江戸幕府の歴史編纂事業と創業史
平野仁也著



武家の「創業の歴史」がどのように調べられ、叙述されたかに着目して、歴史が作り上げられていく過程、政治と歴史の関係を解明する。『寛永系図』・『寛政譜』などの家譜類や、『武徳大成記』『朝野旧聞裒藁』など幕府創業史の成立過程を考察。「記憶・体験の時代」と「記録・考証の時代」を対比しつつ、諸書の史料的性格を解明していく。近世人の知的営みのあり方について考えるとともに、戦国史研究にも寄与する研究である。



■本書の構成


序章 江戸幕府の歴史編纂事業
  
関心の所在/先行研究の整理/本書の課題と分析方法/本書の構成

第一章 『寛永諸家系図伝』編纂の実態と未定稿系図
  
はじめに/編纂に関する諸規則/『寛永系図』の按文と武家の出自/『寛永系図』の未定稿/未定稿系図の史料的価値――岡谷本の分析――/おわりに

第二章 『寛永諸家系図伝』の編纂と武家の歴史
  
はじめに/『寛永系図』編纂の命と諸家の呈譜/『寛永系図』の記載内容/幕府の編纂事業と武士の記憶/おわりに

第三章 『貞享書上』考
  
はじめに/『貞享書上』と『譜牒余録』/諸家の動向/『貞享書上』と近世後期の歴史編纂事業/おわりに

第四章 『武徳大成記』の編纂と徳川史観
  
はじめに/『武徳大成記』以前――『三河記』について――/『武徳大成記』と『成功記』/幕府の歴史編纂事業と徳川史観/おわりに

第五章 徳川創業史にみる三河武士像 
―その変容について―
  
はじめに/『松平記』の分析/『三河物語』と『松平記』/『武徳大成記』の成立――幕府による歴史書の編纂――/おわりに

第六章 十八世紀における家史編纂と由緒 
―鵜殿家と徳川将軍家―
  
はじめに/『鵜殿家史』と鵜殿長春/分化するテクスト/十八世紀における由緒/おわりに

第七章 『寛政重修諸家譜』の呈譜と幕府の編纂姿勢 
―島原藩松平家の事例から―
  
はじめに/『寛政譜』編纂のながれ/編纂過程における確認作業/近世後期の編纂事業と歴史叙述/おわりに

第八章 近世における家譜史料と人物 
―伊奈忠次像の表象と江戸幕府編纂物―
  
はじめに/伊奈忠次と伊奈氏について/家譜史料における忠次像の表象/おわりに

第九章 徳川家康像の形成 
―「東照宮御実紀附録」の分析をてがかりに―
  
はじめに/「東照宮御実紀附録」の構成と典拠/徳川創業史の潤色――家臣の離反――/家康像と逸話集/幕府の編纂事業と諸家/おわりに

第十章 近世における史書編纂と『朝野旧聞裒藁』
  
はじめに/『朝野旧聞裒藁』の編纂と林述斎/考証ならびに叙述について/歴史書の編纂と政治性/おわりに

終章 総括と課題
  
総括/今後の課題



  ◎平野仁也
(ひらの じんや)……1978年愛知県蒲郡市生まれ 名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得 博士(歴史学) 現在、蒲郡市博物館学芸員


 
◎おしらせ◎
 『日本史研究』第712号(2021年12月号)に書評が掲載されました。 評者 三宅正浩氏

 『日本歴史』第884号(2022年1月号)に書評が掲載されました。 評者 小宮木代良氏



ISBN978-4-7924-1477-1 C3021 (2020.9) A5判 上製本 350頁 本体8,500円

  
「記憶・体験の時代」と「記録・考証の時代」

名古屋大学大学院人文学研究科教授 池内 敏  


 ある卒業論文中間発表会でのこと。大学紛争をテーマに卒論を書きたいという学生が、当時の新聞・雑誌記事や活動家の手記などをもとに構想を語ってくれた。紛争当時に大学生だった教員が開口一番「あなたの話は僕の実感とは全然違う。」とコメントした。平野仁也さんの新著を読み終えて最初に思い出したのはこのときの情景である。

 本書の主題は江戸時代における歴史(書)編纂事業である。選ばれた編纂主体の多くは江戸幕府だが、大名家や幕臣(伊奈氏)、陪臣(鳥取藩家老鵜殿氏)の場合もあり、それらを総じて腑分けする本書の大切な方法論が「記憶・体験の時代」と「記録・考証の時代」の区別・対比である。

 著者の関心は江戸時代の人々は戦国期をどのように描いたかにあるから、本書にいう「記憶・体験の時代」とは戦国期から間もない十七世紀初頭からせいぜい一六八〇年代ころまでを指し、「記録・考証の時代」は十八世紀以後を意味する。戦国争乱の記憶・体験を残した人々が社会のあちらこちらに散在する十七世紀前半と、泰平の世に民政に尽くすことこそが功績とされるような十八世紀の社会とでは歴史を描く主体の置かれた歴史状況が異なるから、祖先を評価する軸が揺らぎ、史実の取捨選択が働くこととなる。

 「記憶・体験の時代」の出来事はいきおい自分の身の周りの出来事に詳細で全体像は描ききれない。寛永後期(一六四〇年前後)は、家康の若い頃の出来事を自己の記憶として語りうる人物は既に存在せず、晩年を含めても家康と同時代を共にした人物は貞享年間(一六八〇年代)には社会から姿を消した。著者は家康の人物像は十八世紀以後の書物に多く依拠すること、「記憶・体験の時代」の家康像は等身大の姿であり、後世の神格化された虚像とは「乖離」していることを指摘する。

 本書は江戸幕府の歴史(書)編纂事業のうち近世前期の『寛永諸家系図伝』(『寛永系図』)と近世後期の『寛政重修諸家譜』(『寛政譜』)のふたつの分析にとくに意を用い、それらを踏まえて『朝野旧聞裒藁』を高く評価する。『寛永系図』も『寛政譜』も諸家の側が家譜を提出し、幕府の編纂担当者がそれらを編纂した。提出された家譜やそれらの編纂過程にかかわっては、丁寧で緻密な考証が本書で繰り広げられるから、その醍醐味は本書を手に取って読者自らが体感してくださればと思う。

 前近代史を専門とする歴史研究者は、その時代を実体験できないままに文献史料を素材に歴史像を組み立てる。もちろん異なる角度から記された複数の史料群を突き合わせることによって何とかその時代の姿を生き生きと蘇らせたく考えてはいる。でも所詮は「あなたの話は僕の実感とは全然違う。」とコメントされるのがオチなのかも知れない。そうした「実感」と「乖離」を江戸時代という場に即して再現して見せたのが本書なのである。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。