徳川幕府朝鮮外交史研究序説
池内 敏著 


1630年代は「鎖国」制の導入された時期と目されており、同時代における日朝外交史上の画期的変化は「鎖国」制成立の一環をなすものとも見なされてきた。日朝外交史における1630年代のもつ画期性の見直しは、「鎖国」制の歴史的意義を再考することでもある。本書は、第Ⅰ部で柳川一件の経過を子細に分析し、第Ⅱ部で「鎖国」制の再検討を試みる。




■本書の構成


はしがき

序章 大君の外
  一 大君号の評価
  二 以酊庵と以酊庵輪番制
  三 四つの口
  四 東アジアの連繋網



第Ⅰ部 柳川一件の政治過程

第一章 柳川一件における国書改竄問題
  はじめに
  一 近藤守重による指摘
  二 検証対象としての国書
  おわりに


第二章 柳川調興の晩年から
  はじめに
  一 国文研の史料について
  二 配所での生活
  三 調興の墓碑
  四 江戸の調興
  おわりに


第三章 調興・玄方・七右衛門 
――柳川一件における対立の構図・ノート――
  はじめに
  一 柳川一件の経過
  二 調興・玄方・七右衛門
  三 義成と調興の協調と対立
  おわりに


第四章 「大文字の約条・小文字の書物」考 
――規伯玄方の嘘――
  はじめに
  一 大文字の約条
  二 柳川一件の審議状況
  三 「約条」のゆくえ
  おわりに


第五章 「柳川一件」考
  はじめに
  一 宗・柳川対立の構図
  二 幕閣の審理から家光親裁へ
  おわりに


第六章 「柳川一件」の歴史的位置
  はじめに
  一 家光親裁について
  二 柳川調興の幕臣化志向について
  おわりに


補論1 寛永十二年の訳官使
  はじめに
  一 寛永十二年訳官使の実現過程
  二 馬上才一行が訳官使であること
  おわりに


第七章 寛永十三年通信使と柳川一件 
――史実とエピソードの距離―― 
  はじめに
  一 肩入れする者たち
  二 寛永十三年通信使の使行録
  三 エピソードと歴史像
  おわりに



第Ⅱ部 近世日本の「鎖国」

第八章 「鎖国」と「鎖国祖法観」
  はじめに
  一 「鎖国論」
  二 「鎖国」と「通信の国」
  三 「鎖国」なることばの属性
  おわりに


補論2 岡本隆司編『交隣と東アジア 近世から近代へ』に寄せて
  はじめに
  一 本書の概要
  二 本書の視点と方法
  三 「交隣」について
  おわりに


補論3 岩﨑著書から学んだこと
  はじめに
  一 鎖国祖法観の分析方法について
  二 「鎖国」と「鎖国論」
  おわりに


補論4 解説 岩生成一『鎖国』

第九章 「鎖国」下の密貿易と環日本海の港町
  はじめに
  一 抜荷法制と抜荷
  二 後期抜荷の再検討
  三 日本と朝鮮をまたぐ「抜荷」
  おわりに


第十章 蝦夷地に漂着した朝鮮人李志恒
  はじめに
  一 李志恒送還と津軽藩
  二 江戸から対馬へ
  おわりに


第十一章 朴徳源考
  はじめに
  一 朝鮮朴徳源書「奉和日本鴻儒龍公美」
  二 小通事朴徳源
  三 書契偽造と朴徳源
  おわりに


補論5 文化易地交渉における外交文書偽造
  はじめに
  一 易地聘礼を容認する内容の偽造文書
  二 倭館朝鮮語通詞吉松右助の告発
  おわりに



第十二章 近世近代移行期の日韓関係とロシア
  はじめに
  一 ロシアの南下とは何か
  二 幕末維新期日本の鬱陵島認識とロシア
  三 視点としてのウラジオストク
  おわりに


終章 徳川外交における朝鮮
  はじめに
  一 「報国以言」と『鎖国論』
  二 江戸幕府と朝鮮貿易
  三 日朝関係史と「鎖国」
  おわりに――近世日朝関係史研究と「鎖国」





  
池内敏(いけうち さとし)…………1958年愛媛県生まれ 名古屋大学名誉教授 主要著書に『絶海の碩学 近世日朝外交史研究』『竹島 もうひとつの日韓関係史』など




ISBN978-4-7924-1529-7 C3021 (2024.5) A5判 上製本 551頁 本体9,500円
 先に拙著『大君外交と「武威」』では徳川将軍の対外的称号たる「大君」号の歴史的意義について再検討を行い、同『絶海の碩学 近世日朝外交史研究』では以酊庵輪番制の歴史的評価の再検討を行うとともに柳川一件についても再検討の必要があることを述べた。本書はこれら成果の上に立って柳川一件の歴史的評価を再検討し、「大君」号・以酊庵輪番制・柳川一件が三位一体となって一六三〇年代に日朝外交史上の画期が見いだせると考えられてきた研究史の再検討を試みるものである。

 その一六三〇年代は「鎖国」制の導入された時期と目されており、同時代における日朝外交史上の画期的変化は「鎖国」制成立の一環をなすものとも見なされてきた。したがって、日朝外交史における一六三〇年代のもつ画期性の見直しは、「鎖国」制の歴史的意義を再考することでもある。本書は、第Ⅰ部で柳川一件の経過を子細に分析し、第Ⅱ部で「鎖国」制の再検討を試みるものである。

              *            *         

 さて、著者のこれまでの検討によれば、大君号の創出過程や用例の子細な検討結果は、先行研究の評価とは合致しないし、以酊庵輪番制の導入には幕府による日朝外交への直接介入の意図など全く検証できない。これらの事実関係については序章で簡潔にふりかえっておくことにする。また日本年号の使用は確かに徳川政権の自己認識の問題ではあるが、それ以上のものではないし、寛永十三年朝鮮信使において朝鮮信使日光社参が初めて導入されたが、それは宗氏の側から提起されたものと思われる。つまり、柳川一件を経たのちに成立したとされる外交体制には徳川幕府の主導性が見いだせるとともに、幕府が中世以来の対馬島による朝鮮貿易を追認したものでもある。幕府外交における日本中心主義的な性格についても強調しすぎる必要はない。さらに朝鮮信使が文化八年(一八一一)をもって結果的に終了することが問題とされながら、その後も朝鮮信使派遣計画が繰り返し立案されたり、訳官使派遣は幕末まで継続し続けたことについて先行研究はあまり注意を払わない。

 そして本書第Ⅰ部における柳川一件の再評価を踏まえると、「幕藩制国家は、朝鮮との関係を主軸に、虚構の琉球国との関係を副軸に、東アジアにおいて自己を中心とした「国際」秩序を設定し、国内で樹立した権威の「国際」的確認を得ることに成功した」とする朝尾直弘の「日本型華夷意識」論もまた再考すべき対象として浮上する。それは、一六三〇年代に「自己を中心とした「国際」秩序」が作り上げられたとする想定を再検討することであり、おそらくそのことは荒野泰典による「四つの口」論や日本型華夷秩序論の再考をも促すこととなる。つまりは近世史研究における「鎖国」像の再検討である。この点は本書第Ⅱ部で試みる。終章は、本書全体を踏まえての整理と、日朝関係史の近世から近代への移行へ向けての展望である。それは近世日朝関係史を徳川幕府朝鮮外交史として再構成するための試論ともなる。
 (本書「はしがき」より抜粋)
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。