百人一首を読む
幕末・嵯峨山人の口語訳とともに
小林千草著



日本人必須の古典的教養である百人一首。藤原定家の選歌眼を解剖すると同時に幕末の名口語訳をものした「嵯峨山人」の正体に迫る。幕末から明治にかけての「お国ことばが行き交い、話が全く通じなかったというのは、誇張された一面」と考え、「言語の疎通と豊かなやりとりは、国力の第一」とし、「近代西欧の婦人と伍して交流でき」た背景としての受講者の武家女性の教養にも目を向ける。


■本書の構成


口絵

◇総序 言語文化遺産としての百人一首を読み継ぐ


百人一首を読む 
幕末・嵯峨山人の口語訳とともに
 はじめに
 (以下、百首の歌句と解説。本書26〜231頁)
 おわりに
 参考文献等


付章 「嵯峨山人」は、誰か
(本書233~284頁)
 一 和本『さが山のしをり』の「嵯峨山人」を推定する(その一)
 二 和本『さが山のしをり』の「嵯峨山人」を推定する(その二)
 三 和本『さが山のしをり』の「嵯峨山人」を推定する(その三)
 四 嵯峨山人=古川松根
 五 古川松根と勤王志士有馬新七
 六 「兵部様の奥方様」はじめ「百人一首」を学んだ幕末女性たち

◇本書のおわりに
  「百人一首」を好きになれば、おのずと古典力はついてくる

あとがき

付録 下の句・作者からたどる本書の目次



  ◎小林千草
(こばやし ちぐさ)……1946年生まれ 元東海大学教授 博士(文学)東北大学 佐伯国語学賞・新村出賞受賞



ISBN978-4-7924-1455-9 C0092 (2020.4) 四六判 上製本 303頁 本体5,600円
   言語文化遺産としての百人一首を読み継ぐ ― 幕末期成立『さが山のしをり』の〝嵯峨山人〟の口語訳とともに
 小林千草
 百人一首は、古典の中では知名度が高いものの一つでしょう。小学校高学年で、カルタとして親しむ、中学・高校では古典教材として文法とともに学ぶ、大学受験では古典文法の手っ取り早い暗記物(あんきもの)として丸呑みした……など、思い出もそれぞれでしょう。

 そして、年を重ねるにつれ、正月のカルタ遊びも遠のき、百人一首そのものも読むこともなく、日々の糧
(かて)を得るための生活に明け暮れしていく。これも人間(ひと)が生きていくために必要な流れです。しかし、充分働いて、社会の第一線から引退したなら(あるいは、若くとも、それと同じ心のゆとりを持ち得るならば)、もう一度、改めて――新たな気持ちで、百人一首を読みませんか。もはや、何々のためにではなく、文化遺産として私たち一人一人が所有する「百人一首」を、心のおもむくときに、好きな場所で好きな格好で、読むのです。

 西暦六〇〇年代から一二〇〇年代の約六〇〇年間の、日本歴史上の心豊かな一〇〇人の歌が、その人の生い立ちから恋、仕事、信仰、最期の有り様まで含めて、並んでいるから壮観です。

 一〇〇人の歌は、一〇〇人の人生曼荼羅です。一度、カルタ遊びのような並べ方ではなく、絵付きの読み札の方を、この本の「目次」にある歌番号順に一〇首一〇列に並べてみてください。すでに亡き一〇〇人の方々を廻向する曼荼羅に見えませんか。あるいは、一〇〇人の男女の「私はかく生きたり!」というメッセージが聞こえてきませんか。

 これこそ、「百人一首」が、現代、そして、未来に持つメッセージ性だと思います。古典文学の世界に収まり済むものではないのです。

         *

 現在
(いま)、この本を通して、「百人一首」を読み直すことは、〝言語文化遺産としての百人一首を読み継ぐ〟ことになります。博物館や美術館の展覧会で文化遺産を鑑賞することも、未来への継承行為ですが、自宅で好きな時に、好きな格好で、のんびりと「百人一首」を読み直すと、その余慶は家族や友人ににじみあふれ、いつしか、立派な〝読み継ぎ〟がなされることでしょう。

 そのような、可能性を感じ、また、そうなるように祈りを込めて、この本を紡ぎました。

 日本語の歴史の研究者である私にとって、『源氏物語』『百人一首』は言語資料の一つですが、国文学者の多くがなさるのと同じく、いつか、自分の生きる時代のことばで口語訳してみたいと思うようになりました。『源氏物語』については、江戸時代の蒔絵師
(まきえし)で『絵入源氏物語』の編者となった山本春正の挿絵全葉を収録して、挿絵部分は全訳、他の部分は適宜簡潔に口語訳していく(私に「簡訳」と名付けた)という方式で『絵入簡訳源氏物語』上・中・下三巻を平凡社から刊行することが出来ました。つまり、山本春正と私のコラボレーション作品です。

 全く同じことが「百人一首」でも兆
(きざ)していました。口語訳も、自流に試みていました。しかし、今ひとつ気に入らないのです。そのような時、研究資料として求めた和本『さが山のしをり』の歌の訳部分に、「これだ!」と思いました。その深さ、軽妙さに脱帽です。今まで、読んだどんな現代語訳にも優(まさ)っていました。すぐ、〝百人一首を読み継ぐ〟、つまり、「受容史」として、この口語訳をそのまま生かそう、と思い立ちました。

         *

 幸い、月刊『望星』(東海教育研究所刊)において、平成二六年(二〇一四)四月号より、「千年の百人一首 わかる・なっとく 江戸の名講義で学ぶ」という連載が始まり、平成三〇年六月号で無事完結することが出来ました。そして、しばし、熟成の時を経て、今、単行本化するところに至りました。『望星』連載分に、紙面字数調整のため割愛せざるを得なかった部分を元原稿や下書きどおり補うだけではなく、各首の末尾には「百人一首」構図(構想)から見た、当該和歌に詠
(うた)われた語彙の初出や重複のあり方に言及し、今まで気づかれにくかった藤原定家の深層の構図(構想)――彼が身や骨を削る思いで成したであろう歌選びでの苦労を追証しました。また、連載のはじめには〝嵯峨山人〟(さがさんじん)と仮称した架蔵『さが山のしをり』の著者について、さらなる探究の跡――ついにある固有名詞に至る過程をご報告いたしたく、「付章」(本書233~284頁)を設けました。これら書きおろしを加えることで、連載時よりは質量ともに成長した内容になったのではないかと、安堵しております。

 「付章」の種明かしは、ここではひかえますが、たとえ〝嵯峨山人〟が誰であったにしろ、江戸後期~幕末期のことばで、粋
(いき)に、軽妙に、男女の機微や人間(ひと)の本音を的確に掬(すく)いとって語れるなんて、すごいことなのではないでしょうか。本書で、〝嵯峨山人〟の訳とコラボレーションできたことを、「百人一首」受容史――〝言語文化遺産としての百人一首を読み継ぐ〟――の新たな一ページと成したいと思います。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。