豊臣政権下の行幸と朝廷の動向
北堀光信著


「談合」という政治取引から歴史の表舞台の謎をとく。



■本書の構成

  ごあいさつ…………鎌田道隆

序 章

第一部 中近世移行期に催された三度の武家亭行幸

第一章 聚楽亭行幸の形成過程について
    はじめに――先行研究整理と派生する問題の所在
    第一節 聚楽亭行幸における公武間の交渉
    第二節 聚楽亭行幸の日時決定と延期理由の考察
    第三節 行幸の準備から見た聚楽亭行幸
    おわりに


第二章 天正二十年聚楽亭行幸について
    はじめに
    第一節 天正二十年聚楽亭行幸の形成過程
    第二節 天正二十年聚楽亭行幸の行列再考
    第三節 新任関白秀次の披露宴
    おわりに


第三章 近世行幸と装束料
    はじめに
    第一節 堂上公家の装束料下行について
    第二節 地下官人の装束料未下行訴訟について
    おわりに


第二部 近世地下官人社会の成立と行幸

第一章 三催の成立と行幸
    はじめに
    第一節 近世地下官人への下行経路の成立
    第二節 近世蔵人方の成立と出納平田の催官人化
    第三節 寛永十一年作成された行幸俸禄の訴状
    おわりに


第二章 近世成立期の並官人について
    はじめに
    第一節 聚楽亭行幸と袖岡景久
    第二節 朝廷儀礼における南座の役割
    第三節 堂上公家勧修寺家と袖岡景久
    おわりに


第三章 三方楽所の成立と南都楽人
    はじめに
    第一節 戦国末期〜織田期の南都楽人
    第二節 統一政権の天正年間における南都楽人
    第三節 文禄・慶長期における南都楽人
    おわりに


第三部 行幸における公武交渉と朝廷の対応

第一章 羽柴秀保と聚楽亭行幸
    はじめに
    第一節 「大和侍従」と天正十六年聚楽亭行幸
    第二節 「大和宰相」と天正二十年聚楽亭行幸
    第三節 「大和中納言」と文禄年間の儀礼
    おわりに


第二章 朝廷儀礼運営と統一政権
    はじめに
    第一節 「談合」の基礎的考察
    第二節 「談合」の具体像
    第三節 朝廷儀礼運営における「談合」の役割
    おわりに


第三章 朝廷の存続と天皇の下賜
    はじめに
    第一節 永禄、元亀年間の下賜
    第二節 村井貞勝への下賜
    第三節 玄以への下賜
    おわりに


終 章


補論一 羽柴秀保と一庵法印

    はじめに/第一節 聚楽亭行幸と一庵法印/第二節 羽柴秀保と一庵法印の関係/まとめ

補論二 羽柴秀保と豊臣政権 ――朝鮮出兵と大和支配の事例を中心に―
    はじめに/第一節 羽柴秀保の名護屋在陣/第二節 秀保の名護屋帰陣後における軍役/第三節 秀保領国と家臣分掌/おわりに





  ◎北堀光信(きたほり みつのぶ)……1977年兵庫県生まれ 奈良大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学 博士(文学)
奈良県立図書情報館勤務 2012年逝去



 
◎おしらせ◎
 
『日本歴史』第808号(2015年9月号)に書評が掲載されました。 評者 神田裕理氏



ISBN978-4-7924-1015-5 C3021 (2014.6) A5判 上製本 300頁 本体7,500円
実証的な歴史像の構築
     奈良大学名誉教授 鎌田道
 北堀光信氏は、平成二十年三月、奈良大学から博士(文学)の学位を授与された、若くて将来を嘱望される優秀な研究者でした。あまりにも早い旅立ちは、まことに残念であり、惜しむにあまりある才能と人格をもちあわせた学究の徒でした。
 北堀氏は、大学、大学院在学中はもちろん、社会に出られてからも、豊臣政権期の歴史研究に意欲をもってとりくまれており、いくつもの研究成果をあげ、学会誌にあいついで発表されてきました。そうしたなかで先輩や後輩の研究者との人的なつながりも大事に育まれ、礼儀ただしさや人としてのやさしさも培われていました。
 豊臣期の歴史研究にあたって、北堀氏がもっとも注視しておられたのは、文献史料を綿密にあたること、きっちりとした史料批判のうえで、史料にもとづく実証的な歴史像の構築でした。その学究的態度はずっと不偏であり、まことに立派であったと評価されます。氏の関心は、政治や経済の基礎構造についてよりも、豊臣期の公武間の儀礼や慣習とりわけ「談合」というこの時代特有の政治取引にこそ歴史の表舞台の謎を解く鍵があるという点にあったようです。そうした視点と綿密な史料研究から、聚楽行幸をめぐる公武間の交渉事例を具体的に丹念に実証されたことは、大きな業績であったといえます。
 北堀光信氏の研究は、史料研究そのものを基礎から実践してきたものであり、今後の研究者たちがかならず北堀氏の研究を通過することなしには、当該部門の研究を前にすすめることができないであろうという意味で、後輩たちに貴重な道筋をつけていただいたことになります。その成果に心から深謝し、深く哀悼の意を表します。


秀吉を迎え入れた朝廷の変化
     奈良大学文学部教授 河内将芳
 近年、ふたたび豊臣政権の研究が熱を帯び出している。その特徴は、なんといっても基礎的で、しかも具体的な史料にもとづいた実証研究の蓄積がすすんでいる点にあろう。本書もまた、そのようなながれのなかで生まれ出た貴重な研究成果といえる。
 本書の特徴は、これもまた近年活発に研究がすすんでいる豊臣政権と朝廷との関係について、行幸という朝廷儀礼に焦点をしぼって検討を加えたところにある。具体的には、秀吉によって築かれた「聚楽亭」(聚楽、聚楽城)への後陽成天皇の二度にわたる行幸(「聚楽亭行幸」)がおもな対象とされているところに大きな特徴がみられるが、とりわけ注目されるのは、その行幸がもたらした朝廷内の変化と影響について多くの頁が割かれている点であろう。
 通常、「聚楽亭行幸」についての研究といえば、豊臣政権側の意図や目的のほうに光があてられ、それらをとおして豊臣政権と朝廷との関係を論じるというのが一般的なスタイルである。そのことを考えれば、本書の独自性は際だっている。しかも、朝廷を構成する人々のなかでも地下官人とよばれた、下級でいながら、実際のところはその実務を担っていた人々やその社会への変化と影響に注視している点は、これまでの研究の空白を埋める大きな成果といえよう。
 秀吉が関白となり、「武家関白」として天下統一をなしとげたことは、あまりにも有名な事実である。しかしながら、それがなにゆえ関白であったのかという点は、単なる偶然ではないだろう。その背景には、武家である秀吉を誘引し、迎え入れた朝廷側の意図や目的もかならずやあったにちがいないからである。本書は、そのような朝廷側の意図や目的の解明を直接めざしたものではないが、各章で検討が加えられているさまざまな事実はそれに肉薄している。このジャンルをこころざすものにとっては必読の一書として、ながく読みつづけられることになろう。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。