絶海中津研究
人と作品とその周辺
朝倉 和著


五山文学を代表する詩人・絶海中津の伝記と作品の研究にはじまり、その後どのように受容・評価されていたかを解明する。



■本書の構成


第一章 受容史及び研究史上における絶海中津

   受容史の概観 ―文学活動を中心に―
   研究史の概観
   本研究の目的及び意義

第二章 絶海中津の伝記研究

   『仏智広照浄印翊聖国師年譜』の再検討
   『仏智広照浄印翊聖国師年譜』と『勝定国師年譜』との関係
   絶海中津の関東再遊について
   日記類に見る絶海中津 ―「坦率の性」に注目して―
   「和韻」から見た絶海中津と義堂周信
   絶海中津略年譜

第三章 絶海中津の作品研究

   『蕉堅藁』の伝本について
   『蕉堅藁』の作品配列について
   絶海中津の自然観照
   霊松門派の詩風について
   五山文学における禅月の受容 ―『蕉堅藁』を起点として―
   五山文学における「和韻」について ―絶海中津と義堂周信を中心に―
   伝絶海中津作「題太寧寺六首」について
   『翰林五鳳集』所収の絶海中津の作品について ―清書本としての国立国会図書館蔵 鶚軒文庫本―

第四章 絶海中津の周辺に関する研究

   「少年老い易く学成り難し」詩の作者は観中中諦か
   「少年老い易く学成り難し」詩の作者と解釈について ―「詩の総集」収載の意味するところ―
   義堂周信『空華日用工夫略集』の主題に関する覚書
   「薔薇」発掘 ―五山文学素材考―
   瀬戸内海と五山文学
   『翰林五鳳集』の伝本について
   五山文学版『百人一首』と『花上集』の基礎的研究 ―伝本とその周辺―
   東福寺霊雲院蔵『花上集』巻末の附載雑録から見た禅林の文芸 ―喝食・少年僧を対象とする文芸の隆盛―
   兼好と禅宗 ―『徒然草』における禅思想に関する覚書―

第五章  関連資料寸見 ―解説と翻刻―

   国立国会図書館蔵 鶚軒文庫本『翰林五鳳集』巻第十の本文(翻刻)
   国立国会図書館蔵 鶚軒文庫本『翰林五鳳集』巻弟五十一の本文(翻刻)
   国立公文書館 内閣文庫蔵『花上集鈔』乾巻の本文(翻刻)
   国立公文書館内閣文庫蔵『花上集鈔』坤巻の本文(翻刻)
   東福寺霊雲院蔵『花上集』巻末の附載雑録の翻刻

  初出一覧
  あとがき
  索引




  ◎朝倉 和
(あさくら ひとし)……1972年広島県生まれ 広島商船高等専門学校教授 博士(文学 広島大学)




ISBN978-4-7924-1442-9 C3091 (2019.2) A5判 上製本 812頁 本体20,000円

  
絶海研究の基礎ここに成る

慶應義塾大学附属研究所斯道文庫教授 堀川貴司  

 絶海中津(一三三六~一四〇五)は五山文学を代表する詩人として名前こそ広く知られているものの、その研究に関して豊富な蓄積があるとはいいがたい。もし、絶海を読んでみようとして、最初に新日本古典文学大系の『五山文学集』を手に取った大学生がいたとしたら、その注の少なさに驚いてすぐに投げ出すかもしれない。不幸な出会いと言わざるを得ない。

 著者は大学院生のときから果敢にもこの巨峰へと登攀を始めた。伝記と作品という、文学研究の王道を自ら選び、所属する大学の雑誌にその成果を発表し続けた。絶海は残された作品が少なく、また二種類の年譜が死後作成されているが、その内容についての詳しい検討はなされておらず、周辺資料の博捜と、作品配列の検討とを通じて、一歩一歩道なき道を切り開いたのが、本書第二章および第三章前半にまとめられた部分である。

 さらに、詩文集『蕉堅藁』に収められていない作品を収集することと、絶海がその後の五山文学の世界でどのように受容・評価されていたか、という点を解明することとを目的として、五山詩のアンソロジー『花上集』『百人一首』そして膨大な『翰林五鳳集』の研究へと進んでいった。第三章後半や第四章・第五章がそれである。注釈があることによって近世期にも広く読まれた『中華若木詩抄』がやはり新日本古典文学大系に収められ、国語学・中国文学・五山文学の専門家による詳細な(詳細すぎる)注が施されたのに対し、これらはほとんど手つかずであり、著者自身の研究もまだとば口に立ったところであろう。今後どのような山々を縦走していくのか、展開が楽しみである。

 一方で、道ばたに咲いていた山野草を愛でるがごとく個別の作品や詩の題材を取り上げた論文にも目を向けさせられる。第四章に収める、有名な「少年老い易く学成り難し」詩を取り上げたもの、「薔薇」に関する作品を扱ったものがそれである。

 第五章には、未翻刻資料を三点収める。後続の者への道しるべとなるべきものであろう。

 目次を一瞥したときは、絶海研究に絞って一冊にまとめてもよかったのではないか、との感想が一瞬頭をよぎったが、著者のなかでは一つながりになった研究成果であり、これまでの歩みを全て投入したいという情熱と客気の表れなのだろう。次はいよいよ『蕉堅藁』注釈であろうか。文学研究受難の時代に「新新」日本古典文学大系は編纂されないかもしれないが、もしそうなった暁には朝倉和氏の注によって五山文学研究に開眼する大学生がきっと出てくるはずである。健筆を祈る。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。