フランス学士院本 羅葡日対訳辞書
岸本恵実解説 三橋 健書誌解題


学士院会員しか披見がゆるされない秘笈の書を影印刊行。



ISBN978-4-7924-1434-4 C3581 (2017.1) B5判 上製本 971頁 本体26,000円

  ヨーロッパ文化、日本文化、そして「大航海時代」

南山大学教授 丸山 徹   
 編者のひとり岸本恵実さんは不思議な魅力を持った方である。ドイツのブレーメン、ブラジルはサンパウロやリオデジャネイロ、またポルトガルのヴィラレアルでも国際会議でお目にかかりご一緒させていただいた記憶がある。そんな会議の直後や翌日に人の輪ができ質問攻めにあっているのはいつも決まって岸本さんであり、私に対する質問やコメントはほとんどない。発表内容、発表技術など、そのどれをとっても彼女には負けていないとひとり思っていた私は大いに嫉妬したものである。人間としての魅力の違いだと言われてしまえばそれまでだが、国際会議で彼女ばかりが持て私がまったく持てないのには実は別の理由もあると思っている。岸本さんの扱うテーマはいつも羅葡日辞書であった。ヨーロッパや南米の研究者にとって、辞書の代名詞とまで言われ、ヨーロッパ文化史研究に欠かすことのできないカレピーノの流れを汲む羅葡日辞書は実に魅力ある研究テーマで、ポルトガルやインド諸語についての重箱の隅をつつくような私の研究は魅力に欠けるのである。こうしたローカルな研究に対し、カレピーノ諸版の中でも唯一ポルトガル語と日本語の収められた羅葡日辞書はこれからいくらでも掘り下げ発展させることのできるグローバルな射程を持つ研究テーマと言えよう。いわゆる「大航海時代」、こうした辞書や文法書が作られたのは日本だけではない。アフリカ、ブラジル、インドにおいても同時代、イエズス会によって現地語研究が為され、語学書が編纂されている。縦軸としてヨーロッパにおけるラテン語辞書史の観点から、また横軸としては「大航海時代」の語学書諸版の中で、この羅葡日辞書をどのように位置づけ考察を深めていくか、これは尽きせぬ魅力をたたえた研究テーマとなるであろう。こうした貴重な研究資料となる羅葡日辞書の新たな影印本を三橋健先生と岸本恵実さんの信頼できる解説と共に手にすることのできる幸せに改めて感謝したいと思う。同時におひとりでも多くの方がこの影印本を手にし、ヨーロッパ文化について、日本文化について、また「大航海時代」について、想いを馳せていただけることを心から願っている。
 

  初のイエズス会日本語辞書の再評価

上智大学教授 豊島正之   
 イエズス会は、キリシタン時代に日本語文法書を3点、辞書を2点出版したが、いずれもその初刊では、日本語を主体とする事が出来なかった。

 初の文法書「天草版ラテン文典」(1594、天草)は、既存のラテン文典であるEmmanuel AlvaresのDe institutione grammatica libri tres(1572、リスボン)の著者自身による簡約版(小文典、1573、リスボン)を更にイベリア化した版(1578、1583、リスボン)に基づき、そこに日本語用例と、日本語の文法上の注記を書き込んだ書である。イエズス会が、日本語を主体とした文法書「日本大文典」(通事ロドリゲス著、1604、長崎)を出版するには、更に十年を要した。

 本書ラポ日対訳辞書は、天草版「ラテン文典」の翌年(1595)にイエズス会が出版した初の辞書であるが、既存のラテン語辞書Calepinusに日本語訳を加えた形式を採る。イエズス会が、日本語を見出しとした「日ポ辞書」(1603、長崎)を刊行するのは、この八年後である。

 この様に、本書は、ラテン語辞書Calepinusに多くを依拠しているため、解読には原拠本との対照が必須であって、日本語部分のつまみ食いは、(丁度「天草版ラテン文典」中のイベリア半島版依拠部分を、「日本語版独自の意匠」などとする様な)誤認をもたらし兼ねない。しかし、その原拠本たる「既存のラテン語辞書Calepinus」自体に、天草版刊行以前だけでも150点を超える多数の版種が存し、諸版の間には少なからぬ差がある。しかも、Calepinus諸本には、フォリオ判に小字で密に印刷された千頁を超える大冊が珍しくなく、欧州各地の図書館での原本披見には、技術と、時に膂力を要する。

 岸本恵実博士は、この過酷な原拠本探索に取り組んで久しく、その欧文で公表された論考の数々は、本邦よりも寧ろ海外で夙に著名であって、既に斯分野の定説を成している。国際会議に博士が現われないと、「Emiは来ないのか」と露骨にがっかりした顔をされたのも、二度や三度では無い。

 ここに複製されるフランス学士院本は、原則として学士院会員しか披見が許されない秘笈の書である。岸本博士の和文解説を備えた本複製は、長年の渇を癒やすものであり、出版から420年を経て、本書が再び熱心な読者を獲得し、その真価が再評価されるに至るのは、国語学史・宣教に伴う言語学(Missionary linguistics)だけでなく、日本文化史・出版史の面からも、まことに喜ばしい。
 



 P.2 左列 Abaculus, i.
「そろばん」は日葡辞書にもあるが、ラポ日の方が早く、日本での初出例か。
算盤は室町時代末期(つまりラポ日辞書印刷の少し前)には伝来していたらしい。
文化史的にも興味深い例。





P.557 左列 Pegasus, i.
ペガスス(ラテン語)に対し、「昔の歌人沙汰したる翼のある馬」という日本語訳がついている。
古代ギリシャ起源の想像上の生物が(おそらくはじめて)日本語で紹介されているのが興味深い。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。