ことばと資料私注
大塚光信著


本書の構成

第一部
  1. シャチコハル
  2. クタビルルとツカルル
  3. シツケ ―漢語と和語―
  4. マイナイと賄賂 ―和語と漢語のあいだ―
  5. 沈思と笑止 ―擬(もどき)漢語―
  6. Iantar ―日葡辞書の訳語―

第二部
  7. 初期国字本の刊行期についての一試論
  8. 『エソポのハブラス』
  9. 『エヴォラ本 日葡辞書』
  10. コリャード『懺悔録』

第三部
  11. 室町小歌私解
  12. 狂言のことば
  13. キリシタンの日本語研究  付「和らげ」の一側面

  索 引


 著者の関連書籍
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 大塚光信編 大蔵虎明 能狂言集

 大塚光信・来田 隆編 エソポのハブラス 本文と総索引

 



ISBN978-4-7924-1408-5 C3081 (2008.10) A5判 上製本 294頁 本体5800円
吉田詣で今昔
京都教育大学名誉教授 大塚光信  
 吉田兼見(天文四―慶長一五 一五三五―一六一〇)の日乗、『兼見卿記』に次のような記述が見える。
  自奥州大御大明神之祠官令上洛、来云、為門弟対面之望
  也、次風折烏帽子・狩衣着用裁許之事申也、主順礼仕立、
  不弁之躰也、別而令懇望之間、許容了、令対面遣一通…(天正四・七・八)
 私の生家は備中國後月郡井原村(現在の岡山県井原市)に鎮座まします小さなお宮の神主を代々の家職とする家であった。そこには、
  備中国後月郡井原村芦次大明神之祠官大塚丹後守藤原広
  信任先例神事参勤之時、可着風折烏帽子狩衣者、神道裁
  許之状如件
  元禄十四
辛巳年十一月五日
  神祇管領長 正三位侍従 吉田兼敬(花押)
を始とする「神道裁許状」が幾枚か残っている。それをみると、代があらたまるごとに上洛、不弁(貧窮)な姿で吉田宗家に参上、風折烏帽子・狩衣着用の許可を懇望したものと思われる。私も上洛、吉田山麓の大学に学んだが、風折烏帽子着用の許可を得るにはいたらず、したがって帰郷し家職をつぐということもなかった。ただ、そのかわりにようやく手にすることのできたこの小冊子を、今は亡き父母の神前に捧げ、積年の不孝を詫びるばかりである。
 ところで、「私」は「公」の対極にある語で、「公」が「公正」の意ならば、「私」は「私曲」でもあろうか。本書『ことばと資料私注』は、「ことば」と「資料」さらには「ことばと資料との関係」について、私一己の曲解を注したものであるが、それにもかかわらず学界の進展にいくばくかでも寄与するところがあるならば、望外の喜びである。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。