尾張俳壇攷
―近世前期俳諧史の一側面―
服部直子著


元禄の尾張貞門の代表格東鷲に新たな光を当てる一方、従来尾張俳壇の主流とはみなされていなかった露川が長期にわたる相当数の門人グループを形成しており、尾張蕉門の統率者の一人であったことを明らかにする。また、木曾代官山村家の木曾・尾張・江戸間の大量の書簡の分析から、蕉風の地方への浸透ぶりを指摘する。本書こそは、地方都市から文学史を書き換えるべく、蕉風の発祥地尾張からもたらされた新たな風である。



本書の構成

まえがき

第一章 近世前期における尾張の俳諧
第二章 月空居士露川―行脚に至るまで―
第三章 露川門の実相
第四章 『軒伝ひ考』考―宝永四年露川美濃行脚―
第五章 『船庫集』の周辺
第六章 俳諧師の紀行―『国曲集』(正徳四刊)をめぐって―
第七章 東鷲小考―俳歴と撰集入集者をめぐって―
第八章 木曽代官山村家の俳諧交流―木曽と江戸―
第九章 木曽と名古屋―木曽代官山村家の俳諧交流(二)―
第十章 尾張俳壇と山村良啓―木曽代官山村家の俳諧交流(三)―
第十一章  俳書のなかの芭蕉と蕉風―尾張・三河―

資料篇
 月空居士露川年譜稿
 『山村家書状留』俳諧関係記事

  今後の展望
  初出一覧
  あとがき
  索  引


ISBN4-7924-1391-5 C3092 (2006.5) A5 判 上製本 366頁 本体8500円
尾張俳壇研究の新しい風
佐賀大学名誉教授 田中道雄
 服部直子さんが論文集をまとめられるという。華やかさを避け、常に実証を重んじ、丁寧なお仕事を重ねておいでだったので、心からお慶び申しあげたい。
 服部さんの研究は、芭蕉門人である露川についての伝記研究から始まった。多角的な方法をとる詳細な研究は、さらに俳壇状況の分析にまで及び、従来、否定的イメージがつきまとった露川に、尾張蕉門を率いて史的役割を担う功があったことを明らかにした。個々の資料を丹念に読んで、きめ細かく考察した成果である。
 本書の後半は、木曽の代官山村家の大量の書簡を読み解いて、俳壇の基層の動向に光を当てた諸論考である。例えば、山村家の江戸俳壇と名古屋俳壇との仲介者としての働きを解明して、中央・地方間の情報伝達や人的交流の実態を伝え、俳人達の芭蕉書簡購入の流行を指摘して、蕉門俳諧の地方への浸透を証するなど、俳壇の諸相を次々と照らしだして興味が尽きない。
 本書の対象になったのは、宝暦以前の時代で、地方各地の蕉門俳壇も確立に至らず、蕉風観も固定せず、いまだ流動の状況にある。本書は、この時代の尾張とその周辺の俳壇の姿を、美濃派さえもまだ俳圏が小さいなどと、まことにリアルに描きだした。
 服部さんは、自らの研究を地方俳諧史の立場と言う。蕉風の発祥地尾張は、まさに偉大なる地方であろう。この地のこの時代の俳壇が解明された意義は大きい。石田元季・市橋鐸に続いて錚々たる俳諧学者を輩出したこの地から、今また、フレッシュな新しい風がもたらされた。
「蕉風」を求めて―露川から木曾へ―
金城学院大学名誉教授 野田千平
 尾張俳諧研究の泰斗であった故石田元季、市橋鐸の両先生が本書を御覧になったら苦笑されるだろう。市橋先生は石田先生の意を承け露川を評して「彼はあくまでソロバンをはじく町人的風格に貫ぬかれていたようだ。これがために茶人的風格のある名古屋上流人士から毛嫌いされていたのである。この不人気ゆえに、行脚に出でざるを得なかったのだと、伝承まで残っている。」と言われた。本書はこれを見事に覆えし、露川を支持する名古屋俳壇の盛況を実証している(第三章)。
 著者はとかく評判のよくない露川を二十数年研究してきた。それは百二十三部におよぶ露川の入集俳書分析から始まった(第二章)。次いで手堅く露川の年譜作成へと進んだ(資料)。前者は学会誌「近世文芸」に、後者は「連歌俳諧研究」に取り上げられさい先良いスタートを切った。以後露川の行脚を追って『軒伝ひ』・『船庫集』・『国曲集』を取り上げ、露川が各地の俳人との交流から独自の行脚スタイルを身につけ、師芭蕉に重ね合わせていったと言う(第四〜六章)。
 一方著者は木曾の代官山村家の俳諧資料に巡り会う機会を得た(資料)。それは山村家七代目甚兵衛良及、同八代目良啓による江戸と名古屋の俳壇の動向に関する交信である。江戸の交信相手は良啓の実父山村十郎右衛門、名古屋の相手は点者反喬舎巴雀や尾張藩の上級武士である。江戸との話題は洒落風や不角に対する批評や蕉風復興、名古屋とは木曾からの加点依頼、名古屋俳書への入集、などに関するものである。中には美濃郡上の藩主金森頼錦の芭蕉真蹟入手への狂奔ぶりも興味を引く。露川以来「蕉門」「蕉風」を気にしていた著者は右によってますます刺激を受けたようである(第八章〜第十一章)。今後の「蕉風」研究が楽しみである。
 なお元禄の尾張貞門として有名な巨霊堂東鷲を取り上げた功績も見逃し難い(第七章)。