忠臣蔵初期実録集
山本 卓編



最近復権しつつある講談の種本でもある実録。赤穂事件も事件後早々に実録化されていたあたり、幕府再審判決以前から実録的写本が流布し始めていた越後騒動同様といえよう。吉良義央の貪欲や勘定担当の家老大野九郎兵衛の臆病等事件後数年以内に人物像が固まっていたり、堀部安兵衛の高田馬場の決闘、武林唯七母自害、南部坂雪の別れといった逸話の原型も形成されていることを知り、また春秋時代の予譲の仇討ちといった漢籍中の故事の盛り込み等、史実から離れた意味で味読の価値があろう。



■本書の構成


はじめに  凡例

介石記  巻第一~四 別記第五

新撰大石記  巻第一~八

通俗演義赤城盟伝  巻首 巻之一~九

解 題



  ◎山本 卓
(やまもと たかし)……1956年 大阪市生まれ 関西大学文学部教授 博士(文学)




  編者の関連書籍
  山本 卓著  舌耕・書本・出版と近世小説



ISBN978-4-7924-1453-5 C3039 (2020.9) A5判 上製本 424頁 本体16,000円

  
山本卓氏『忠臣蔵初期実録集』を推薦する ―講談「赤穂義士伝」の濫觴―

大阪大谷大学文学部教授 高橋圭一  


 講談が最近復権しつつあるらしい。

 百年ぶりのブーム、との声も耳にするし、メディアへの登場も増えた。

 山本卓氏の編書に含まれる「実録」は、実は江戸時代に作られた、講談の種本である。講談師が書くこともあったし、でなくとも講談師に読み物の種を提供した。赤穂浪士の義挙も事件後早々に講談として読まれ、実録が生み出されたことについては、著者の主著『舌耕・書本・出版と近世小説』(清文堂 平成二二年)に、卓論「舌耕者都の錦」が収まる。

 書名の「初期」は、宝永期以前を指す。宝永は一七〇四年から一一年。吉良邸討入が一七〇二(元禄一五)年、切腹が翌二月であるから、僅か十年足らずの間に、作られたことになる。一七四八年初演の『仮名手本忠臣蔵』より遥か以前である。氏が「忠臣蔵」を書名に入れたのは、一般に馴染が深いという配慮であろう。講談の世界だと「義士伝」と言われる。二〇一九年に国立文楽劇場で三回に分けて、「仮名手本忠臣蔵」が通しで上演されたのは、記憶に新しい。氏の判断は恐らく正しい。ただ、講談人気が続いて定着するならば、「義士伝実録」が世間に通用する日も近いかもしれない。

 講談の種となった実録の取材源は、口上・覚書・申渡し等の公的資料と風説書(当時の噂)であった。本書所収の三作にも、特に公的資料は、そのまま多く引用されている。やや生硬の感は否めないが、三作はいずれも、殿中刃傷・内匠頭切腹・赤穂城請渡し・浪士たちの離合集散・討入り・義士の切腹までの、筋を通して語っている。赤穂事件とはどういう経緯を辿った事件であったのか、浅野内匠頭・吉良上野介・大石内蔵助等はいかなる人物であったのか、実録に拠って読者は知ることができた。現代の我々からすれば、実録を読むことにより、当時の人の常識・身近な歴史としての赤穂義士伝を知ることができる。本書を歴史ファンに推薦する。また、江戸時代を通じて最も知られた事件の顚末を創作も交えて記し、貪欲な吉良上野介、臆病な大野九郎兵衛といった悪役像も、既にかなり鮮明に描き出している。小説好きの読者の満足も得られよう。

 講談義士伝の濫觴と思って読むと、堀部安兵衛高田の馬場の決闘・武林唯七母の自害・南部坂雪の別れなどが簡略乍ら記されているのに気付く。『新撰大石記』巻第六「片岡が下人元助の事」は、今もよく読まれる「忠僕元助」の原話と言ってよい。引き揚げてきた義士たちに元助が蜜柑を配ることもある。このような例はまだまだあろう。講談愛好者にも、是非一読をお薦めする。

 贅言ながら。山本氏を知る者の間では、氏の豊富な蔵書はつとに有名である。『新撰大石記』の底本は氏の蔵本であり、『介石記』『通俗演義赤城盟伝』でも対校本として氏の蔵本が用いられている。江戸人の需要が大きかったので、実録の伝存数は多いと言っても、近世前期の物となると極端に数は減る。氏は長い時間をかけて収書し、諸本調査を重ねて、慎重に論を構築されてきた。しかし、収書・諸本調査は、どこかで一旦打ち切らねば、きりのないことになってしまう。氏の研究が、この「きりのない」ことになるのでは、という危惧を私は密かに抱いていた。今回の本書出版は、誠に時宜を得た企画である。氏と共に慶びたい。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。