■近世大坂の御用宿と都市社会 | |||||
呉 偉華著 | |||||
一八世紀半ばから一九世紀の幕末までに、巨大都市大坂の町方が負担した御用宿の実態とそれを担う個別町の運営の特質を解明する。さらに幕末の将軍「御進発」に伴う御用宿の質的な変化、すなわち将軍の長期的な滞坂を可能にした社会的な仕組みと、幕末維新期における都市大坂の社会状況を明らかにし、過重な御用宿負担が惹起する矛盾を具体的に解明することから、都市社会史への視点を考える。 ■本書の構成 序 章 はじめに 第一節 御用宿に関する例触と史料 第二節 近世都市大坂の御用宿について 第三節 幕末維新期の畿内・大坂論について 第四節 都市社会史の視角 第五節 道修町地域の研究について 第六節 各章の構成と内容 第Ⅰ部 御用宿と個別町の運営 第一章 都市大坂の御用宿と町方 ――大番頭・大番衆を中心として―― はじめに 第一節 八月交代の番衆について 第二節 大番衆・大番頭預けの与力・同心の御用宿の担い手について 第三節 大番頭とその家臣の御用宿の担い手について おわりに 第二章 近世後期における大番衆の御用宿について はじめに 第一節 船場三六町組合町の実態 第二節 大番衆の御用宿の勤め方――船場三六町の場合 第三節 上町四七町の助宿について 第四節 天保一一年の動向 おわりに 第三章 近世後期における道修町三丁目と御用宿 はじめに 第一節 近世中後期の道修町三丁目について 第二節 道修町三丁目における大番衆の宿勤めの実態 第三節 近世後期の道修町三丁目の町運営について おわりに 第四章 近世後期における臨時御用宿について はじめに 第一節 一八世紀後期の臨時御用宿 第二節 一九世紀の臨時御用宿の担い手 第三節 道修町三丁目と臨時御用宿 おわりに 補論 道修町三丁目の町代について はじめに 第一節 町代の基本的性格 第二節 町代の担い手とその変容過程 第三節 町と町代の関係について おわりに 第Ⅱ部 将軍進発に伴う御用宿と幕末の大坂 第五章 幕末期における都市大坂の御用宿 はじめに 第一節 徳川家茂の来坂について 第二節 幕末期における御用宿の賦課 第三節 幕末期における大坂町方の宿割 第四節 将軍進発に伴う御用宿の全体像 おわりに 第六章 幕末期における御用宿と個別町 ――道修町三丁目を例に―― はじめに 第一節 道修町三丁目が勤める御用宿 第二節 御用宿と町人・借屋人について 第三節 御用宿の勤め方 おわりに 終 章 第一節 都市大坂の町方が負担する御用宿 第二節 御用宿と個別町の町内構成・運営 第三節 幕末期の御用宿について 第四節 道修町三丁目文書と御用宿 ◎呉偉華(ゴ イカ)…………1987年中国天津生まれ 北京大学歴史学系卒業 大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程修了 現在、大阪公立大学大学院文学研究科都市文化研究センター研究員 ◎おしらせ◎ 『日本歴史』第915号(2024年8月号)に書評が掲載されました。 評者 坂本忠久氏 |
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ISBN978-4-7924-1523-5 C3021 (2023.3) A5判 上製本 326頁 本体8,000円 | |||||
御用宿から近世大坂を照射する |
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大阪市立大学名誉教授 塚田 孝 |
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中国・北京大学で日本史を学んでいた著者は、交換留学で新潟大学に一年間滞在した際に、史料から歴史像を立ち上げる日本における近世社会史研究に出会い、大きな魅力を感じたという。大学卒業後、著者は日本で近世史を勉強したいとの夢をかなえるべく、二〇一三年に大阪市立大学(現大阪公立大学)の大学院に進んだが、それから一〇年余の月日が流れた。その間、史料の読解を学ぶところから始め、テーマを自らのなかで見出し、あたため、本書にまとめるまでの過程には、さまざまな苦労があっただろうと推察する。 近世大坂の町々では、毎年八月に交代する大坂城の警衛に当たる番衆(大番頭・大番衆・加番)の御用宿(町家が武士を宿泊させる)、あるいは江戸と長崎との間を往復する勘定所の役人の臨時御用宿を勤めることが広く見られた。さらに、幕末の長州戦争の際には、将軍徳川家茂の進発・大坂滞在に伴い、一万三千人余の者たちを長期にわたって宿泊させることが求められた。本書『近世大坂の御用宿と都市社会』は、これら御用宿の全容を整理するとともに、その負担の中心地の一つである船場三六町組に属する道修町三丁目の御用宿勤めの実態を解明したものである。 私は、本書が日本近世史の研究史上において持つ意義について、次のように受け止めている。 ⑴ 第Ⅰ部では、大坂の町方が負担する番衆の御用宿、幕府役人らの臨時御用宿などの全容を初めて明らかにしている。第Ⅱ部では、それとは質を異にする大規模かつ長期の将軍進発に伴う幕末の御用宿の全体像を解明している。両者を視野に入れることによって、長年にわたって御用宿を勤めた経験が、幕末の大規模な御用宿を何とか可能にしたであろうことと、同時にその過重な負担が町方にもたらす矛盾をともに浮かび上がらせたことが注目される。 ⑵ 道修町三丁目が含まれる大番衆の宿を勤める船場三六町組、長崎役人の臨時御用宿を勤める同地域の三二町組合の実態を明らかにし、それらの負担の合理化を求めるプロセスを明らかにしたことは、市中の町相互間の関係(組合町)の研究としても大きな意義を持っている。 ⑶ 御用宿を勤める組合町レベルの様相だけでなく、個別町における宿負担の実態を明らかにしなければ、御用宿の理解として不十分であるとの立場から、道修町三丁目に即して宿負担の実態を詳細に明らかにしたことは未開拓な分野を切り開いた画期的な成果である。それを通じて、道修町三丁目の町内構造と運営システムを統一的に把握することに成功しており、これは都市社会の基礎単位たる「町」の研究を深化させるものでもある。 ⑷ 「町」に残された史料群を軸にしながら、多様な史料をクロスさせて御用宿の全体を解明する分析は、都市社会分析の方法としても重要な意義を持っている。特に、道修町三丁目文書の全体の構成と町運営の内的な連関を問う分析手法は、「史料と社会」の視点を深める意味を持つ。 総じて、本書は〈御用宿〉という視角から近世大坂の都市社会の実態を照射する大きな成果であると考える。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |