■近世村の生活史 | |||||
阿波・淡路の村と人 | |||||
小酒井大悟・渡辺尚志編 | |||||
吉野川流域の低地や山間部、海岸部、島など、多彩な立地条件の村々がみられる徳島藩領。吉野川また山間部での洪水や宝永地震・津波など、自然環境とその変化に対応しながら積み重ねられた生活史に迫る。 ■本書の構成 序 章…………小酒井大悟 一 本書の目的 二 村人の生活をめぐって 三 生活史を深める視角 四 徳島藩領の村々 五 本書の構成 第一章 吉野川流域の村の十七世紀 ――土豪家の相続問題を中心に …………渡辺尚志 はじめに 一 十七世紀の東中富村 (1困難を抱える村 2退転人と手余り地の発生) 二 犬伏家の兄弟間の相続争い 三 世代を超えて続く相続争い (1三人による財産分割 2連続する係争) おわりに 第二章 棟付帳にみる阿波の村…………小酒井大悟 はじめに 一 棟付帳と上山村上分 (1 棟付帳の記載様式と情報 2上山村上分の成立経緯と名) 二 十七世紀の壱家―小家関係 (1血縁・主従関係を基礎とする壱家―小家関係 2壱家の機能) 三 十八世紀にかけての変容 (1十七~十八世紀の水害 2享保期の壱家―小家関係) おわりに 第三章 阿波山村の分間絵図と水害景観 ――名西郡神領村を中心に …………羽山久男 はじめに――近世山村史は水害史と土木史である 一 名西郡神領村の新開と川成による土木的景観 二 天保十四年(一八四三)の野間北両名仮検地絵図と仮検地相付帳 (1天保十四年の野間北両名仮検地 2天保十四年仮検地の鬮順番 3安政六年(一八五九)の神領上山両村組合新用水絵図控 4谷名の高根谷川左岸の棚田・段々畑と用水 5廃村となった高根名と川俣名) 三 文化・文政期の高根山野山を巡る山論と木馬道新設 (1文政二年(一八一九)の高根山野山の入り会い刈りにかかる行着 2木馬道の新設) おわりに 第四章 宝永地震後の復旧・開発過程と地域社会 ――阿波国那賀郡和田島村を事例に …………鈴木直樹 はじめに 一 和田島村の地震被害と復旧過程 (1和田島村の概要 2宝永地震からの復旧過程) 二 広瀬家の耕地開発と森家の砂原開発 (1広瀬家の耕地開発 2森家の砂原開発 3森家による松林開発の要因) おわりに 第五章 近世水利秩序の形成と村 ――島(淡路島)における水争い …………前田拓也 はじめに――研究史の整理 一 徳島藩の農政施策 (1徳島藩政における「用水」施策 2藩制初期にみる村落秩序――合理的な用水配分 3扇頂部における新田開発) 二 変容する共同体 (1くり返される水争い 2争いを起こす主体と争点の変容 3中後期における扇頂・扇央の水争い) おわりに 第六章 徳島藩組頭庄屋の風俗統制 ――岸新左衛門有秀の場合 …………鈴木淳世 はじめに 一 徳島蜂須賀家の概要 二 組頭庄屋の職務 (1神領村岸家の概要 2神 領村岸家の職務) 三 岸有秀の思想・行動 (1岸有秀の学問受容 2岸有秀の風俗統制) おわりに ◎あとがき…………渡辺尚志 小酒井大悟……1977年新潟県生まれ 東京都江戸東京博物館学芸員 渡辺尚志……1957年東京都生まれ 一橋大学大学院社会学研究科教授 本書の関連書籍 渡辺尚志編 畿内の村の近世史 小酒井大悟著 近世前期の土豪と地域社会 |
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ISBN978-4-7924-1472-6 C3021 (2020.12) A5判 上製本 246頁 本体6,500円 | |||||
自然環境・災害を組み込んだ村落史 |
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鳴門教育大学准教授 町田 哲 |
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徳島藩は、阿波国と淡路国の二カ国(二五万七千石)から成り立つ。近世を通じて外様大名・蜂須賀家が支配し続けたその藩領は、藍作で知られる吉野川中下流域、祖谷山等に代表される四国山地、のちに林業地帯へと連なっていく那賀川流域、そして淡路島等、多様な地域性をもって展開していた。本書は、近世村落史研究をリードしてきた渡辺尚志氏とそのゼミOB、そして阿波・淡路の研究を長年にわたり続けてきた地元研究者が、こうした藩領内の地域性をふまえながら、村の生活史に迫ろうとした論文集である。 本書の特徴の第一は、自然環境とその変化に根ざした、一七世紀の村落史が目指されている点である。例えば、洪水が頻発する吉野川下流地域における「土豪」の相続問題を検討した第一章では、その不安定な土地所持状況や出入作関係が示される。鮎喰川上流の山間村落における壱家―小家関係の展開をみる第二章では、元禄期前後に頻発した洪水が、その関係に変容をもたらした点が浮き彫りとなる。降水量が乏しい淡路島で溜池灌漑による米穀生産を可能にした、水利秩序とその変化をトレースすると、その技術的進展や、村の共同性と私的利害との関係がみえてくる(第五章)。いずれも、一七世紀に土地開発と反当収量の増大が目指されていた藩領において、自然環境とその変化に対応しながら、村落内部を構成する諸存在(家・血縁集団・水利運営組織等)が、どのような課題や矛盾を背負いながら生活を積み重ねていったのかが浮かび上がってくる。 第二は、災害を組み込んだ地域史である。紀伊水道に突き出た砂嘴上に開発された和田島村では、宝永地震・津波の被害をうける。その「復興」過程からは、大地主による「開発」が、村内の経済的格差をむしろ拡大させていた点が明らかとなる(第四章)。吉野川の洪水(第一章)や、山間部で頻発する洪水(第二章・第三章)も含め、「災害」と「再開発」が繰り返されながら展開する地域像が示される。その意味で「近世の山村史は水害史であり、これに対応する土木史である」(第三章)との指摘は、ことの一面を端的に示している。組頭庄屋の儒学的農本思想の性格を解明した第六章では、それが風俗統制やその一環としての鉱害反対論につながっていた点を指摘する。災害を組み込んだ地域史とは、繰り返す自然災害と絶え間ない努力や開発欲求という、自然と人間活動とのせめぎあいの過程と言いかえることができるが、それに対する意識・視線もまた探究されている。 第三は、藩領内の地域的差異と同時に、藩体制と地域との関係も示唆されている。かつて山口啓二氏は「藩体制の成立」(初出一九六三年、のち『山口啓二著作集第二巻』校倉書房、二〇〇八年)で、藩が置かれた地域性に着目し、①位置・地形・地質・気象・資源等の地理的条件と、②生産諸力・社会的分業の発展度、③小農民自立・兵農分離の展開度等の社会的条件、この三つの具体的分析を深めることを提起していた。この提起を正面から受け止めた徳島藩領研究の到達点が、高橋啓『近世藩領社会の展開』(渓水社、二〇〇〇年)であった。今、その成果と課題を、村や地域の場からさらに深めることが求められている。こうした点を考える上でも、本書が手がかりの一つとなることは間違いない。 徳島・淡路のみならず、村落史や藩領研究に関心を寄せる全国の読者に、ご一読を薦めたい。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |