信仰の中世武士団
―湯浅一族と明恵―
高橋 修 著


紀伊湯浅氏と一族出身の高僧明恵を取り上げ、明恵の存在そのものと彼が故郷に残した遺跡が、武士団・湯浅氏の一族結合や領主支配にいかなる意味をもったのか、明恵の足跡と「明恵上人紀州八所遺跡」を復元する作業を通じて考察する。


■本書の構成

序論 信仰の中世武士団
  
はじめに/一 湯浅一族と明恵/二 前著『中世武士団と地域社会』から/三 奥田真啓『中世武士団と信仰』について/四 武士団と信仰をめぐる新しい研究動向/五 本書の構成について

第一章 湯浅荘における「町場」の成立と湯浅氏の石崎屋敷
  はじめに/一 湯浅荘町の繁栄/二 湯浅における「町場」の起源/三 石崎屋敷/おわりに

第二章 湯浅荘別所勝楽寺考
  はじめに/一 仏像・建造物からの復元/二 現地踏査からの復元/三 白方宿所/おわりに――在地領主と「町場」

  付論 幻の「湯浅城合戦」

第三章 保田宗光と明恵
  はじめに/一 宗重から宗光へ/二 地頭職違乱と佐渡配流/三 明恵の紀州下向/四 承久の乱と宗光・上覚/五 宗光惣領体制の成立と明恵/おわりに

  付論 湯浅本宗家のその後

第四章 施無畏寺の成立と「施無畏寺伽藍古絵図」の世界 
――「西白上遺跡」「東白上遺跡」の興隆――
  はじめに/一 明恵の白上修行と施無畏寺の成立/二 湯浅景基と宗弁の位置/三 「施無畏寺伽藍古絵図」の世界/おわりに 

  付論 「筏立遺跡」について

第五章 糸野の明恵と「糸野遺跡」
  はじめに/一 糸野の明恵@――宗光夫妻の祈祷師として/二 糸野の明恵A――「一郡諸人」とともに/三 「糸野遺跡」の構造/おわりに

  付論一 明恵の父と「吉原遺跡」(はじめに/一 父重国と伊藤一族/二 重国の最期/三 伊藤氏と湯浅氏/四 誕生地、歓喜寺、そして「明恵上人遺跡」/おわりに――「明恵上人遺跡」)

  付論二 保田宗光・宗業と「星尾遺跡」

第六章 最勝寺と「神谷後峰遺跡」
  はじめに/一 最勝寺の位置/二 最勝寺の成立/三 最勝寺と明恵/四 最勝寺の興隆/五 最勝寺の衰退と退転/六 「最勝寺伽藍差図」と最勝寺跡の現況(1夏瀬の森と丹生大明神社 2最勝寺跡 3神谷後峰遺跡 4浄教寺)/おわりに
 
  付論 最勝寺什物の行方

第七章 崎山屋敷の伽藍化と「崎山遺跡」
  はじめに/一 崎山氏と田殿荘/二 崎山良貞夫妻と明恵/三 伽藍となった「崎山屋敷」/四 「崎山遺跡」の成立/五 「崎山遺跡」を尋ねて/おわりに 

  付論 「崎山遺跡」伝承地の創出

第八章 忘れられた「遺跡」 
――宮原氏館――
  はじめに/一 宮原荘の位置/二 宮原宗貞とその一族/三 明恵と宮原氏館/四 宮原氏館落選の意味/五 宮原氏の末路/六 宮原氏館の復元/おわりに


総論 武士団・湯浅一族と「明恵上人紀州八所遺跡」
  はじめに/一 湯浅一族と明恵(1武士団結合における明恵の役割 2地域住民と明恵)/二 「八所遺跡」の成立(1「八所遺跡」の選定 2落選地の存在 3「八所遺跡」選定の意味)/三 「八所遺跡」の興隆/おわりに

◎高山寺典籍類奥書にみる紀州関係記事一覧/『中世武士団と地域社会』索引/人名索引/地名・寺社名索引






◎高橋 修(たかはし おさむ)……1964年熊谷市生まれ 神戸大学大学院文化学研究科博士後期課程中退 現在、茨城大学人文学部教授




  著者の関連書籍
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◎おしらせ◎
 『日本歴史』第833号(2017年10月)に書評が掲載されました。 評者 生駒孝臣氏



ISBN978-4-7924-1046-9 C3021 (2016.8) A5判 上製本 302頁 本体8,000円

  高僧とその「遺跡」は、武士団結合や領主支配にいかなる意味をもったのか?


 本書は、紀伊湯浅氏と一族出身の高僧明恵を取り上げ、明恵の存在そのものと彼が故郷に残した遺跡が、武士団・湯浅氏の一族結合や領主支配にいかなる意味をもったのか、明恵の足跡と「明恵上人紀州八所遺跡」を復元する作業を通じて考察したものである。

 町場を開き所領を形成し、さらにそれを越えた地域社会を支配した在地領主でもある湯浅氏が、地域住民に公的な権力として承認されるため、祈祷などの宗教行為により地域社会に安寧をもたらし、神仏と結縁する空間を管理することは不可欠な機能であった。承久の乱後、幕府との関係で惣領となった保田宗光は、一族出身の高僧・明恵の活動を支援し、彼を一族結合のイデオロギー的紐帯となした。明恵亡き後には、その有田郡における姿を想起させる装置として「八所遺跡」を創り出す。地域の領主としての成り立ちにかかわる「八所遺跡」の選定には、当然、保田氏とその他の領主との間の競合関係が反映される結果となった。

 地域社会において族縁に基づき領主支配の要請から形成された武士たちの結合が、幕府体制下で惣領制的に再編されることにより、中世武士団の構成は確立する。それは政治的に創り出された擬制的な一族結合であり、その維持のためにもこうしたイデオロギー的な外皮は必要であった。

 本書は、和歌山県立博物館に勤務した時代の着想をもとに進めた調査・研究の成果をまとめたものである。武士団研究の進展に資するところがあれば幸いである。また今も明恵の遺跡を守る有田地方の皆さんには、調査や論文執筆の過程で大きなご支援をいただいた。ささやかながら感謝の思いを込めて本書を捧げたいと思う。
(高橋 修)

※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。