屎尿をめぐる近世社会
大坂地域の農村と都市
荒武賢一朗著



「農村の生産、都市の消費」という性格を持つ蔬菜(青物)と、「都市の生産、農村の消費」という特徴を持つ屎尿の流通構造を解明することから、農村と都市・百姓と町人の関係をみなおす。さらに、屎尿問題が肥料から衛生政策の概念に入っていく過程を取り上げ、近世から近代へと移りゆく社会情勢をみすえる。



■本書の構成

序 章 屎尿を歴史分析で読み解く
    
研究史の足跡/本書が目指すもの

第一章 近世大坂における青物流通と村落連合
    大坂青物流通の取引範囲/万延組の成立と青物立売場/食品流通と消費者

第二章 摂河在方下屎仲間の構造と特質
    近世大坂地域の特質/在方下屎仲間の組織形態/下屎の汲取費用と仲間入用銀/通路人の活動と都市・農村

第三章 摂河小便仲間の組織編成と取引
    下屎と小便/摂河小便仲間の特質/仲間内部の対立と規制

第四章 下屎流通と価格の形成
    近世後期大坂と周辺地域の下屎流通/取引の制度的変遷と価格形成――近世後期の価格論/流通・権利・争奪――各地の諸事例から

第五章 幕末維新期・明治前期における下屎取引の制度と実態
    取引制度の大きな画期/明治三年申し合わせとその実態

第六章 社会環境史としての屎尿問題
    近世都市における行政的対応/災害と屎尿流通/流通から処理への転換

終 章 本書の成果からの展望
    本書の成果/これからの可能性

付表 近世後期の三郷町割

あとがき/索引


  ◎荒武賢一朗(あらたけ けんいちろう)……1972年京都府生まれ 関西大学大学院文学研究科博士課程修了 現在、東北大学東北アジア研究センター准教授 博士(文学) 




  著者の関連書籍
  荒武賢一朗編 近世史研究と現代社会

  平川 新編 通説を見直す―16〜19世紀の日本―

  荒武賢一朗編 世界とつなぐ 起点としての日本列島史



 
◎おしらせ◎
 『社会経済史学』第82巻第2号(2016年8月号)に書評が掲載されました。 評者 星野高徳氏



ISBN978-4-7924-1027-8 C3021  (2015.1) A5判 上製本 326頁 本体7,200円

  肥料と野菜からみる社会の形成史


関西大学文学部教授 藪田 貫

 
 本書を読み進めていると二つの場所が甦ってくる、河内と道頓堀が。戦後間もなく河内の田舎に生まれ、小学校の通学路の傍にあった肥溜。意外なことに「田舎の香水」は、肥を汲みだしている時以外、ほぼ無臭であった。屎尿は臭いが、肥溜の肥やしは臭くないのだ。一方、大人になって行く機会を得た法善寺横丁の料亭「正弁たんご亭」。正しく書けば小便タンゴ(担桶)のこと。芝居町道頓堀に押し掛ける観客や旅行者の催す尿意を受けていた太左衛門橋畔の小便桶。この二つが、時を超えて、わたしの中で繋がっている。
 人が毎日、吐き出すもの――それを田畑の作物の肥料とする。さらに出来た野菜を提供することで、再び、吐き出すものを確保するという循環を、本書は「鮮度と負荷」というキーワードで解き明かす。しかし、五〇年余り前に小林茂は、〈農民闘争〉という視点から切り込むことで、近世史における屎尿をはじめて歴史分析の俎上に上げたのである。その後、一九八〇年代になると、近世史の屎尿は、わたしたちの理解する屎尿に近づいた。〈環境論〉としての屎尿である。
 さらに三〇年たって本書の登場である。著者の関心は、農民闘争でも環境論でもない。排せつ物から見た「社会の形成史」にある。しかも、近世の大坂という地域を、屎尿を通して明らかにすることにある。そこで駆使されるのが、小林茂によって先鞭の付けられた「屎尿関係文書」である。著者によれば、本来、屎尿の流通が文書化されることはきわめて少ないが、大坂とその周辺では、屎尿の価値が高まることで「屎尿関係文書」が生まれたという。歴史上の事実は、観察者の〈視点〉によって甦るとともに、ある特定の文書・資料に〈意味〉が付与されたときに、はじめて発見に至るといえる。その意味で、「屎尿関係文書」が、大坂とその周辺地域で、どういう経緯で作成されたのか――この問いを起点に据えることで、本書は生まれたといえる。
 本書は、二〇〇三年に提出された学位論文が元となっている。論文要旨に書かれた「人間の排せつ物が商品的価値をもっていた」という認識は、「商品としての価値を有した屎尿流通」(序章)という一文に見るように不変である。その上で、「排せつ物から見た社会形成を明らかにする」という視点が加わった。十年余の間に認識が熟成したのである。道頓堀の屎尿が、河内の肥溜で貯えられ、作物に適度な肥料となるように。



  競争と協調に彩られた「屎尿」取引の分析


東京大学大学院経済学研究科教授 谷本雅之

 
 日本の社会経済史研究が隆盛にあった一九五〇―六〇年代、畿内農村経済史は、近世史研究の焦点をなしていた。しかし、そこでの研究視角を強く規定していた発展段階論の図式が影響力を失うにつれ、農村経済史の分野は急速に縮小していく。以後、近世の経済史研究の革新は、経済発展へのマクロ的接近を中心とした「数量経済史」の方法に担われるようになるが、それはミクロ的手法による社会構造分析の深化へと進んだ近世史研究との溝を拡大した。このような研究史認識を背景に、筆者が以下の文章を書いたのは二〇〇五年のことである。
 「(今)必要とされるのは、経済発展論と社会構造分析との融合であろう。その文脈において、産業史研究の意義が改めて浮かび上がってくる。産業は経済発展を推進する機動力であり、そこには『経済の論理』が色濃く反映する。しかし、展開する生産物および生産要素の諸市場は、様々な制度的な設定に規定され、また、市場に参加する諸主体も、固有の社会関係のうちにあった。経済の論理と社会の論理の交錯を具体的に分析する上で、産業は好適な場を提供している」(『日本史講座 第七巻』東京大学出版会)。
 それからほぼ一〇年。この度上梓された荒武賢一朗氏の著作は、筆者にとって待望の書であった。人間の排泄物である「屎尿」の歴史は、通常「産業史」の範疇にはいれられない。しかし本書が明瞭に示しているように、近世の「屎尿」は農業生産に欠かせない重要な「商品」であった。広範な史料の渉猟とその分析によって、「屎尿」の「生産」から「消費」に至る構造が、克明に明らかにされていく。競争と協調のせめぎ合いに彩られた「屎尿」取引の分析には、在方仲間、仲買等、かつての近世農村経済史研究にも馴染み深い諸主体が登場している。その意味で本書は、近世経済史の中心的な課題に正面から向き合った、畿内農村史研究の再生である。
 しかしそれだけではない。都市(大坂)で生産され、農村で消費される「屎尿」は、農村工業品や商品作物とは物の流れが逆となる。それが都市―農村関係を支配・対立で捉えがちなこれまでの議論に、実証作業を踏まえた新たな論点と解釈を加えることを可能とした。さらに「社会環境史」をキーワードに、「屎尿処理」と衛生問題に関して、近世都市史の文脈からの提言を試みる一章も加わっている。「屎尿」への着目が、近世経済史にブレーク・スルーを生み出すとともに、経済史の枠を超えた研究領域の広がりをもたらしたのである。
 慧眼な対象選択と着実な史料分析からなる本書を、新世代による社会経済史研究の画期的な成果として、広範な読者に推薦したい。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。