二つのテキスト(下)明治期の文献

日本語学講座 第3巻

今野真二著




日本語に「明治維新」はあったのか? さまざまな方法で文字化されている明治期のテキストを対照することによって、江戸期と明治期との連続と不連続とを考える。



◎本巻では、整版、活字印刷、銅版印刷、石版印刷など、さまざまな印刷方法によって文字化されている明治期のテキストを採り上げ、「同じ作品」が、異なる印刷方法によって文字化されることによってどのように変化するのかを検証した。印刷は単なる文字化の手段にとどまらない。
 はじめに
  手書きと印刷と 「同じ」ということがらについて 「二つ(以上)=複数」ということがらについて

 第一章 江戸期から明治期への移行
  江戸期の文学作品の活字化 手書本から活字印刷本へ 明治期に刊行された『康煕字典』 ほか

 第二章 さまざまな印刷媒体
  康煕字典体 非康煕字典体 右振仮名 左振仮名 『輿地誌略』整版本の右振仮名 活字印刷(ボール表紙)本について 整版本と活字印刷本との対照 整版本の仮名を活字印刷本が漢字に換えた例 『西国立志編』のテキストについて 「漢語の形に訳す」ということについて 整版本と活字印刷本(改正版)との対照 ほか

 第三章 さまざまな「やわらげ」  ―和解・啓蒙・訓解・俗解―
  増補和解本の右振仮名が和語である場合 明治期の「ハツメイ(発明)」 字引類との対照 「訓解/訓譯」=左振仮名の概観 和語に和語の左振仮名が施された場合 一字漢語に左振仮名が施された場合 ほか




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ISBN978-4-7924-0943-2 C3381  (2011.4) 5  上製本 222 本体3,500

 

  二つのテキスト

 しばらく前に、「フクロウが地上の獲物を探している時、時々頭を左右に動かすが、これは視点を動かしているわけである。視点を動かせばそれに伴って物の形は変わって見えるが、視点の移動と物の形の見えの変化の間には一定の法則があり、脳はそれに計算を加えて物の本来の形を把握する」(国広哲弥「語義の構造」二〇〇二年、朝倉日本語講座4『語彙・意味』一五四頁)という言説にふれた。それ以前から、日本語に関わる知見を得るために「二つのテキスト」を使うということをずっと考えてきた。
 第二巻、第三巻では、そうしたみかた/方法をさらに鮮明にすることを目的として、「二つのテキスト」を共通の書名とし、扱うテキストの時期を「明治期以前」と「明治期」とに分け、それぞれを「上」「下」とした。第二巻では、結果的に冷泉家時雨亭文庫に蔵されているテキストを多く扱うことになったが、それは結果としてそうなったということである。
 「意味」に「語義(word meaning)」と「文意(contextual meaning)」とがあるように、「具体性」ということは言語にとって重要なことがらといえよう。一つのテキストによって言語分析をしようとした時、目にしている言語現象が、どの程度の一般性をもつのかということの判断をしなければならない。しかし、その一つのテキストをみているだけでは、「一般性」と「個(別)性」との見極めが難しい。 
 かつて「違式詿違條令」を採り上げて明治期の日本語について考えたことがあった。その後、表紙に「違式詿違條例」と打ち付け書きされている写本を入手した。この写本では「第十七條 人家稠密ノ場所ニ於テ妄リニ火技ヲ   (モテアソ)ブ者」のように、ところどころに振仮名が施されているが、それは必ずしも多くはない。また最近になって、『[山形縣]違式詿違條例圖解 完』という題名の一冊を入手した(右図)。「圖解」であるので、ただみていても興味深いが、第十條には「 乗馬  (じやうば)してみだりにはしらせ又は馬車を 疾驅  (はやかけ)して 行人  (ひと) 觸倒  (たをす)するもの但し 殺傷  (ころしきづゝくる)するは   (この)かぎりにあらず」とある。今江五郎解『[御布令]違式詿違圖解』には「 乗馬  (じようめ)(左ムマノリ)して   (みだ)(左ワケナシ)りに 驅馳  (くち)(左カケハシラ)し   (また) 馬車  (ばしや)疾驅  (しつく)(左ハシラ)して 行人  (かうじん)(左ミチユクヒト)を 觸倒  (ふれたふ)(左ユキアタリコカ)す者但シ 殺傷  (さつしやう)(コロシキズツケ)する   (もの)はこの 此限  (このかぎり)(左コノホカノツミデアルゾ)にあらず」とある。この條の対照だけでもさまざまなことを考える緒がありそうで、今後も「二つのテキスト」を注視し続けていきたい。    (今野真二)


 

※上記のデータはいずれも本書刊行時のものです。