長崎奉行遠山景晋(かげみち)日記
清文堂史料叢書第114刊
荒木裕行・戸森麻衣子・藤田覚 編

長崎奉行だけでなく大坂町奉行など遠国奉行を勤めた人物の日記はいくつか知られている。御用留系のもののほか自筆日記もある。自筆日記記載の役務遂行の実相は、生身の奉行を通して新たな歴史像を鮮明に提示する。


本書の構成
 口絵
 遠山日記(文化九年・十年・十一年)
 註
 解説




  編者の関連書籍
  藤田 覚著 近世天皇論



ISBN4-7924-0602-1 C3021 (2005.12) A5 判 上製本 242頁 本体7400円
長崎奉行と長崎商館長、二人の日記の接点
東京大学史料編纂所教授 横山伊徳
 長崎奉行遠山景晋の日記(文化九年・十・十一年)が、この度荒木裕行、戸森麻衣子、藤田覚の三氏の尽力により翻刻出版される。長崎奉行時代の活躍がテレビ時代劇になった遠山は、のちに勘定奉行にまでのぼりつめ、能吏として歴史に名を残す人物である。しかし、彼の在任当時の長崎は、貿易で潤って景気がいい、とよべる状況にはなかった。遠山の長崎在職の課題は、緊縮政策実現にあったといわれる。ナポレオン戦争の影響を受けて、何年にもわたってオランダ船の入港を見なかったからである。
 バタヴィアから断絶された困難な状況の出島を切り盛りしていたのは、商館長ヘンドリック・ドゥーフである。彼もまた、本国帰国後はオランダ貿易会社重役に昇進し、一方でオランダ語辞書『ヅーフ・ハルマ』にも名をとどめるなど、商人としても文化人としても人並外れた才能を持っていた。彼のつけていた商館日記は、既に日蘭交渉史研究会『長崎オランダ商館日記』(雄松堂出版)として、翻訳出版されている。この東西の才人が、同じ時期に同じ町でそれぞれ日記をつけていたのである。
 二人は、遠山がレザノフ応接のために来崎したとき以来の再会であった。そのときは奉行の同伴者だったが、今度は違う。ドゥーフは遠山の出島での一挙手一投足を日記にしるし、「頼りになりそうだ」と見抜いている。ドゥーフが遠山の手腕を実感するのは、再会の数日後、長崎の大火においてである。遠山は、火の勢いから「様子次第早々舟にて立退せ可申候、其節伺候様にては手後れに相成候」と命じたのであった。出島の水門は直ちに開かれ、商館長たちは朱印状をもってかろうじて脱出した。遠山は「かひたん安心致難有旨申聞候」と日記に記している。そればかりではない。この命令を伝えた検使は、『商館日記』では トシロウ Tosiro としか判らなかったのが、遠山の日記は、彼が月番手付清水藤十郎であることを教えている。二人の日記は、奉行所と出島の間の出来事をつぎつぎに立体的に再現してくれる。多くの識者が指摘するように、長崎は現地(日本側)史料と外国史料とが共に豊富に存在する、歴史研究者にとって魅力的な研究対象である。荒木・戸森・藤田氏により『長崎奉行遠山景晋日記』を手にすることのできた私たちは、オランダ語史料が、長崎と日本のことを改めて微細に語り始めたことを実感している。本書を多くの人々に推薦するゆえんである。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。