説話論集 第十六集
−説話の中の善悪諸神−
説話と説話文学の会編
●刊行のことば
 「神仏が側からのぞき込んでいる」(岡見正雄)という状況にあったのは、なにも室町時代の芸能や文学に限ったことではなかった。いつの時代にも、神や仏や、あるいはえたいの知れない何ものか、日常の生活を超えた何かが、この世界をのぞき込んでいた。日常の生活の根柢には不可思議な何かが、あった。
 しかし、そういったものがのぞき込むことが無くなる方向へと、社会は進んだ。日常の生活の根柢の不可思議な何かは、急速に消滅した。
 「近代化」とは「日常」の自立であったのかも知れない。
 日常の生活を超えた何かがこの世界をのぞき込んでいた、そのような世界に、多くの「説話」は生れた。
 説話には、それゆえ、多くの、さまざまな神が登場する。
 説話においては、「天神地祇」「諸仏菩薩」「諸神」「諸天」「異神」「善鬼神・悪鬼神」など、どのような名で呼称してもまとめきれない、さまざまな神格、あるいは神格とは言えないようなものまでもが、この世界をのぞき込み、この世界に入り込み、活躍し跳梁する。
 説話に描かれた世界の豊かさは、これらの神が創り出したものと言っても過言ではない。
 統一的にはどのように名づければよいのかわからぬそれらの神、仏教を原点とする座標では周縁に位置するあたりを主としてとりあげて、『説話論集 第十六集』は、「説話の中の善悪諸神」をテーマとした。
 神・仏・菩薩・天・魔・異人・超人・トリックスター、などなど、論考の対象は多岐にわたる。多様な視点からの多彩な議論を集めて本書は成った。
 この人の論考を読みたい、という編集担当者の学問的わがままを基軸にして成った本書は、ひとつひとつの論考の味の濃さが他の論考の味と絡み合って、いささか風変わりな味の論集となったが、多くの研究者の共感を得られることは、疑いの無いところである。
 豊かな説話の世界の根柢へとまなざしを向けた各篇、いずれも説話研究のひとつの画期となることであろう。
  平成十九年六月
説話と説話文学の会 池田敬子 出雲路修 田村憲治 芳賀紀雄 森眞理子 山本登朗



●本書の構成
愛染明王と性の神学−『瑜祇経』解釈学を起点とする中世日本の性と身体− 小川豊生
『頼朝之最期』における弁才天本身顕現譚を巡って 伊藤 聡
鬼子母は五道大神の妻なり 出雲路修
『日本霊異記』の神々 藪 敏晴
住吉明神説話について−住吉大社神代記から住吉物語におよぶ− 新間水緒
スサノヲの神性−悪神と善神− 寺川眞知夫
長谷寺の善悪諸神−特に童子を中心として− 横田隆志
孔子の伝説−「孔子項託相問書」考− 金 文京
伯耆富士と吉尾翁−『伊豆国奥野翁物語』を読む− 齋藤真麻理
済度される鬼神−続き因縁話の世界− 西山郷史


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ISBN978-4-7924-1358-3 C3091 (2007.7) A5 判 上製本 346頁 本体7000円