■明智一族 三宅家の史料
三宅家史料刊行会編



■本書の構成

一 書 状

明智光秀書状/細川ガラシャ消息/細川ガラシャの最期/細川忠興書状/細川忠隆書状/細川忠利書状案/三宅藤右衛門書状/細川宣紀書状/三宅探山書状/溝口孤雲書状/小笠原一学・田中典儀連署書状/有吉将監書状/操壽院書状/元書状 ほか総94点

二 知行宛行状・辞令

寺澤廣高知行目録/細川光尚知行宛行状/三宅藤兵衛知行所目録/細川宣紀知行宛行状/三宅藤右衛門辞令/細川家侍帳のなかの三宅家/吉浦兵右衛門覚書 ほか総53点

三 職務関係

吉浦郷右衛門覚書/細川中務少輔様御出の節の覚書/武具の覚/甲立物昇幕紋の絵図/江戸における薩摩軍の動向探索/大政奉還の控/三宅藤兵衛石灯籠建立の趣意書/旧臣の内禄高現手取り請け調べ/高橋家系図/明智光秀書状写/筒井順慶書状写 ほか総46点

四 家譜・系図・先祖付

三宅家系譜/三宅家系図/源姓三宅氏中興家伝/三宅伊兵衛先祖の覚/明智家系図 ほか総21点

解説 細川家臣三宅家の歴史と「三宅家文書」…………稲葉継陽

附録 三宅家系図/三宅家系図・家譜について/三宅家先祖法名録/三宅家略年表



■三宅家史料刊行会(五十音順)  稲葉継陽 川口恭子 松ア範子 松本寿三郎 三宅久美子




 本書の関連書籍
 松本寿三郎著  近世の領主支配と村落

 松ア範子著 近世城下町の運営と町人



 
◎おしらせ◎
 
『西日本新聞』2016年2月28日読書館・郷土の本コーナーに紹介されました。



ISBN978-4-7924-1043-8 C3321  (2015.11) A5判 上製本 口絵8頁・本文830頁 本体24,000円

  刊行にあたって


三宅久美子
 三宅家は、明智の血筋であると伝えられてきました。明智との繋がりを証明する重要な史料として、明智光秀書状や秀林院(細川ガラシャ)消息、細川光尚書状、系図等を特に大切に受け継いでいます。ところが現代に至っては、それらの書状を読み解くことは容易なことではなく、明智の血筋であることの確実な証しは、どこに書かれているのか。先祖は何を伝えていたのか。然るべき所での調査の必要性を感じ、その機会を願っていました。

 その後、熊本市の事業として古文書調査が行われていることを知り、熊本市史編纂室へ文書調査を依頼しました。この調査により専門知識のない私にも朧げながら全体を把握できたことは実に有難いことでした。古文書の解読には、熊本大学附属図書館特別研究員川口恭子先生、元熊本大学教授松本寿三郎先生、元熊本大学文学部永青文庫研究センター松ア範子先生にご尽力を仰ぎました。

 古文書が解読されたことにより、門外漢の私にもより深く読み解くことができました。例をあげますと「細川ガラシャ消息」では、書状の内容のみならずその背景、その後の展開までもが判明しました。また、「吉浦郷右衛門覚書」には本能寺の変から坂本城落城時の城内の様子が書かれています。吉浦一提は、郷右衛門(季行)の父にあたり、天草の乱の時分は、九歳で富岡城に籠城しています。その一提が、才津・広瀬の人々から聞いた当時の模様を記していますが、現在もこの墓所は、広瀬地区(天草市本渡町)の人々によって護られています。


 本書刊行に至るまでには、幾つもの有難いご縁がありました。その一つに、熊本大学文学部附属永青文庫研究センター稲葉継陽教授との出来事が挙げられます。「明智光秀書状」に光を当てていただき、「細川コレクション特集・織田信長展」に、この書状を出展することのお申し出がありました。光秀が細川藤孝ほかに宛てた書状ですが、いつの頃か三宅家に下賜され、ずっと保存してきたものです。

 「明智」については、明智家滅亡から四百三十年が過ぎた今でも議論が続いています。百六十年前の三宅家の先祖も自らの考証を書き遺していますが、この考証も議論の俎上に載せて頂き、真実の検証が進展することを願っていまいます。
(三宅家史料刊行会を代表して

  島原・天草一揆と近世武家の軌跡をめぐる一級史料


熊本大学名誉教授 吉村豊雄
 寛永十四年(一六三七)の島原・天草一揆(島原・天草の乱、島原の乱)において、天草で合流した天草と島原の一揆勢が、天草を治める唐津藩の軍勢を破り、大将格の富岡城代三宅藤兵衛を討ち取ったことは、よく知られている。本書は、討死した三宅藤兵衛に始まる三宅家に伝来する文書を中心に集成された、近世武家・三宅家の史料集である。

 こう書いてきただけでも関心を示される方も多いだろうが、本書の価値として、次の二点を指摘しておきたい。

 一つは、島原・天草一揆についての一級史料である点である。島原・天草一揆において、幕府が衝撃を受けたのは、島原領につづいて天草領でも一揆が蜂起し、両地域の一揆が合流して増強された唐津藩勢を破り、大将格の富岡城代三宅藤兵衛を討ち取ったという急報に接した時である。

 一揆研究では、一揆段階の三宅藤兵衛にのみ関心が集まっているが、本書には明智光秀以来の「明智一族」としての三宅藤兵衛に関わる史料が集成されている。鶴田倉造編『原史料で綴る天草島原の乱』に収載されている一揆段階の三宅藤兵衛書状などと併せて読むと、本書の諸史料は、「島原の乱」として埋没されかねない天草領の一揆を解明するうえでも、今後、大きな価値を発揮するはずである。

 本書のもう一つの価値は、本書の書名に示されているように、三宅家が明智光秀、光秀の娘である細川ガラシャに連なる家系だったことである。光秀が山崎の戦いに倒れ、ガラシャ玉が関ヶ原合戦の直前に非業の最期を遂げた時、ガラシャを叔母とする三宅帥(藤兵衛の幼名)が、そして藤兵衛を初代とする三宅家が、転変する歴史のなかで武家として維新期までどのような軌跡をたどったのか。

 一揆後、唐津藩寺沢家は天草領を没収され、藤兵衛の嫡男、三宅藤右衛門は主家を去り、牢人となっている。本書は、「明智一族」たることを矜恃とした、近世武家のドラマに満ちた一大史料集である。

 
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。