自筆原稿

日本語学講座 第8巻

今野真二著


中島敦、宮沢賢治、芥川龍之介など、さまざまな自筆原稿を検証することで、言語生成の場において、何が起こっているのかを読み解く。


第一章 室町期の文献――冷泉為広の草稿類を例として
  第一節 文明十五年大樹御着到和歌 
  第二節 文亀三年六月三十六番歌合判定詞草案 
  第三節 永正十一年十月三十六番歌合 

第二章 現代日本語
  第一節 井上究一郎(一九〇九〜一九九九)
    『幾夜寝覚』自筆原稿――具体性の付与 『幾夜寝覚』入稿用コピー 『水無瀬川』再校正刷り
  第二節 中島敦(一九〇九〜一九四二)――新たなテキストの生成 
    文字の上下顛倒 片仮名で書かれている語 原稿をどう読むか
  第三節 宮澤賢治(一八九六〜一九三三) 
    新校本全集の「本文」構築方針 小書きについて 連合関係からみた宮澤賢治の修正 原稿にみられる異筆(allograph) 幾つかの語形について

第三章 明治期の日本語を素材にして
  第一節 森?外『舞姫』 
    行頭の重点使用 漢字使用 漢字字体 和語と漢語と
  第二節 夏目漱石(一八六七〜一九一六) 
    自筆原稿の錯誤 新聞の錯誤 飲む・呑む 源因・原因 自筆原稿の訂正/書き直し箇所からわかること 「アラワナ」と「ロコツナ」

第四章 大正期の日本語
  第一節 芥川龍之介(一八九二〜一九二七) 
    自筆原稿と『改造』「本文」との対照結果 自筆原稿から『改造』印刷まで 日本語学的校合 かなづかいについて ウシロ・ノチ・アト 外来語などの表記 漢字字形/漢字字体について 漢字使用について
  第二節 有島生馬(一八八二〜一九七四) 
  第三節 鈴木三重吉(一八八二〜一九三六) 
    校正時の手入れ 段落の書き方 自筆原稿の上下?倒表記 鈴木三重吉のことば 二字以上にあてる繰り返し符号の使い方 鈴木三重吉の濁点使用について 小書きの「ッ」 かなづかい 
  第四節 日夏耿之介(一八九〇〜一九七一) 

第五章 韻文
  第一節 永井荷風(一八七九〜一九五九)『偏奇館吟草』 
    振仮名 レイアウト
  第二節 北原白秋(一八八五〜一九四二)『白南風』 
  第三節 萩原朔太郎(一八八六〜一九四二) 
    漢字字体 漢字の使用 かなづかいなど





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ISBN978-4-7924-1010-0 C3381 (2014.5) A5判 上製本 246頁 本体3,500円
自筆原稿
 自筆原稿は、「書きことば」が生成する「場」といってよい。そうした「場」を注意深く観察することによって、「書きことば」に関するさまざまな知見を得ることができる。
 活字によって印刷されたテキストを起点とした場合には、窺うことができなかった言語の「揺れ」が、自筆原稿を注視することによってわかることもある。
 本書では、井上究一郎、中島敦、宮沢賢治、有島生馬、鈴木三重吉、芥川龍之介などの自筆原稿、日夏耿之介の自筆校正紙などを採りあげて、それぞれが書かれた時期の日本語に関わる知見を引き出すことを試みた。左に矢田挿雲(一八八二〜一九六一)の「人面鳥」と題された小品の自筆原稿冒頭を掲げた。右下に、紫色のスタンプインクで「女性原稿」とあるので、プラトン社から発行されていた月刊誌『女性』(大正十一年五月〜昭和三年五月)に掲載されたものと思われる。そのスタンプの右に、図ではその一部しかみえていないが、「仮名使イワ発音ノ/通リニ」と朱でペン書きされている。「じんめんちよう」という振仮名や、「九ポルビ付/三段廿一行」というような印刷のための指定は朱筆で書き込まれている。そのことからすれば、朱ペン書きの指示は矢田挿雲自身が書いたものという可能性もある。
 「仮名使イワ」というペン書きにおいてすでに、助詞「ハ」を「ワ」で書いているが、原稿の一行目末尾から二行目にかけての箇所が、「赤樫右源/太わ」と書かれており、ここでも助詞「ハ」にワ行の平仮名「わ」があてられている。図の範囲では、他に「弟からわ」「辿り着/いたのわ」「外にわ土地の者が」「自炊をする外わ無かつた」「彼わ当然茲で」とあり、矢田挿雲は、助詞「ハ」に「わ」をあてていたことがわかる。「仮名使イワ発音ノ通リニ」は指示としては、必ずしも正確ではないことになるが、このことに関していえば、助詞「ハ」にあてられている「わ」を「は」に訂正するな、ということになる。
 ずいぶんとひいた位置でいえば、明治期にはいわゆる「歴史的かなづかい」が使われていたということになるのであろうが、もっとちかづいた位置でみれば、さまざまな「かなづかい」があったといえよう。右の書き方もそうしたものの一つということになる。
 印刷による文字化は、いずれにしても、多数の「読み手」を想定することになり、そのために、何らかの「統一」が施されることが少なくない。「自筆原稿」は、そうした「統一」前の、多様な言語のあり方を窺わせる興味深いテキストである。  (今野真二)
※上記のデータはいずれも本書刊行時のものです。