神仏説話と説話集の研究
新間水緒著


本書の構成

第一編 八幡宮説話の研究
  第一章 八幡宮巡拝記
  第二章 八幡宇佐宮御託宣集
  第三章 八幡愚童訓とその影響
  第四章 八幡信仰と説話

第二編 神仏説話の諸相
  第一章 神仏説話の背景
  第二章 物語と社寺

第三編 説話と説話集の研究
  第一章 今昔物語集と大和物語
  第二章 古本説話集と宇治拾遺物語

  初出一覧
  あとがき
  索 引



ISBN978-4-7924-1406-1 C3091 (2008.3) A5判 上製本 544頁 本体12,000円
神仏を読む・中世を読む
出雲路 修 国文学者
 「中世」という時代には、文学や芸能は「傍から神仏が屡々のぞき込んでゐる」(岡見正雄『室町ごころ』)という状況にあった。と言うよりはむしろ、神仏の世界のまっただ中にこそ文学が存在した、と言うべきなのかもしれない。このような時代、このような文学状況での諸作品を、本書は考察の対象とし、時代を、作品を、読み解いてゆく。
 「作品は、しょせん、読者の能力の水準に応じてしか存在しないし、また、時代の能力の水準に応じてしか存在しえない」(佐竹昭広『下剋上の文学』)といった発言は、研究者にとっては、作品を読み解くうえでの重要な指針であるが、ひとつの桎梏でもある。
 じっさいには、その作品が生まれた「時代の能力の水準」を測りながら読み進むことの予想以上の難しさに多くの研究者は当面する。とりわけ「中世」という時代には、作品のみならず、作品と、「のぞき込んでゐる」神仏との複雑に絡み合い縺れ合った糸を、注意深くほぐしてゆくことの困難さがあるのだ。
 絡み合い縺れ合った糸は、本書ではどのように解きほぐされているのか。「中世」という時代、そこに生まれた作品は、本書においてどのように読み解かれているのか。熟読玩味すべき、美味芳醇なる「楽しい」書物である。
 著者の関心は八幡神へと向けられている。「他の神祇に先駆けて固有の神祇信仰と外来の仏教の融合を進め、神でもなく仏でもなく、神仏が渾然一体となった信仰の世界を培ってきたこと」(本書「あとがき」)が「本質」とされる八幡神の、信仰の中核をなす書物群『八幡宮巡拝記』『八幡宇佐宮御託宣集』『八幡愚童訓』が、まずは読み解かれる。眼前の書冊から考察は始まり、精緻な読みが重ねられてゆく。論はまず個別の書冊の世界を明らかにし、さらにそれを超えて、「巡拝記」へ、「説話集」へ、あるいは「八幡宮巡拝」「八幡信仰」へと展開する。視界の広さ・射程の深さを感じさせる記述に、多くの読者は出会うだろう。
 さらに、神仏習合説話や『発心集』の神祇説話の考察へと叙述は展開する。随処に立ち顕れる神仏の姿。「神でもなく仏でもなく、神仏が渾然一体となった信仰の世界」が、読者に示される。作品と、「のぞき込んでゐる」神仏との複雑に絡み合い縺れ合った糸が、ここに注意深く解きほぐされているのである。
また、叙述の随処に揺曳する八幡神の姿にも読者は心をとどめるべきであろう。八幡神こそが中世を解き明かす鍵のように、わたくしには感じられた。
 あるいは、『今昔物語集』『古本説話集』『宇治拾遺物語』といった作品が考察される。
 いずれも眼前の書冊から考察は始まり、精緻な読みが重ねられてゆく。
 ここに、本書の方法の特徴がある。眼前の書冊へのこだわりが本書の随処にみえる。
 研究者がともすれば陥りがちな、いきなりの虚空への軽挙ではなく、眼前の書冊にまずはこだわった考察がおこなわれる。精緻な読みが重ねられてゆき、個別の書冊の世界を明らかにし、さらにそれを踏まえての飛翔がなされる。
 眼前の書冊についての精緻な読みを助走として飛び立つ飛翔は、力強く、また高い。