御家騒動の展開
吉永 昭著


前著『御家騒動の研究』に続く大作。本書では、松平忠直・光長父子をはじめ少なからぬ親藩の祖となった結城秀康の子孫と家臣団たちが織りなす人間模様を中心に描く。




■本書の構成

 
はじめに―本書の目的とその内容について―

第Ⅰ編  慶長・元和年間、松平氏支配下の越前藩における家臣団の形成と久世(越前)騒動及び二代藩主松平忠直の配流一件(騒動)について

 第一章 松平氏越前藩の成立事情について

 第二章 越前藩における家臣団の形成について

 第三章 久世(越前)騒動について

 第四章 二代藩主忠直の配流一件(騒動)について


第Ⅱ編  寛永期以降、松平氏支配下の福井藩における家臣団の形成といわゆる「貞享の大法」〈半知〉に至るまで

 第一章  新藩主四代松平忠昌による福井藩の創設と家臣団の展開について

 第二章  重臣らの給地支配について
―寛永期以降を中心に―

 第三章 福井藩政の展開と動揺・分裂について


第Ⅲ編  寛永年間以降、松平氏支配下の越後高田藩における家臣団の形成と延宝七年からの越後騒動の展開について

 第一章  松平氏越後高田藩政の開始と家臣団の構造について

 第二章 越後騒動の展開と第一次処分の実施について

 第三章 脱藩騒動の展開と藩政の動揺・分裂について

 第四章  再審の開始と第二次処分(改易)の実施について


 終 章 おわりに
―一応の総括と残された課題など―





  ◎吉永 昭
(よしなが あきら) 1927年、熊本県生まれ 博士(文学) 福山大学名誉学長・愛知教育大学名誉教授




  本書の関連書籍
  吉永 昭著 御家騒動の研究



ISBN978-4-7924-1088-9 C3021 (2018.9) A5判 上製本 708頁 本体15,000円

  
結城秀康とその子孫、家臣団が織りなす人間模様

 御家騒動は、人間社会の普遍的病弊である。前著『御家騒動の研究』では、二一の御家騒動が「藩政の確立をめぐる対立・抗争」「本藩・支藩の対立」「農民闘争の激化」「藩主押し込め」「家中の対立・抗争と『脱藩騒動』」「家督相続をめぐる争い」「政治経済路線をめぐる対立・抗争」「転封をめぐる対立・抗争」「埋もれていた御家騒動」の九類型に分けて分析された。本書とも関連してくるが、「藩政の確立」問題では、とりわけ歴史の新しい諸藩では、かなり多くの領知を知行もしていた家老級の重臣の意識では、主君といえども「同輩中の首席」以上の存在ではなく、初代の主君・家老同士では納得できていた「君臣」関係も二代目以降同士ではそうもいかなかった例もあったであろう。このあたりは、「主君」を「社長」、「家老」を「取締役」や「部長」と読み換えれば、現在の新興企業などにもありそうに思われる。

 今回は、松平忠直・光長父子をはじめ、少なからぬ親藩の祖となった結城秀康の子孫と家臣団たちに対象が絞られている。

 初期越前藩のような大藩ともなれば、上級の家老は四万石弱等と小藩の藩主並みであり、忠直は上級家老には自分の輔弼(彼からみれば「監視」だったのであろう)よりは自己の知行地行政に専念してほしいと発言したこともある。このように独立性の強い重臣や、秀康が「大名分」と呼んで厚遇した大身家臣は、その後秀康級の人物でないと統御できなかったことが判明する。そして、彼らのお目付役的側面も期待されていたはずなのに、「世話になったから」と武力反乱にまで参加した与力たちの姿もあった。

 越前(久世)騒動にしても、家康からみれば孫の忠直、すなわち「身内」の家中の、いわば自慢にならない争論の裁定に、一般に伝えられているような江戸城での大々的な評定など実施したのかという疑問が指摘される。また、大坂夏の陣で勇戦したとされる忠直の直率部隊は、一一の部隊より成る越前藩軍の前から九番目であったことなど、とりわけ越前騒動後の忠直の行動は制約されていたのではないかとも考察され、配流のやや以前に既に忠直は押し込められていたのではないか、との説も提示されている。

 忠直配流後、越前(福井)藩主の座は弟忠昌が継承する。忠昌の子の第五代光通
(みつみち)は藩政改革に取り組んで果たさず、光通夫妻の相次ぐ自害の後、異母弟昌親(まさちか)が継承するも二年で隠居、跡を継いだ甥綱昌が「失心」したために昌親が「吉品(よしのり)」と改名して再度襲封、但し石高半減〈貞享の大法〉と激動に見舞われる。

 片や、忠直の長男光長が叔父忠昌と交代して入った越後高田藩も、寛文の大地震や嫡子綱賢
(つなかた)病死以後混乱が続く。綱賢に代わって世子となった光長の甥綱国は、忠直が配流後にもうけた永見長頼の子で、終始小栗美作派として行動する。対して、光長の異母弟で、綱国とは祖父(または父:忠直)も祖母(母)も同じくする叔父永見大蔵は自らを「御為方」と称し、対立する美作派を「逆意方」と排斥する。反美作派の視点に立脚しているらしい「越訴記」は、美作を一一〇余カ条の多きに渡って弾劾しているが、美作が一〇組の大番組、すなわち正規軍が八組まで減るほどの、総勢三割以上と思われる藩士を事実上放逐し、その結果路頭に迷わされた人々の怨念の噴出であろうか(旧陸軍でも、「玉砕」は別として、「全滅」とは三分の一の戦死・重傷だったらしいことを考えあわせると、これも一種の「全滅」かもしれない)。しかし、その後、津山藩として復活を果たした光長が呼び寄せ、同藩の中核となった家臣団に「御為方」永見大蔵系は皆無で、ことごとくが「逆意方」美作系であったことも、壮大な「おち」、アイロニーといえようか。

 御家騒動は、さまざまな歴史や人間の問題を考えさせる問題を孕んでいる。本書が考察・研究の一助となれば幸いである。 
 (文責 編集部 松田良弘) 
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。