平安貴族の空間と時間
藤原道長の妻女と邸宅の伝領 
野口孝子著 


摂関政治最盛期の藤原道長と姉妹や2人の妻とその間になした子女、邸宅の伝領関係から平安貴族の人生、空間・時間との関わりを解明していく。道長も「北の方」源倫子とより高貴ともいえる妾妻源明子、ひいては2人との間の子女には明確な処遇差を付していた一方で冷遇された観のある明子所生の子女が院政期には逆転していくあたりや、物忌が生んだ側面の強い国風文化の展開への着目が意義深い。




■本書の構成

はじめに

Ⅰ 藤原道長の妻

 第一章 摂関の妻と位階 ―従一位源倫子を中心に―
 第二章 『小右記』に見える女性たち ―藤原道長の両妻表記をめぐって―
 コラム1 正妻の座 ―平安貴族の結婚―

Ⅱ 藤原道長の妹と娘たち

 第一章 麗景殿の尚侍藤原綏子について
 第二章 摂関家の娘たち ―藤原道長の娘尊子―
 コラム2 市女笠の女

Ⅲ 道長の邸宅とその伝領

 第一章 平安貴族社会の邸宅伝領 ―藤原道長子女の伝領をめぐって―
 第二章 藤原道長の二条第
 第三章 平安時代における枇杷殿の伝領について
 第四章 藤原道長の三条家 ―家の伝領と居住者をめぐって―
 コラム3 法成寺建立 ―破壊か再利用か―

Ⅳ 王朝貴族の空間・時間感覚

 第一章 「殿」と呼ぶ心性 ―平安貴族社会の邸宅表記―
 第二章 「夜」化の時代 ―物忌参籠にみる平安貴族社会の夜―

初出一覧
あとがき
索 引(人名、地名・邸宅名)




  野口孝子(のぐち たかこ)……1949年生まれ



ISBN978-4-7924-1533-4 C3021 (2024.6) A5判 上製本 296頁 本体7,500円

  
生活者としての女性の視点から捉えた平安貴族社会
京都女子大学名誉教授 野口 実  
  


 このたび、野口孝子氏が『平安貴族の空間と時間―藤原道長の妻女と邸宅の伝領―』を上梓された。

 著者は早稲田大学教育学部で西洋社会史を学んだが、村井康彦先生の著作から平安貴族社会に関心を持ち、結婚後、事務職を勤めるかたわら、夜間に開講されていた法政大学大学院で豊田武先生を指導教授に仰いで日本史学の門を叩いた。しかし、出産と育児のために退学を余儀なくされる。その後、京都への転居によって、古代学協会の主催する『御堂関白記』の講読講座や女性史総合研究会にも参加する機会を得たことが、さらに平安時代に対する知見を深めた。鹿児島に転居後、子育てが一段落したのを機に鹿児島大学大学院人文科学研究科に入学。乕尾達哉先生のもとで本格的に平安時代史の研究を再開。それから再び千葉、京都に移動することになったが、その間も、いわゆる主婦業をこなしながら、『御堂関白記』や『小右記』などの記録に取り組んで研究を継続してきた。

 著者の研究には、女性の視点から捉えた摂関時代の社会史と平安京・京都の空間に関する問題を取り上げたものが多い。本書は、大学卒業直後から現在に至る半世紀に及ぶ期間に執筆した論文の中から、摂関政治の頂点を極めた藤原道長を取り巻く女性たちと、その邸宅の空間や伝領に目を向けたものを選んで構成されている。

 道長は自分の娘を三人も后にし、その栄華を「この世をば我が世とぞ思う」と詠んだことでよく知られているが、実のところ、彼の人生は多くの女性たちによって支えられていたのである。一条天皇の国母として初の女院となった姉詮子は道長をかわいがり、その政権樹立に強力に関与した。そして、妻の源倫子は道長の後継者を産み、家政を担い、四人の娘たちは天皇や東宮・院と婚して道長の栄華を支えたのである。

 一条天皇の中宮となった長女彰子が皇子(後一条天皇)を産むと、倫子は、夫道長の譲りで、最高位の従一位に叙された。摂関家の正妻として、公務に就いていない女性が最高位に叙されたのはこれが初めてである。以後、従一位は摂関家の正妻の慣例となる。朝廷は序列社会である。倫子は、従一位という立場で、夫と共に宮中に参入し、后となった娘たちをフォローした。日本の歴史の中で、夫妻同伴でたびたび宮中に出入りした例は、道長夫妻をおいて他にはない。道長の従一位は約十年後のことである。つまり、時の権力者は道長なのではなく、道長と倫子だった。彰子もまた、わがままな父の行動を諫めるような后に成長し、朝廷のバランスをとることに努めている。

 著者は、摂関政治が、かくも女性なしでは成り立たないものであったことを述べ、さらに彼女たちが居住し、ときには里内裏となった土御門第・枇杷殿などの位置や伝領についても論を及ぼすのである。

 本書には貴族社会における主従制や「夜化」の問題など、様々なテーマの論文が収録されているが、総じて申せば、平安貴族社会における女性の位相をその邸宅の位置や伝領から導いた研究として高く評価されるように思う。

 今世紀に至って、非常勤ながらも漸く大学や研究機間で講師・研究員をつとめるような立場を得たものの、結婚してからは女性が家事育児を担うという、前世紀ではよく見られた制約によって断続的な研究を余儀なくされながら、よくこれだけの成果をものしたものだと思う。夫としての、そんな感慨をもって本書の紹介を閉じさせて頂きたい。

※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。