近世旅行史の研究
―信仰・観光の旅と旅先地域・温泉―
高橋陽一著


旅行者の視点に立った「旅行者論」や、旅行者を受け入れる「旅先地域論」といった視点を設定し、従来にはない論点を提起する。旅行史と地域観光論をつなぐ歴史研究書。


■本書の構成

 序 章 本書の課題と方法
  
一 旅と旅行史/二 研究史(古代・中世の旅 近世の旅―旅の大衆化― 近世旅行史の成果と問題点@―新城常三『新稿社寺参詣の社会経済史的研究』まで― 近世旅行史の成果と問題点A―旅行者の視点から― 近世旅行史の成果と問題点B―旅の対象と地域の視点から―)/三 本書の課題と構成/四 観光の定義(観光とは 観光と遊山)


第一部 旅行者論

 第一章 旅の行程とその特徴
 ―道中日記・紀行文の統計的分析―
  
はじめに/一 上方旅行道中日記の分析(行程 出立日・日数・旅行者の年齢 旅の信仰性)/二 松島旅行者の分析(近世の松島と紀行文 年代別分布と行程 松尾芭蕉の旅と紀行文の旅)/おわりに

 第二章 多様化する近世の旅
 ―道中日記にみる奥羽からの上方旅行―
  はじめに(問題関心 課題の設定)/一 道中日記にみる上方旅行(旅の行程 二種類の旅)/二 旅行コースの循環性(畿内での具体的行程 円環的行程の持つ意味)/三 京都の名所と札所巡り(京都の名所 京都での札所巡りと「札打ち」 禁裏参り)/おわりに


 第三章 石碑のある光景
 ―近世の知識人と松島―
  
はじめに/(本章の課題 風景論)/一 近世の松島/二 雄島の石碑(中世の雄島 近世の雄島 雄島の句碑)/三 旅行者と雄島(句碑建立以前 句碑建立以後 風景の齟齬 学者と俳諧文化)/おわりに

 第四章 道中日記にみえる庶民の観光
  
はじめに/一 道中日記の史料的性格(道中日記の内容 道中日記の価値)/二 道中日記の旅行者と松島(松島での行動 観光体験)/おわりに

 第五章 近世の温泉利用とその特性
 ―「養生」の勧めと旅行者―
  
はじめに(旅行史研究と温泉 具体的な課題)/一 入浴の心得―勧められる温泉「養生」―/二 温泉論―語られる温泉「養生」―/三 養生論―温泉「養生」論の源流―/おわりに

第二部 旅先地域論

 第六章 近世の旅先地域と諸営業
 ―上野国吾妻郡草津村を事例に―
  はじめに(研究視角 本章の課題)/一 草津村の概況と入浴施設の動向(草津村と旅行者の概要 入浴施設(外湯)の設置動向)/二 諸営業の展開(屋敷地の開発と兼業の展開 展開の背景)/おわり


 第七章 旅先地域と客引き
 ―近世後期の上野国吾妻郡草津村を事例に―
  はじめに/一 草津村の客引きと法整備(草津村について 客引きとその要因 客引きの禁止―草津村の村法―)/二 客引き対策と取り締まりの実態(客引き対策と行為発覚の具体的状況 客引き取り締まりの実態 客引き取り締まりのルール)/おわりに(明治以降の客引き対策 まとめ)


 第八章 近世の温泉運営と領主
 ―仙台藩領村落の災害対応を事例に―
  はじめに/一 秋保温泉御役代の一村請請願と温泉収益の村財源化(湯元村と佐藤家 秋保温泉の歴史と近世前・中期の運営 天明飢饉と御役代の一村請請願 温泉約定の成立とその後の湯元村 民間消費の地域財源化と観光地化)/二 川渡温泉湯守請負争論と処理過程(争論の前提―大口村と藤島家― 争論の内容 争論の結末 藩首脳の疑念)/おわりに


 第九章 近世の温泉と領主政策
 ―仙台藩領の温泉を事例に―
  
はじめに/一 地誌類にみる温泉認識/二 新たな温泉管理体制(温泉の「金山付」と御役代の増額 「金山付」の具体策)/おわりに

 終 章 本書の成果と課題
  一 「旅行者論」の成果と課題(第一部の成果 信仰と観光の問題)/二 「旅先地域論」の成果と課題(第二部の成果 領主権力と旅先地域 観光地の形成過程)

  初出一覧/あとがき/索引




◎高橋陽一(たかはし よういち)……1977年生まれ 博士(文学) 現在、東北大学東北アジア研究センター助教




  著者の関連書籍
  高橋陽一編著 旅と交流にみる近世社会




ISBN978-4-7924-1057-5 C3021  (2016.8) A5判 上製本 452頁 本体9,800円

  
旅が照射する新たな江戸の社会史

宮城学院女子大学学長・東北大学名誉教授 平川 新  

 いまや、訪日外国人旅行者(インバウンド)をどうやって増やすかは国家的課題です。自治体も競うように誘致政策を打ち出しています。外国人旅行者は国際空港に降り立ったときから、日本に、そして訪問先にお金を落としてくれる大切なお客さまなのです。外国人旅行者の獲得は、日本の経済、地域の経済にとって必須の要素となりました。

 ところで、その旅行者が地域経済にとって重要な要素となったのはいつからなのでしょうか。業務であれ参詣であれ、旅をする人は古くからいましたので、宿泊業や輸送業者にとっては大事なお客さまです。参詣者の多い寺社の門前では、専門の宿泊施設もでき、それが地域経済を支えていたことでしょう。とはいえ古代・中世において、それは限られた対象であり、旅が一般化していたとはいえません。

 庶民層にまで旅が普及するのは、近世/江戸時代のことです。その理由を高橋陽一さんは、@平和の創出、A交通環境の向上、B経済の安定、C村落共同体の成立、D宗教秩序の確立、E文字社会の発展、に見いだしています。こうした条件のうえに、大名の参勤交代から役人の出張、商人の旅、物資輸送、社寺参詣、名所旧跡巡り、温泉湯治などの、さまざまな旅が展開したのでした。ヨーロッパでは早くからキリスト教の聖地巡礼がおこなわれますが、一七〜一八世紀に右に述べたようなかたちで「旅が大衆化」したのは、日本の社会的特徴だと指摘しています。女性の一人旅が可能なほど、日本の旅は安全でした。

 そうした前提のもとに高橋さんは、道中日記や紀行文を活用しながら旅の目的とルートの特質を分析し、上方旅行のほとんどに伊勢参詣が組み込まれていることや、他の地域でも道中日記の多くが寺社巡礼とセットになっていること、時期も農閑期に集中していることなどから、庶民の旅全般が信仰心を基底にもちつつ、日常労働に対する余暇活動として展開していると論じています。こうした見方は、庶民の旅を封建的抑圧からの解放とする戦後歴史学の定型的な解釈を見直すものとなっています。

 本書の魅力のもうひとつは、歴史学的な温泉論が提起されていることです。秘湯・名湯など、各地の温泉は現代観光学の観点から注目されがちですが、温泉の歴史的な成り立ちや温泉経営などの視点を入れることで、地域社会にとって温泉がもつ意義が浮き彫りにされています。上野国草津温泉や仙台藩領の秋保温泉をはじめとする温泉地の分析によって、温泉経営は温泉宿だけではなく村内の諸営業のあり方とも関係し、領主もまた温泉政策といってもよい固有の地域政策を展開していたことが明らかにされました。とりわけ仙台領では、飢饉からの復興に温泉資源を活用しようとしたことが指摘されており、地域おこしや地域政策の多様性評価に道を開いたともいえるでしょう。

 「旅行史」と銘打った研究書は、本書が初めてとのことです。旅行者の視点に立った「旅行者論」や、旅行者を受け入れる「旅先地域論」といった視点を設定し、従来にはない論点の提起を試みています。現代の観光でも、旅行者が旅に求めているものは多様であり、地域はどうやって魅力ある観光地を演出するかに腐心しています。本書を読むと、同様の問題は旅が一般化した江戸時代に、すでに胚胎していたことがわかります。旅行史と地域観光論をつなぐ歴史研究書として、本書をお薦めしたいと思います。

 
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。