蓮如信仰の研究
―越前を中心として―
阿部法夫著
蓮如上人御影の吉崎下向に随行した、貴重な体験をもつ著者が、地元越前をおもなフィールドとして地道な調査を重ねた成果を踏まえ、吉崎・御文によって育まれた越前門徒衆の蓮如上人への思い入れを考証し、新たな「蓮如信仰論」を展開する。上人をめぐる多彩な感性の集積と変質を分析した貴重で興味深い著作である。


ISBN4-7924-0539-4 (2003.5) 品切
■本書の構成
まえがき

第一部 蓮如信仰の一考察―福井県の事例を中心に―
序章 はじめに(蓮如上人とは・ 「御文(章)」の効果・「門徒ものしらず」)
第一章 蓮如は生き仏≠セった!?(蓮如は真宗信仰の紐帯・蓮如の布教における新機軸・生き仏と人神とカリスマ)
第二章 二つの「レンニョサン」(「レンニョサン」二題)
第二章の一 大谷派の「レンニョサン」(「レンニョサン」概要・「レンニョサン」の起源・蓮如信仰の深層意識・蓮如御影道中記録 蓮如上人御影下向道中随行・蓮如上人御影上洛道中随行)
第二章の二 本願寺派の「レンニョサン」(いま一つの「レンニョサン」・西の「レンニョサン」の概要・蓮如上人真影御下向随行記・蓮如上人真影御帰山随行記・西派「レンニョサン」の歴史的考察)
第三章 穴馬における「順村」
第三章の一 穴馬の順村 その姿(「順村」の概要・穴馬という地・穴馬の「蓮如さま」・順村の起源・「オーソーブツ」との関連)
第三章の二 穴馬の順村 歴史的考察(順村の歴史的考察)
第四章 妙好人にみる蓮如信仰(妙好人の特色・『妙好人傳』の出版動向・「御文(章)」至上主義教団・妙好人点描・妙好人の信仰意識・布教者の蓮如信仰から)
結章 むすび

第二部 史料紹介 各地に残る『蓮如上人いろは歌』

推薦の辞
大谷大学元学長 北西 弘
 聞くところによると、著者は、幼い頃から、蓮如上人を慕い、上人に導かれて成長したという。
 蓮如上人御影の、吉崎下向に随行する、貴重な体験を有し、大谷大学での卒業論文は、蓮如上人の研究であった。
 本書には、蓮如上人に対する著者の思い入れや、感情移入が、随所にみられる。しかし、それによって、本書の学問的価値を云々してはならない。
 著者は、吉崎、御文によって育まれた門徒衆の、上人に対する感情を考証しているが、同時に、著者自身の上人や門徒衆に対する感慨も、本書の各所に滲んでいる。いうならば、本書には、蓮如上人に対する門徒衆と、著者の両者の感性が、ゴブラン織のように、編みこまれている。本書は、上人をめぐる多彩な感性の史料となり、興味深く、貴重である。

 蓮如上人に対する本願寺門徒の感性については、今日、説法は勿論のこと、著述・論文などで、語り尽くされた観がある。しかし、その論調は、観念的、感傷的で学問的なものは多くないようである。勿論、宗教史一般にその傾向は強いが、それは、主観的な史料操作や、方法論の未成熟さに起因するものであろう。
 ところで、感性を問わない歴史研究の非について、既に早く、フランスのアナール学派 L`école des Annalesの人々が指摘している。その指摘は、当然、蓮如上人の研究にも該当するといってよいであろう。しかし今日、上人自身の感性はいうまでもなく、上人をめぐる人々の感性――特に、その宗教的感性や、時代・社会に対する感性――は、明白にされていない。
 たとえば、アンヌ・ヴァンサン・ビュフォー Anne Vincent-Buffault の名著『涙の歴史』HISTOIRE DES LARMESに、あやかった研究も必要であろう。即ち、仏法讃嘆や、上人渇仰の席で流される門徒衆の涙は、いかなる感性を物語るものなのか、その「涙の交換」が、いかなる機能をはたしたか、等々重要な課題となろう。また、その研究は、ビュフォーの『涙の歴史』の、空白部分を埋める効果をはたすことともなろう。
 人間感性の問題は、従来、「自明の理」として、あらためて問いなおされることはなかった。同感とか、共感ということで、安易に、感性の共通性、超歴史性を信じてきたからであろう。しかし、感性には、時代、地域による多様性と歴史性があり、その分析、究明は基本的な課題となろう。そうした複雑多岐にわたる課題を俎上にあげ、着実な研究を進めるならば、蓮如上人の研究や、真宗教団史の研究は、単なるセクトの研究領域を、はるかに越えて、世界史的課題にこたえる内容のものとなろう。また、その研究は、社会学や経済学、さらに、心理学や哲学、倫理学まで内包する、まさしく学際的研究に値する内容のものともなろう。

 著者の今後の、弛まぬ研究と、その成果を、心から期待している。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。