近世武家言葉の研究
諸星美智直著
平成19年度吉川博士記念賞受賞
近世武家社会における言語の実態を解明



ISBN4-7924-1383-4 (2004.5) A5 判 上製本 530頁 本体13,000円
■本書の構成
第一部 総説 武家言葉の資料と場面
第一章 近世武家言葉の研究方法と資料
第二章 近世文書に見る武家社会の会話場面と言語
第三章 近世文書に見る武家と庶民との対話場面
第二部 徳川幕府における言語の諸相
第四章 幕府儀礼における奏者番の口上―国立国会図書館蔵『江戸城諸役人勤向心得』より―
第五章 『寛政重修諸家譜』における格助詞「の」「が」の待遇価値―幕府編纂書の文体をめぐって―
第六章 武家女性消息における女房詞
第七章 相応院お亀の方消息の音韻・語法
第三部 藩社会における言語の諸相
第八章 土佐藩主山内豊興の言行録における御意の口語性
第九章 土佐藩における御馭初の口上
第十章 武市瑞山文書から見た土佐藩士の言語
第十一章 近世武家社会におけるナ変動詞の五段化
第四部 吟味席における役人の言語
第十二章 善休寺春貞筆記『三業記録』所収『関東一件』とその言語
第十三章 『反正紀略』巻九所収の吟味控とその言語
第十四章 関東地方に伝存する吟味控類とその言語
第十五章 東海地方に伝存する吟味控類とその言語
第五部 遊里における武家客の言語
第十六章 打消表現
第十七章 ワア行五段動詞の連用形の音便
第十八章 自称代名詞
第十九章 対称代名詞
第二十章 近世武家の挨拶言葉
第六部 余録
第二十一章 人相書の言語事項
第二十二章 忍者・隠密と方言

近世武家社会における言語の実態を浮き彫りにする
國學院大學教授 中村幸弘
 近代共通語の成立に近世武家社会の言語が深く関わったことは夙に指摘されてきた。ところが、その実態については、武家社会の言語を反映する口語資料が乏しいため解明が容易でなく、また、近世の戯作に描かれた概念的な武家の会話をもって武家言葉の特徴を指摘する例が多く見られる。これに対して、本書は、「戯作のみに頼る武家言葉の研究は危険である」と指摘する。近世の戯作には口語性に優れた作品はあるものの、幕府がしばしば出した触書によって近世の現実の将軍家や大名家を実名で描写することは禁ぜられていたため、例えば、忠臣蔵を描く際には舞台を鎌倉に移し塩谷判官や高師直などの中世の武家に仮託していることに注意すべきである、とする。また、幕臣と藩士との相違も考慮せずに戯作における概念的で誇張された武家の会話文を分析するにとどめるため架空の藩士の言語を分析するという結果に陥ることも指摘している。
 本書では、第一部で武家言葉の研究方法として近世武家の口語を反映する古文書を求めてこれを分析するとともに、戯作ではより写実的に近世の武家を描写した作品を吟味したうえで分析を加えている。ことに、従来、言語資料としては利用されることの稀であった諸藩の口語文書や巡見使・関所役人の会話を記した文書などを十分に駆使して立論している。第二部では、徳川幕府の、第三部では藩社会の言語について古文書に拠って考察している。とりわけ土佐藩に関して、藩主の言行録、儀式専用の表現、および土佐藩士武市半平太の獄中から夫人に宛てた消息を資料として、藩社会のさまざまな場面における言語生活の実態が浮き彫りにされている。第四部は、筆者の独擅場である寺社奉行等における奉行・役人による吟味を口語的に記録した各地の文書類を用いて吟味席における言語の実態を考察したものである。第五部は、洒落本を中心に遊里における武家客の属性を吟味した上でその言語の実態を記述したものである。第六部は、人相書や忍学の奪口書、隠密の記録類に見られる方言意識について事例を広く求めて考察したものである。
 従来の概念的な武家言葉とは異なる、近世の現実の武家社会における言語の実態を解明した本書は、近代語研究の新たな扉を開くものであり、広く各大学の研究室・図書館、各研究者の机辺に架蔵されて活用されることを切望するものである。