『西鶴名残の友』研究
−西鶴の構想力−
長谷あゆす著


井原西鶴の第5遺稿集『西鶴名残の友』は、虚実をないまぜにする語り口の好作品であるという。そこには「しる人はしるぞかし」という趣向が巧みに織り込まれているのではないか。諸編を再検討し、読み物としての意義を探る。


本書の構成

 序
第一部 『西鶴名残の友』の執筆時期
 第一章 成立にまつわる諸問題   一、版下自筆説・補作説をめぐって 二、元禄四年成稿説への疑問
 第二章 咄における事実設定   一、巻五の四「下帯斗(ばかり)の玉の段」−西吟(さいぎん)万句の季節改変−  二、巻四の四「乞食も橋のわたり初(ぞめ)」−其角(きかく)の西鶴庵訪問年次−
 第三章 執筆時期に対する新見解   一、年次推定の信頼度  二、随想的叙述と執筆時期  三、巻三の五、貞享期執筆の可能性

第二部 『西鶴名残の友』の構想
 第一章 巻二の一「昔をたづねて小皿」   一、笑いの仕掛け  二、一夜庵の主と謡曲『忠度(ただのり)』  三、もう一人の主人公
 第二章 巻三の五「幽霊の足よは車」   一、幽霊咄と謡曲『鉄輪(かなわ)』  二、膏薬登場の意味  三、浅香憤死事件  四、小姓騒動の発端  五、世にも恐ろしき嫉妬  六、西鶴の「ぬけ」
 第三章 巻四の五「何ともしれぬ京の杉重」   一、「あけてうれしき」もの  二、明石藩主松平信之の俤(おもかげ)  三、不老酒登場の意味  四、人丸社庇護と謡曲『浦島』  五、蓬莱世界の見立て  六、西鶴と才麿の存在意義
 結び   一、『名残の友』という書名  二、『名残の友』の世界


ISBN978-4-7924-1401-6 C3091 (2007.9) A5 判 上製本 242頁 本体5800円
西鶴註釈の最先端
佐賀大学教授 井上敏幸
 新しい時代の新しい注釈によって、古典は繰り返し生まれ変わりうるものだとすれば、我々は、今まさに、新しい西鶴の作品『西鶴名残の友』を手にしたことになる。
 従来の年譜的事実の考証と語彙考証とを金科玉条とした注釈は、ややもすれば事実へのこだわりに傾き、西鶴作品の一大特徴である俳諧的自由の発想と咄の自在さが躍動する作品世界そのものを解読しうるものではなかったように思う。対して、本書が新しい注釈たりえているのは、従来年譜的「事実」とされてきたものの中に、フィクションがあり、西鶴が意図的に改変した「事実」があり、さらに創作された「事実」設定があることを、一篇の咄の構想、また、表面的な笑いの奥に隠された咄の脈絡の中につきとめることに成功しているからである。
 西鶴が俳諧師であったこと、また、咄のプロであり、咄の姿勢が西鶴作品に顕著であることも言われて久しいことであるが、西鶴の俳諧的自由の発想が、どのように咄の構想、あるいは咄の趣向にからみあっているのか、といった具体に則した注釈は、必ずしも意識的になされているわけではなく、また方法化されているともいえないように思う。俳諧的発想の解明に、付合語に注意することは一般化しているが、付合語自体の注釈を通して、題材や素材を探し出し、場面/\のモチーフやイメージを確認し、さらに翻案のなかに織り込まれた仕掛けや演出を見い出そうとする注釈手法は、まさに本書の独壇場であり、新しい注釈のあり方を提示したものといえよう。
 ともすれば、現在も、俳人についての随筆風の軽い笑話として片付けられることの多い『西鶴名残の友』が、一般向けの軽い笑いの奥に、時代のトピックとなった咄を、巧に仕組んだ奥深い咄の世界を有する作品であり、その仕組まれた謎を読み解くところに、「読み解く咄」としての『名残の友』の醍醐味があることを、本書は余すところなく論じており、本書の注釈過程自体に、西鶴が仕掛けた謎を読み解いていく面白さが満ちているといってよいように思う。
 西鶴研究者の必読の書であることはいうまでもないが、西鶴愛好家諸氏にも一読を薦めるゆえんである。
『名残の友』駄作説を一掃するシェフの辣腕
青山学院大学教授 篠原 進
 一流の料理人には、二つのタイプがある。一は食材を徹底的に吟味し、新鮮な生ネタで勝負するいわば素材派。二はありふれた食材を絶妙な包丁さばきで垂涎の料理に変える職人肌のシェフだ。
 偽作・補作説が根強く残る点に明らかなごとく、西鶴の第五遺稿集『西鶴名残の友』〔元禄十二年(一六九九)〕は、必ずしも良質な「食材」と見られていなかった。理由は、今さら言わない。いずれにせよ、身辺雑記的で文学性の希薄な駄作とされていたのだ。
 そんな色褪せた「食材」を、ひとりの若い料理人が高級懐石に一変させた。題して「『西鶴名残の友』研究」(清文堂出版)。気鋭の西鶴研究者として今もっとも注目されている、長谷あゆす氏の処女論文集である。
 真っ先に読むべきは本書の白眉、第二部(『西鶴名残の友』の構想)第二章「巻三の五「幽霊の足よは車」」だ。二年半前『文学』(二〇〇五年三月号)誌上に発表され、学会に衝撃を与えたことは記憶に新しい。舞台は出羽国恋の山。階段を踏み外して腰を痛めた幽霊に主人公が膏薬を与えるというシュールな内容。氏はその裏に俳人でもあった内藤風虎家のお家騒動が、いわゆる〈ぬけ〉として巧妙に提示されているというのである。
 「足弱車」(謡曲『鉄輪』)、膏薬、膏薬で有名な駿河清見寺前の藤の丸、内藤風虎家の家紋(藤の丸)、その子義孝(幼名藤丸)と義英の世継ぎ争い、家老松賀族之助の野望、忠臣の牢死と不吉な予言などなど。長谷氏は四〇〇字詰原稿用紙三枚にも満たないテキストを鋭く凝視し、想像力をしなやかに飛翔させながらそれを三〇倍に膨らませて内藤家のドロドロしたドラマを透視して見せたのである。
 凡庸な「食材」を一変させる、長谷氏の魔杖。眼から鱗の落ちる思いを体験した読者は、無価値とされたものに命を与え新しい価値を見出す文学研究の醍醐味を知ることになるだろう。
 「何か勉強していないと落ち着きません。いつその時が来るのか恐怖はありますが、研究者としては研究をしないでは本当の生き方とは言えないので」。「あとがき」には、恩師でもあった故・乾裕幸氏の痛切な励ましのことばが記されている。本書は死の直前までも師であり研究者であり続けた乾氏の思いに支えられた学位論文でもあるのだ。
 妖精の誘う、西鶴という表象の森。その内部はすこぶる魅惑的だ。