■日本古代の歴史空間 | |||||
渡里恒信著 | |||||
「歴史空間(場)」の視点から、5~9世紀における氏族と人物、宮・陵・寺院などを読み解き古代社会の諸相を明らかにする。 ■本書の構成 第一編 古代の氏族と人物 第一章 大日下王と日下部 ―名代成立論への一視角― はじめに 一 大日下王殺害事件の史実性 二 河内の日下部 三 日向の日下部 四 畿内とその周辺の日下部 五 日下部成立の諸画期 おわりに─若干の補足─ 第二章 三重采女をめぐって ―重層する物語と歴史― はじめに 一 三重采女の歴史像 二 伊勢大鹿首氏と聖武天皇 三 三重采女・「天語歌」と記におけるその意味 おわりに─まとめと若干の補足 第三章 竺志米多国造について はじめに 一 特異な系譜伝承 二 来目皇子の筑紫派遣 三 忍海漢人の武器製造 四 息長氏と米多氏 おわりに 第四章 上宮と厩戸 ―聖徳太子私見― はじめに 一 古市説「上宮」への疑問 二 上宮の所在地 三 古市説「厩戸」への疑問 四 皇子女の名の由来 五 平群郡額田郷と馬 六 太子と熊凝寺と額田部氏 おわりに 第五章 真人賜姓氏族について ―近江・越前の「皇裔」を中心に― はじめに─本章の課題─ 一 太田・竹内説に対する批判説と問題の所在 二 息長・坂田・酒人公の成立 三 三国公の成立 四 記・紀所伝の相違の理由 五 羽田・山道公 おわりに 第六章 万葉歌人鏡王女と額田王の出自 ―最近の直木説に関説して― はじめに 一 従来の研究 二 忍阪谷の被葬者 三 鏡女王の定位と額田王の父鏡王 おわりに 第七章 県犬養橘宿称三千代の本貫 ―岸説への一異見― はじめに 一 岸説とその問題点 二 橘氏氏神の淵源 三 三千代と河内国安宿郡 四 付論・県犬養氏と田辺史氏 おわりに 第八章 桓武天皇の出自 ―婚姻居住形態をもとに― はじめに 一 山背大枝説への疑問 二 生母高野新笠の両親の本貫 三 高野新笠の生育地 四 桓武天皇の生育地 おわりに 第九章 橘嘉智子の立后について はじめに─従来の説─ 一 橘氏─嘉智子以前─ 二 嵯峨天皇と嘉智子をめぐる姻戚関係 三 嵯峨朝後宮の様相と立后 四 県犬養・橘氏と藤原北家の結びつきの背景 おわりに 第二編 古代史の「場」 ―宮・陵・神社・寺院など― 第一章 葛城カモの神の成り立ちとその推移 ―高鴨神を鍵として― はじめに─問題の所在─ 一 葛城カモ三神の性格 二 カモの神の分化と土佐遷祀 三 葛城「復祠」とその後 おわりに 第二章 住吉垂水神をめぐって はじめに 一 住吉垂水神と豊嶋郡垂水神社 二 住吉大社・垂水神社と関係氏族 おわりに 第三章 北陸道と久我国 ―ウミとクヌガ― はじめに 一 従来の説 二 巨椋池と久我国 三 琵琶湖と北陸道 おわりに 第四章 百済大井宮と百済大井家の所在地 はじめに 一 百済大井家─河内か大和か─ 二 百済大井宮と百済宮・百済大寺 おわりに─百済と磐余─ 第五章 蜂岡寺・葛野秦寺と北野廃寺 ―広隆寺の創立と移転をめぐって― はじめに 一 創立・移転についての史料と研究史 二 蜂岡寺と太秦広隆寺 三 「旧寺家地」と寺地狭隘説 四 野寺(常住寺)の性格 五 蜂岡寺=葛野秦寺(北野廃寺)の官寺化 おわりに 第六章 大宮に直に向かへる野倍(山部)の坂 はじめに 一 従来の諸説 二 野倍・山部と山辺 おわりに 第七章 桓武天皇陵と仁明天皇陵の所在地 ―両陵の位置関係から― はじめに 一 仁明天皇陵の位置 二 桓武天皇陵の位置をめぐる諸説 三 兆域からみた桓武陵の位置 おわりに 第八章 光孝天皇陵と仁和寺の成立 ―陵の位置を中心に― はじめに 一 福山説への疑問 二 大教院・円宗寺と光孝陵の位置関係 三 北院と光孝陵の位置関係 四 陵の位置と初期仁和寺 おわりに 第九章 円融寺(院)の所在地 はじめに 一 通説への疑問 二 村上陵・後村上陵と円融寺 三 円融寺の立地環境 おわりに 付 章 山城国葛野郡条里と「双ノ池」 あとがき ◎渡里恒信(わたり つねのぶ)……1946年 広島県生まれ 博士(文学・立命館大学) ◎おしらせ◎ 『日本歴史』第865号(2020年6月号)に書評が掲載されました。 評者 中村修也氏 |
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ISBN978-4-7924-1100-8 C3021 (2019.3) A5判 上製本 386頁 本体9,800円 | |||||
新視点と綿密な考証に基づく新しい古代史像の提案 |
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堺女子短期大学名誉学長・名誉教授 塚口義信 |
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待望の第二論文集が刊行された。第一論文集の『日本古代の伝承と歴史』(思文閣出版、二〇〇八年)が刊行されてから、ほぼ十年半になる。この間、渡里氏は古代日本に関する様々な論文を発表してこられたが、その諸論を中心に十九編を選び、本書を上梓された。冒頭に「待望の」と述べたのは、前著が学界から高い評価を受けているからである。そして本書もまた、それに勝るとも劣らない内容となっており、決して読者の期待を裏切ることはないだろう。 本書は五〜九世紀における氏族と人物、および宮・陵・神社・寺院などに関する個別的研究を通じて、古代社会の諸相を明らかにすることを試みたものである。それらすべてに共通する考察の視点は「歴史空間(場)」であり、これを手がかりに諸史料を分析する。これが本書の第一の特長である。例えば、「上宮と厩戸―聖徳太子私見―」(第一編第四章)において、聖徳太子の「上宮」という名号は青年期までの居所(上之宮遺跡)に由来し、「厩戸」とは太子の後半生の居所である斑鳩宮近くに集住していた、馬匹関係氏族の額田部氏との関わりから付けられた諱であったことなどを考証している。その歴史地理学的な視点は新鮮であり、かつ説得力に富んでいる。 近年、奈良・平安時代の研究が著しく進展したと評されているが、それ以前の時代についての文献学的研究は、遅々として進まざるの感が深い。それは依拠すべき史料が少ないことと『古事記』『日本書紀』などの文献史料に信憑性の問題があることなどによる。しかし本書は、こうした問題に正面から立ち向かっている。例えば、「大日下王と日下部―名代成立論への一視角―」(第一編第一章)は、王族奉仕集団としての名代の成立時期について、日下部を一つの事例として取り上げ、次のように論じる。日下部は、六世紀代に設定された部を大日下王の名に仮託したものではなく、実際に大日下王の時代にその前身集団(主体は王の外祖の諸県氏に関わる隼人系集団)が存在し、そののち雄略朝頃に名代としての部が成立したものであると。この提案は容易に決着しない名代論に一石を投じたものとして注目されるが、実はその本質は『古事記』『日本書紀』の信憑性を他の史・資料によって見極めることにあったと理解される。その意味においてこの論考は、誠に意欲的な試みであった。そして、こうした意識が『古事記』『日本書紀』に関わる本書所収のすべての論考に存在していることを読み取ることができる。これが本書の第二の特長である。 古代の歴史はいまだ解明されていない問題が山積しており、あたかも霧の中にいるがごとき観を呈している。本書はそうした問題について個別に考察を加えたものであるが、その視点と、史料に裏打ちされた緻密な考証がすこぶる興味深いのである。本書の刊行を機に古代史の研究が今後、よりいっそう活発に行われることを期待したい。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |