日本説話索引 全七巻(既刊五巻)
説話と説話文学の会 編
  刊行にあたって
 『日本説話索引』が、ようやく刊行されることになった。手元の記録によれば、出版準備が始まったのは昭和五十五年(一九八〇)。それから実に四十年が経過している。

 当初四年後に予定されていた刊行がここまで延引したのは、採録と編集を依頼されたメンバーが、いささか過剰なほど大きな意欲を持ち、対象作品を最大限まで増やしたことによるところが大きい。採録対象の作品は、おおよそ室町時代を下限とする総計百六十七点。原則として翻刻されたものを対象にしたが、注釈のないものも多く、計画するのは簡単だったが、実際に取り組んでみると予想を超えて厖大な時間が必要だったのである。

 多くの人々にさまざまな形で助けられながら、採録は粘り強く続けられた。専用のカードに要旨などを手書きで書き入れるという、現在からは考えられない素朴な方法で集められた原稿カードは、五十音順に整理され、専用のケースに入れられて保存、整理されながら少しずつその数を増やし、最終的には専用ケース百七十箱にまで至った。

 その後、若い世代にも新しくメンバーに加わってもらい、採録もパソコンを使って行われるようになり、集積した原稿もデータ化されて、ようやく採録は最終段階に近づいていった。最終的に採録されたカード数(説話要旨の総計)は、四十万項を越えている。 データの量が厖大で、また作業が長期間に及んだため、方針変更の徹底や全体にわたる点検などは、力を尽くしたにもかかわらず、完璧に行うことが困難であった。さまざまな問題点がなお残されていることも予想されるが、どうかご容赦の上、今後の改訂のために情報をお寄せいただきたい。

 この『日本説話索引』は、「説話」の概念を広く捉え、さまざまな性格の「説話」をできるだけ多く採録したところに特徴を有する。また、単にその語の所在を示す索引ではなく、その「説話」の要旨を掲載して、「読める索引」を目指している。長い時間をかけてようやく完成した本書が、多くの人々に利用され、さまざまな形でお役に立つことを、編者一同、心より願うものである。

 最後に、これまでご助力いただいた多くの皆様に、そして、四十年間この企画を見捨てることなく、常に我々を支え続けてくださった清文堂出版前田博雄氏に、心より御礼申し上げたい。とりわけ、同社の担当として長らくご尽力いただきながら刊行を見ることなく他界された故前田保雄氏に心からの謝意を表するとともに、すでに世を去った編集委員・故田村憲治氏および故芳賀紀雄氏にも今回の刊行を報告して、ご冥福をお祈りするものである。

 二〇二〇年四月

  説話と説話文学の会
   池田敬子 出雲路修 田村憲治 芳賀紀雄 森眞理子 山本登朗 朝比奈英夫 柴田芳成 白井伊津子 中嶌容子 橋本正俊 森田貴之


 


第一巻 
あ〜か


  
さらに詳しい内容はこちらから(PDFファイル 17.5 MB)


ISBN978-4-7924-1459-7 C3592 (2020.5) B5判 上製本 1119頁 本体22,000円


第二巻 
うひ


ISBN978-4-7924-1460-3 C3592 (2021.7) B5判 上製本 1093頁 本体22,000円


第三巻 
うふ


  
さらに詳しい内容はこちらから(PDFファイル 9.4 MB)


ISBN978-4-7924-1461-0 C3591 (2022.10) B5判 上製本 954頁 本体22,000円


第四巻 
よ〜



ISBN978-4-7924-1462-7 C3591 (2023.8) B5判 上製本 1,130頁 本体22,000円


第五巻 
よ〜



  さらに詳しい内容はこちらから(PDFファイル 5.3 MB)


ISBN978-4-7924-1463-4 C3591 (2024.10) B5判 上製本 1094頁 本体32,000円
  時空をあおぐ、伝承の海
国際日本文化研究センター 教授 荒木 浩   
 この索引には「愛」があり、目覚めて悟る「朝」もある。

 譬喩ではない。第一巻を繰れば、すぐに出会う項目だ。巨大な説話インデックスを彩る、実り豊かな枝葉である。

 骨格は、歴史ある大木で『日本説話文学索引』という。一九四三年に、日本出版社から刊行された。昭和の初めに、国文学者石山徹郎と風巻景次郎の指導のもと、大阪府女子専門学校の学生六人が、日本説話文学研究の一環として作成した、大量のカードが発端という。戦後の一九六四年に清文堂が復刊し、十年後の一九七四年、増補改訂版が世に出る。今でも私が愛用する縮刷版は、その二年後、一九七六年の出版である。

 そのころから説話研究は、空前の活況を呈するようになる。研究の方法や資料の発掘も飛躍的に進展した。国語学者の大塚光信氏より『日本説話文学索引』の根本的大改訂が提案され、「説話と説話文学の会」が作業を開始するのは、一九八〇年のことだ。

 説話索引改訂の経緯と進捗については、かねてより関心があった。阪神淡路大震災後の一九九七年、国文学研究資料館研究情報部の助教授を併任した私は、「説話データベース化に関する研究開発会議」という共同研究を組織し、メンバーの一人に田村憲治氏を招いた。田村氏によれば、すでにカードは三〇万枚に及び、構想の九割方は達成した、という。当時、京都の光華女子大学にお勤めだった山本登朗氏の眺めのよい研究室を訪問し、カードの実物を拝見したことも、今では懐かしい想い出である。

 同年十二月、共同研究の成果報告を行い、翌一九九八年十月に『第3回 シンポジウム コンピュータ国文学 講演集』(国文学研究資料館)所収の一篇として活字化した。

 あれからもう、二〇年以上の時が経つ。

 そして昨年、二〇一九年六月下旬のこと。早稲田大学で開催されたシンポジウムの懇親会で山本氏と同席し、ついに完成版が出るよ、と聞いた。文字通り、驚喜の僥倖である。

 時代を跨ぎ、書名から「文学」の縛りもとれた。説話の海は、より大きなコンテクストへと解放されて、ようやく全貌が姿を現す。紙面の随所に、めくるめく説話要素がちりばめられ、膨大な典拠文献への指示を付して、知の編み目へと連鎖を誘う。

 これは、通読してみるしかない。かつての学者たちが、群書類従の読破に挑んで、学問の根幹を築いたように。そして、無限の発想の源として。
 (第一巻刊行時にお寄せいただきました)
  研究が変わる、教室が変わる―  『日本説話索引』の拓く新時代―
青山学院大学文学部日本文学科教授 佐伯真一   
 待ちに待った『日本説話索引』がついに刊行される。こんなに待望した書物はない。私は学生時代からずっと『日本説話文学索引』(以下「旧索引」)のお世話になってきた。自分で持っているのは増補改訂版の縮刷版だが、あの小さな本はどんなに大きな事典よりも役に立った。類話探しは説話研究の基本中の基本である。文字列の検索はパソコンで容易にできるようになったが、固有名詞でも固定的な文字列でもない、たとえば「占い」「嫉妬」などというテーマに関わる説話を探そうとすれば、まずはこの旧索引に頼るしかない。また、現在の大学に勤めるようになってからは、日本文学科の一年生に、旧索引を引いて類話を調べるという課題を毎年のように課してきた。これは学生たちにとっても興味深いようで、四年生になってから「一年生の時にやった、あの調査が面白かったので、その延長で卒論を書きたい」という学生がしばしば現れる。

 だが、旧索引は一九四三年初版。今となっては採録作品の底本が古いのはしかたない。また、採録作品は説話集が中心で、それ以外は少なかった。ところが、この新しい『日本説話索引』は、採録作品数を単純に数えても旧索引の約四倍、『太平記』も『北野天神縁起』も『古今序聞書三流抄』も『和漢朗詠集永済注』も『冷泉家流伊勢物語抄』も『法華経直談抄』も文明本『節用集』も『藻塩草』も入っている。底本も一新され、現在最も使いやすく信頼できるテキストが選ばれている。そして何より驚嘆するのは見出し語の豊富さである。第一巻の冒頭を見ると、「ア」のつく項目は、「阿(地名)」「唖」「阿」「嗚呼」「阿夷」「藍」「愛」「あいうつつない」「相生」…と続く。「秋鹿(アイカ)郡」から始まっていた旧索引とは次元が違うと言わざるを得ない。

 単に説話の所在を示す索引ではなく、一つ一つの項目がそれぞれの説話の要点を的確に示してくれるので、索引を読んでいるだけで「こんな話もあるのか」「こういう話が多いのか」と、日本文化のさまざまな断面が見えてくる。そうした経験を、誰でも、いとも簡単にできるようになったわけである。全七冊に及ぶ、この巨大な索引が、これから文学や文化史・宗教史・思想史など人文科学諸分野の研究を、そして学生たちの学び方を大きく変えてゆくことは疑いない。私も新時代の尻尾ぐらいにはついてゆきたいものである。
 (第一巻刊行時にお寄せいただきました)
  ファンタジーの源へ
小説家 松村栄子   
 美容院へ行くと、担当の若いひとがやたら気を使って話しかけてくれます。先日、休みには何をしていたか聞かれたのでお能を見ていたと答えたところ、一瞬手を止めて、それは難しそうですねと困ったように笑いました。

 たしかに最初は取っつきにくいかもしれないけれど、お能の筋は決して難しいものではありません。最近見た『羽衣』などは、誰でも知っている〈天
(あま)の羽衣(はごろも)のお話です。けれど、そう言うわたしを若い美容師さんはきょとんと見つめるばかり。いや、だから三保の松原で天女が水浴びしていたら……。

 結局、お能についてではなく〈天の羽衣〉から語らねばならなくなり、ほんとうにびっくりしました。今の若いひとにとって羽衣伝説は知っていて当たり前のお話ではないようです。

 なるほど現代にはドラえもんやらプリキュアやら新しいお話やキャラクターが溢れています。昔話などなくてもこと足りるのかもしれません。しかし、そうした新しい物語を生み出すひとびとの想像/創造の元になるのは、記憶の深いところにしまわれている古い物語群だという気がします。羽衣伝説から着想されたアニメやコミック作品はいくつもあるのです。

 お能の『羽衣』を書いたのは誰なのか今のところわかっていませんが、作者がどのような伝承(説話)を元に創作したのかは、この『日本説話索引』を引くとよくわかります。各地にさまざまな羽衣伝説があったこと、羽衣を失った天女が見る見る衰えてゆく〈天人五衰
(てんにんごすい)〉の様、極楽に啼く〈迦陵頻伽(かりょうびんが)〉という鳥、衣を取り返した天女が欣喜して舞う〈霓裳羽衣(げいしょううい)の曲〉。また、彼女ら〈白衣黒衣(びゃくえこくえ)の天人(てんにん)〉によってもたらされる月の満ち欠けの秘密、などなど。そうしたモチーフの出所を本書は指し示してくれるのです。

 さらにこの天女と漁師がそのまま織女
(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)に置き換えられた伝承もあり、七夕(たなばた)伝説とも関連していることは初めて知りました。日本人の持つファンタジックなイメージの重層性に引き込まれ、索引なのについ読みふけってしまいます。

 為政者がまとめた史書や地誌、個人の日記や物語集といった古典籍には、こうした古い説話が豊富に詰まっています。それは時を超えて受け継がれる日本人の精神的な宝に違いありません。親から子へ孫へと語り継がれる経路が断たれつつある今、本書はファンタジーの源を探る者にとって、まさに〈宝の地図〉と言えるでしょう。
 (第一巻刊行時にお寄せいただきました)
  近世日本文学研究の基盤となる『日本説話索引』
立命館大学アート・リサーチセンター客員協力研究員 ローレンス・マルソー   
 近世期の日本文学は、当然ながら中世期の文学の肩に乗ってできている。私はこれまで、近世中期の「文人」という、幕藩体制下における公職を退き、高度な教養を生かして多方面の文芸活動に集中していた「自由人」を研究してきた。この立場から『日本説話索引』の価値について述べたいと思う。近世に入って初めて、上流階級以外の人たちが書物などを通じて古典の教養を享受できるようになり、それまでの文芸を受け継ぎ発展させてきた。韻文では、漢詩・和歌・連歌・俳諧・川柳などを新しく発展させ、時代に合った表現を築いてきた。散文では、仮名草子・浮世草子・読本・戯作などの物語小説のみならず、随筆・紀行・地誌・往来物などのノンフィクションも様々な新しいジャンルを生み出している。そして劇文学では、能・狂言から人形浄瑠璃・歌舞伎まで、多様な文芸形態が現れている。舌耕文芸の講談・落語も語られるようになり、幅広く普及した。これらの文芸は、そのすべてが「説話」から題材を取り、「説話」をベースとして発展してきたと言える。

 私は一九八二年秋に『増補改訂 日本説話文学索引』を購入して以来、四〇年近く座右の書として愛用してきた。「こういう概念にどんな説話があるのだろうか」と思いながら調べると、必ず驚くような事柄に遭遇し、その都度研究のヒントを得てきた。例えば「懐妊」について調べると、一ページ近くの説話が紹介されている。恵心(源信)の母、神功皇后、玉依日売等の説話から「懐妊」の諸相が分かった(つもりだった)。しかし、新版『日本説話索引』の「懐妊」の項を読むと、何と二倍以上の説話が紹介され、近世文学の作者や読者がどれほどの伝統の上に立っているのか、よく分かるようになる。編集・執筆に当たった「説話と説話文学の会」の情報によると、説話の用例が四〇万項を越えているそうである。しかも、量的に増えているだけではなく、説話の概念自体を広く解釈している。いわゆる「説話集」からの採録に留まらず、史書、和歌、物語、漢詩文など、様々の説話性を有する資料から採録した、画期的な索引になっている。天文学を譬喩とすれば、地上の望遠鏡で天体観測をしていたときと比べ何百倍もの精密性を持っているハッブル宇宙望遠鏡で天体観測をする程の差が現れていると言えよう。

 海外の研究機関に勤めている多くの学者は、その国や地域の言語で論文を書き、発表している。彼らは自分の大学、あるいは近くの日本研究プログラムがある大学の図書館を利用し、研究している。限られた資料の環境で研究を続けることは困難が伴う。『日本説話索引』という、膨大な数の説話を項目ごとに提供してくれる本書の存在は、大いに役に立つ素晴らしいものであり、学部学生から数十年の経歴を持つ研究者まで、日本研究、または比較文学研究に興味を持つ人にとって、不可欠の貴重な参考資料になることは言うまでもない。
 (第一巻刊行時にお寄せいただきました)
  説話索引の利用
京都大学名誉教授 勝山清次   
 説話と説話文学の会編『日本説話索引』はこの度、第二巻が刊行される。この索引は編者によれば、採録対象は原則として翻刻された作品に限られるものの、おおよそ室町時代を下限とする一六七点に及んでいる。採録作品が莫大になったのは説話の概念を広く捉え、様々な性格の説話をとりあげたためである。また語の所在だけでなく、数十字程度の説話の要旨も掲載されており、これもこの索引の特徴となっている。

 説話は歴史上の人物や出来事を素材とすることが多いため、これまでも古代・中世史研究では貴重な史料として用いられてきた。その用い方には、少なくとも二つあるようである。一つは古文書などの一次史料と関連づけることにより、歴史的事実を復原するもので、藤原清廉の説話からこの一族の大和・伊賀における所領形成を跡づける研究はその例となろう(『今昔物語集』)。今一つは異なる説話集に収録されている同じ説話を比較するもので、在地富豪の富のあり方が動産・奴婢の所有から、所領・従者の支配へと変化したことを明らかにした論文もある(『日本霊異記』『今昔物語集』)。ただ、これらの研究は素材も限られているため、索引に依拠しているわけではない。

 この新たに編まれた詳細な索引は、説話の利用を容易にするのはいうまでもないが、具体的に古代・中世史研究に何をもたらすであろうか。またこれまでの説話の用い方を変えるであろうか。すぐに考えられるのは、普通歴史研究者が繙かない作品についても、歴史上の人物・地名・荘園名などの掲載の有無を簡単に知りうるようになることである。とくに歌学書や芸能書にはこれらがしばしばみられるので、利用できる史料が広がることになろう。もう一つは、記載された要旨により、神仏・寺社の性格の変化や人物の評価の移り変わりについて、そのあらましを把握できるようになることである。たとえば、天照大神を例にとると、大日如来の垂迹神、宗廟神、国主神や地神の初代といった、中世における神格の変化を追うことが容易になる。いうまでもなく、これらは思いつくものをあげたにすぎず、ほかにも様々な利用が可能であろう。

 詮ずるところ、この索引は説話の海の有能な水先案内というべきではないだろうか。全七巻が完成したならば、古代・中世史研究者にとっても必見の文献となるであろう。
 (第二巻刊行時にお寄せいただきました)
  「読める索引」から「読む索引」へ
駒澤大学文学部国文学科教授 櫻井陽子   
 古典文学研究の入口にも立っていなかった学生時代、国文の図書室で『増補改訂日本説話文学索引』なるものの存在を教えられた時の喜びはどれほどであったか。説話や文学の豊かな世界に導いてくれた貴重な指南書であった。そして、縮刷版をようやく購入して本棚に据えた時の嬉しさも忘れられない。手許に置いていつでも自由に使えるようになった喜びである。どれほどの恩恵に浴してきたことか。そして今、三度目の喜びを味わっている。しかも、数十年の時を経て、目を瞠るばかりの分量に膨張し、充実度が増している。

 旧版以来、一貫して「読める索引」を目指してこられたが、本索引はさらに「読む索引」の相貌が際立っている。豊富な項目数と用例数(どれほどの苦労があったことでしょう)。時に意外な項目があり、また、用例の要旨を読むことによって、時代・ジャンルをまたがる広がり、うねりを体感できるのである。

 前以て送って下さった校正刷をめくるにつれ、様々な光景が広がっていく。たとえば「京童部」。『今昔物語集』や『富家語』から記載が始まり、彼らが我が物顔に京の街を闊歩する姿が目に浮かぶ。ツイッターやSNSが現代社会を動かしていく現代にも通じる、匿名で口さがない、情報の坩堝にいる人たちであることも読み取れる。どの時代にもいる輩と納得し、また、彼らのエネルギッシュな行動に、思わず笑みがこぼれた。ふと、辞書や古典作品を検索してみると、『うつほ物語』にも登場しているではないか。

 あるいは「清盛」。『平家物語』成立以前の説話から、『平家物語』からは窺い知れない多面的で魅力的な人物像がうかがえる。しかし、『平家物語』後の説話に登場する清盛は、『平家物語』で描かれた横暴な側面が一面的に再生産されている。『平家物語』が清盛の全てを塗り替えてしまったことを、本索引を「読む」だけでも感じることができる。

 「草薙剣」や「剣」に辿り着いた時には、卒論で取り上げたいという学生が必ず現れる昨今の風潮を思い出した。これからは、『日本説話索引』を読んで、勉強の出発点とするようにと指示できる。学生は自分の手で諸作品を丁寧に追い、自らの関心を広げ、深めていける。

 「読む索引」の威力、恐るべし!
 (第二巻刊行時にお寄せいただきました)
  奇跡の索引、知の沃野への道案内
早稲田大学教育・総合科学学術院教授 田渕句美子   
 これはまさしく「読める索引」である。索引の域を超えた、宝の山なのだ。いずれの専門の方々にとっても「読むべき索引」「読みたい索引」である。読み始めると、時間を忘れて読みふけってしまうし、そこから想念が広がっていく。この本は好奇心を刺激し、研究の可能性を限りなく押し広げてくれる。

 四半世紀くらい前、大阪の女子大に勤めていた頃、たまたま光華女子大で池田敬子先生にお会いし、一室で「説話と説話文学の会」の方々が一心にカードをめくりながら確認しておられるご様子をちらりと拝見し、累積されたカードの箱も見せていただいた。以来、その光景は忘れられないものとなり、『日本説話索引』の刊行を鶴首してきた。このたび思いがけずこの本を推薦する機会を与えていただいたが、第一巻・第二巻のページを繰っていくと、あの張り詰めた緊張感がそのままこの本に漂っているように感じた。

 旧版の『日本説話文学索引』増補改訂版(縮刷版)を、大学院生の頃から愛用してきた。この小さな一冊本も本当に便利であったが、新しい『日本説話索引』は全七冊となり、採録作品の数や範囲、項目の数や多彩さなどが桁違いである上、説話の要旨が各々示されている点は旧版と同じであり、実に奇跡的な索引となっている。将来、索引作成はある程度AIができるようになるかもしれないが、この『日本説話索引』は絶対にAIには作れない。研究の知を結集した、文化史・社会史・宗教史などへの類い稀な導き手である。

 第二巻の項目から少しだけ例を挙げよう。「形見」「髪」「感応」「北山」「櫛」「紅」「倹約」。記載されている説話に導かれて、その文化誌・話型・範囲・特質等が見えてくる。これらはいずれも旧版には立項されていないか、立項されていても典拠資料がわずかである。また「源氏物語」は旧版ではわずか三つ、それがここでは多数掲出されている。「子」は旧版にはなかったが、ここでは十一ページに及ぶ。今後は何かを調べる時に、『日本国語大辞典』等と共に、『日本説話索引』をまず参看することになるだろう。必備の索引であり、必備の辞典でもある。

 私の興味から特に嬉しく思われるのは、多くの歌学書や古注等が採録されたこと、また『栄花物語』『大鏡』『今鏡』『増鏡』等から採録されたことである。『栄花物語』の中にある厖大な女房語りが吸収されていることは大きく、他の歴史物語も加わって、女性の説話の採録が急増しているとみられる。固有名詞だけではなく、様々な言葉が立項されているから、拝みたいほど有り難い。私は宮廷女房の情報・語り・伝達・ネットワークなどの行為の総体を、仮に「女房メディア」と称したりしているのだが、この『日本説話索引』のお陰で、説話世界に奥深く広がる「女房メディア」の可視化への道が拓けるような気がしている。

 本書は単なる索引ではない。知の沃野への道案内であり、次世代へ渡されていく貴重な文化資源である。刊行を心から慶賀したい。
 (第二巻刊行時にお寄せいただきました)
  豊かな言説の世界――新たな活用法を求めて
関西大学文学部教授 乾 善彦   
 もう二十年以上も前になる。『萬葉』の編輯長を拝命し、印刷を引き受けてもらっていた清文堂を訪ねたときのこと、二階の作業場のようなところにうずたかく積まれたゲラの山。それは『日本説話索引』のものであった。『説話文学索引』が、当時奉職していた大阪女子大学の前身、女専時代にその発端があり、その改訂版が企画されていることは、複数の関係者から聞いていたが、そしてそれはほぼ完成の域にあることを知らされていたが、そのゲラを見て、確かに完成間近という印象を受けた。しかし、刊行が始まったのは、それから二十年を経てからのこと。

 この企画がはじまったころ、文学史研究の興味は注釈世界の言説にあったように思う。あらたに参照された資料の多くは、そのような注釈である。なので、従来の説話世界よりも広い範囲の古典に対する言説が集められている。たとえば、顕昭の『古今集序注』や『伊勢物語』の冷泉家流の注、あるいは『源氏物語』の『河海抄』などである。これらには、やはり説話というべき言説がみとめられる。これらによってわれわれは、古典を読んだいにしへ人の感覚にふれることになる。それは教科書的な、あるいは百科事典的な記述からははみだした世界かもしれない。 近年、授業で基礎語彙の語誌をとりあげることが多く、卒業論文にも、語誌をとりあげる学生も多い。その時、それぞれの時代の語性を調査することを求めるのだが、それにはまずは説話索引にあたることが有効であると指示している。通常の辞書やネット検索(今はほとんどの古典作品はネットで検索可能)では検索できない意味用法のまとまりに出会うことがあるからである。

 そもそも、辞書や索引といった工具書には、辞書的な情報や用例のありかを検索するだけでなく、意外な利用方法がありうる。『古典対照語彙』などはその好例であるが、今、こころみに人名や地名、あるいは書名といった固有名詞を引いてみられたい。それぞれの逸話が、どの書にどれくらい出現するかは、その享受された範囲を示すことになる。たとえば、『古事記』などはわずかに四書六例にすぎない。これが、『日本紀』(日本記、日本書紀)になるとおそらくは数頁に及ぶであろう。そこに両書の長年にわたる享受の差が浮かび上がってくるのである。このような利用方法の工夫が研究の進展、あらたな発見につながることが往々にしてあるのではないか。「読める索引」ならではの活用法であろう。

 大阪女専の一室で説話文学研究のためのカード取りからはじまったこの索引のあらたな出発がそこにはある。本年、大阪女専から大阪女子大学、大阪府立大学と引き継がれてきた学燈が、大阪公立大学として新たに出発を迎えた。この年に、三回目の配本を迎える『日本説話索引』が、ますます輝きを増すことを願っている。
 (第三巻刊行時にお寄せいただきました)
  『日本説話文学索引』から『日本説話索引』へ
同志社大学教授 源健一郎   
 修士課程に進んでしばらくの頃、指導教授の研究室で、「こんなに便利な索引があるのですよ」と差し出された一冊の本があった。手のひらサイズのその本こそが『増補改訂 日本説話文学索引 縮刷版』であった。実際にページを繰ってみると、体裁への違和感が先立った。一般的な索引は、横書きのレイアウトに、見出し語とベージ等の数字が延々と並ぶ無機質なページ構成である。その索引は縦書きで、見出し語に続いて、その語を巡る物語的説明が簡潔に施されていた。

 実際に「読んで」みると、この体裁こそが便利さの所以であると気付かされた。見出し語がどのような文脈で現れるかが確認できるのである。語の使用例に対する網羅性という観点からは、一般的な索引類に分があるとは言えようが、その反面、そうした索引類を用いてみると「空振り」の確率も低くない。語の存在自体に行き当たったとしても、自分の興味関心に適う用例を見いだすことは難しいからである。その点、この索引に施された要旨は、調べものをする上での格好のガイドとなる。
 しかも、作品ごとに刊行される一般的な索引と異なり、この索引では一度に複数の作品の用例を一覧することができる。それらを「読む」ことで、問題意識はさらに展開していく。それらを比較検討すれば、時代やジャンルによる位相差について考える端緒にもなる。他の索引では検索が難しい概念的な用語が見出しに取られていることも、活用の幅を広げていた。

 その有用性に気づかされて以来、いかにインターネット上のデータベース類が充実しようとも、私の調べものに『日本説話文学索引』は欠かせないツールであり続けた。この索引は、私がそうであったように、ぜひ学生たちに勧めなければならない。大学教員となった私は、そうした使命感にも似た思いを抱くようになったのだが、実際には困難があった。第一に底本が古いこと、第二に現在の研究状況からすれば検索対象のテキストが限られていることである。もどかしい思いであった。

 ただ、そうした思いは、私のみならず、はやく昭和期末から研究者有志の方々に共有されてきたことが、二〇二〇年に至って知られることとなった。「読める」索引としての性格を引き継ぎつつ、質量ともに格段に充実した『日本説話索引』の刊行によってである。編集に関わったみなさん、出版社には心より敬意を表したい。判型が大きくなって一覧性が向上したことは、デジタルデバイスにはない強みでもある。全七巻の完結を心待ちにしながら、日本文学研究を志す学生の皆さんとともに、この貴重な成果を活用していきたい。
 (第三巻刊行時にお寄せいただきました)
 待っていた索引の出来
東京大学名誉教授、放送大学名誉教授 五味文彦   
 歴史研究にとって説話作品は不可欠な存在である。特に古代・中世史を研究するに際しては、なくてはならない。もし説話がなかったならば、味気ないものになってしまう。最近の歴史研究は、説話を使わず、政治史研究が中心のため無味無感想なものとなっている。それは歴史研究者が説話を使うことに不得手で、説話の語句に不慣れのためもある。

 本索引は、「説話と説話文学の会」の十二人の研究のトップランナーが総力をあげて編集しており、四十万項目を越える大部の書であって、これまで三巻が完成しており、それらを見ても、いかに充実した内容であるか、「読める索引」であるかが知られる。これならば歴史研究者も説話を使うことにアタックできよう。

 かつて私が『今昔物語集』や『古今著聞集』などの説話を使って研究した時、本書のような 説話索引があったならば、どんなにか助かったであろうか。本索引の出来によって、これまで言及できなかった説話を再び駆使した研究を試みたくなった。今、絵巻を使っての研究をおこなっているが、絵巻も説話の一種であり。それに対しても果敢に臨むことができるようになった。

 説話の文学的研究について述べるのは不遜ではあるが、あえて述べれば、最近はやや活発さに欠いているように思う。それはひとつに説話に見える語句に関する鋭い探求が薄れているためであろう。その点からして、本索引は強く望まれてきたもので、これを契機に活発になることは疑いない。新たな視点、視野からの研究が大きく広がってゆくであろう。

 まさに待望の索引であって、今後の編者の刻苦勉励を期待するとともに、早くに完結することを切に祈念し、多くの読者にお薦めする。
 (第四巻刊行時にお寄せいただきました)
 『日本説話索引』を、すべての総合図書館の開架書棚に
関西学院大学名誉教授 武久 堅   
 中学校に上がった時、図書館は開架式であった。自習机の真横に、平凡社の『世界大百科事典』がずらっと並び、いつでも自在に読むことができた。旧制県立女学校の校舎、設備がそのまま移管された新制中学であった。放課後、知識の森の入り口にたたずんだ日から、私の人生は始まった。

 昨秋刊行の『日本説話索引』第三巻の「見出し語」は「こうふ」から始まり、「し」の途中までが収まっている。完結しているのは、「さ」だけである。日本語の説話は「さ」から始まる言葉が多いらしい。この索引は、こんな調子で「さ」だけで一冊の半ばを占めるような「見出し語」の採集方針で、果たして全七巻に収まるの?と心配になる。編集部では解決済みであろう。そこで「読む索引」がキャッチフレーズのこの索引を先ずは「数える索引」とする。「さ」は「参照見出し語」を含め二二一七語が立っている。今次発刊の第四巻は「しょ」から始まり「た」行の「ちゅ」まで。ゲラを開き数えてみたが「さ」を破る数の言葉はない。後続の五・六・七巻ではどうだろう。完結まで妙な関心が楽しみになってしまった。旧版の『日本説話文学索引』で、「さ」には四九一語の「見出し語」が立っている。収録数は五倍近くに膨れ上がり、網羅性が徹底した。

 「さ」ですぐに出てくるのは「西行」である。二頁に及び「説話要旨」は一三四語立っている。旧版では六十一語であった。これは倍増である。しばらく進むと「酒」がでる。人名「酒」というのも珍しいがこれは別として、普通名詞「酒」が八頁に及んでいて、「説話要旨」数は数えきれない。根気よく採取した編集メンバーの目のつけどころ、あるいは作業後の「こころやり」も忍ばれて嬉しくなる。

 第四巻の冒頭は「しょ」から始まっている。「書」の字が宛てられた見出しが三つ立っている。最初の「書」は「空海、書にすぐる」で、「達筆」の意の「書」十四例が引かれる。第二の「書」は「嵯峨天皇、皇子の源弘の学を好むを見、多く書を与う」で、「書物」の意、三十一例、第三の「書」は「蒼頡が書を作る」で、「文字」の意、四例引かれている。実に丹念な本文読解を経て弁別された「索引」であることがわかる。こうなれば、この「索引」は「説話索引」の域を超えて、すでに実例付き『日本古典百科全書』を成しているとの認識に達する。

 編集メンバー「説話と説話文学の会」は周到な助走『説話論集全十八集』を、第一集「説話文学の方法」(一九九一年刊)を皮切りに、第二集「説話と軍記物語」、第三集「和歌・古註釈と説話」へと、集中する課題を立て、各十数編の論文を収録して、説話研究の王道を切り拓き、充実の成果を積み重ねている。もちろん同じ清文堂の刊行である。

 思うに『日本説話索引』は、一部の研究者が独占する研究図書室の奥深くに鎮座させていていいという書物ではない。中身は平たい人間世界の森羅万象を拾い集めた、幼児から大人まで、神仏から生き物たちすべての、飲食と喜怒哀楽のるつぼである。「犬」五頁、「猿」三頁、「雉」二頁半、説話数はお話に登場する際の序列そのままである。さて「桃」はどれくらいになるのだろう、続刊のお楽しみ。「兎」と「亀」では、一頁対四頁で文句なしに「亀」の勝ち。数えただけで楽しくなる。日本語通の、世界中の人々の関心に応える「読む索引」である。すべての図書館の開架書棚に、と呼びかける由縁である。

 キャッチフレーズは「いざ、説話の森へ!」である。マリー・ホール・エッツの名作絵本『もりのなか』で、主人公の幼児は森で色々な動物たちと出会う。続編『またもりへ』では最後に「おとうさん」に出会い、森の動物たちとの交流成果を、こう報告するではないか。「森の動物たちは誰も笑えない」と。『日本説話索引』という森の中で、生徒学生たち、本好きの大人たち、研究者は何に出会い、何を発見するのだろう。日本文化の根源、人間の本性をいかに探り当てるのであろう。第四巻は全七巻の真ん中、全巻揃ってから購入などと考えると予算も嵩む。

 最後にもう一つ。この便利な索引は、採録作品一覧に明瞭な如く、古典文学に広範に潜在する「説話なるもの」を一目のもとに開示する力がある。それだけに文学史の叙述に際して、「説話」の項の執筆の難題化を招来してもいる。完結の待たれる所以である。
 (第四巻刊行時にお寄せいただきました)
 説話文学索引から説話索引へ
京都府立大学名誉教授 安達敬子   
 二〇二〇年から刊行が開始された『日本説話索引』(全七巻)の第五巻がいよいよ出版の運びとなった。この企画を初めて耳にしたのは三〇年以上前のことだった。編集委員の池田敬子先生とは勤務先の同僚だったので、折に触れて説話のカード取りのご苦労や進捗状況などを伺っており、その作業に携わる若手研究者の方々の精魂込めた仕事ぶりを拝見する機会もしばしばあったと記憶する。これまでに刊行された紙面の充実はまさに壮観というしかない。大本の旧『日本説話文学索引』と比較しても、本索引は量的に格段の増補がなされただけではなく、収録された項目の対象は文学のジャンルを超えて史書・言談・唱導・歌学・注釈・寺社縁起・法話・雑纂・芸能・古辞書等の分野に及んでいる。そうした中世的な知のフィールドにおいて、掲載項目が各々どのようにマッピングされているかが示される。

 たとえば「人名」について。業平や定家といった著名な人物ばかりではなく、現代ではほとんど知る者もないような人名が数多く取り上げられている。説話の要旨とともに掲載された複数の書名から、その名の主が中世人の教養において、如何なる位相でどのように認識されていたのかが一目瞭然となる。漢籍が源流にある中国や古代インドの人名・地名についても同様で、記述された内容をたどっていくことによって、その人物や土地がどのような経路で和文化され内容を展開させながら、日本の説話として定着していったのかをうかがい知ることができる。およそ人名辞書にはでてこないような端役、あるいは架空の人物の逸話とその舞台が掘り起こされ、出典間のネットワークもまた同時に浮かび上がってくる。そして、改めて中世までの学芸が「説話」と無縁では成立し得なかったことが、本索引のどのページを披いても痛感されるのである。

 出版物としての分量的な制限があるとはいえ、本索引は文学作品のみならず可能な限りその基層・周縁までも視野に入れた、中世人の精神世界全体を対象にした企画と言えよう。既巻の推薦文でも、これは「読める索引」であると同時に「読むべき索引」であるとの評言があった。全面的に賛同しつつ、さらに「読まずにはいられない索引」と付け加えたい。説話索引であると同時に中世語彙の百科辞典、加えて類書の機能をも兼ね備えた驚嘆すべき書物、それが『日本説話索引』なのだ。
 (第五巻刊行時にお寄せいただきました)
 遠大なる情報の集積
早稲田大学文学学術院教授 兼築信行   
 旧版の『増補改訂 日本説話文学索引 縮刷版』には、たいへんお世話になった。学部学生の時、日本文学の専修室に配架されたこの索引を手に取って、コンパクトな体裁に詰め込まれた情報の豊かさ、そして利便性に仰天した。爾来、事あるごとに紐解き、大学院に進学した時、神田にある国語国文学専門の古書店に赴いてようやく入手、常に身辺に置いて活用した。私自身は説話の研究者ではなく、和歌を専門とするが、歌人の逸話を博捜するために、拠るべき第一のツールとなった。

 その旧版を引き継ぎ、規模と内容、面目を一新して企画された『日本説話索引』の編集が、説話と説話文学の会により着手されたのは、一九八〇年と聞く。第一巻は二〇二〇年に刊行され、二〇二一年に第二巻、二〇二二年に第三巻、二〇二三年に第四巻と毎年順調に進み、このたび第五巻の上梓を見る。全七巻の完結も、いよいよ視界に入ってきた。

 本索引の狙いは、凡例冒頭に記される通り、説話の要旨を縮約、「読める索引」として「作品本文への道しるべ」を提供するものである。人名や地名のみならず、様々な事項も拾われて、単なる項目検索に留まらず、稀代の規模、類のない利便性を実現した。

 ところで、こうした情報量の豊かさを誇る索引や辞典類は、凄まじい勢いでIT化が進む現代、どのような形態へと進化していくことになるのだろうか。既に『日本国語大辞典』や『角川古語大辞典』はオンラインデータベースで活用されるようになった。和歌研究者である私が頻用するツールでは、『新編国歌大観』や『新編私家集大成』が同断の事例である。

 こうした大部の辞典、本文・索引の編集には、気の遠くなるほど膨大な時間と労力とが費やされたことは言を俟たない。本索引においても、まずは紙媒体としてしっかりと作り上げられた現物を手に取り、研究者の書架に配し、図書館に備え付け、十全に活用を重ね、さまざまな意見を吸収したうえで、はじめて、次なる進化・展開を期すべきであろう。

 本索引の完結まであと一、二歩となった。長年にわたる編集過程に払われた努力に対して、改めて心より敬意と感謝を表するとともに、未来への進化を夢想しつつ、いま、頁を捲っている。
 (第五巻刊行時にお寄せいただきました)
 編集委員より
森 眞理子   
 いよいよ『説話索引』も第五巻の刊行となった。折返し点を過ぎ後半の山場が近づいてきた。この索引の出発点から考えると、既に四十数年が経過しており、その間多くの人が襷をつないで、今この地点までたどり着いたのだといえる。長い行程に携わった多くの足跡ならぬ手の跡は、編集している原稿のあちこちに垣間見える。この要約文の作り方の特徴はきっと某さん、と想像し、また、出典ページが原文と読み下し文の両方から採られている箇所に出会うと、これは二人の手作業によるのだろうと納得する。そんなことを考えていると、自然と作業の積み重ねに費やした長い時間を思わずにはいられないが、編集を進める上では、そんな感慨にいつまでも浸っている訳にはいかない。
 
 実際の編集作業は、ただ黙々と文字を追っていく日々である。読みやすく、検索しても分かりやすい、読者に資する索引になるよう心がけて、項目の見出し語や本文を検討してみる。見出し語に重なりがないかに注意し、似た見出し語で最終的に同じものを指しているものでも、使われた時代が異なるので二つとも残す方がよさそうだ、などと考えながら文を読み込んでいく。一つの説話と別の話に思いがけぬつながりがあることを発見することもある。ただ簡単に一つにまとめてしまうのは、説話の幅広さを狭める恐れもあるので、残せるものはそのまま置いておく場合もある。当然のことながら編集の段階においても襷をつなぐ手作業は続いていて、初めから或いは途中から参加してくれた担当者の力に大きく寄っていることは言うまでもない。

 この索引を手にされた方が、いわゆる「辞書」とは違う緩やかなまとまりを、印象として持たれるとしたら、出典から説話を切り出す際に携わった多くの人たちの手仕事を生かし、要約の中に残された原文の息遣いを味わって欲しいという、編集姿勢の表れとして了解して頂ければ幸いである。

 冒頭、この索引の刊行までの行程を駅伝に例えたが、これまで推薦文を執筆して下さった方々の、各分野における新しい読み方の提示と熱のこもった声援とは、編集部にとって力強い励ましとなった。ゴールまでもうしばらくの道のりである。力を抜かず終盤まで駆け抜け、完成を目指したい。
 (第五巻刊行時にお寄せいただきました)
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。