に入ってから公表された論文、及び書きおろしによって構成されているが、著者と熊野の関わりは昭和四十年代に遡るという。長い間熊野に足を運び、地元の史料を博捜して纏められて本書は、まさに「熊野信仰を基にした熊野とは違った熊野の歴史」書として、熊野の歴史研究に画期をなす著書といえよう。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。