■戦前期外米輸入の展開 | |||||
大豆生田稔著 | |||||
同時代の新聞・雑誌記事、「外務省記録」や米戦略諜報局の報告書などを駆使して、米不足が本格化する一八九〇年代、米騒動前後に大量の外米輸入を実現した一九一八・一九年、過去最大の外米を輸入した戦時の一九四〇~四三年、そして船舶不足から外米を「一擲」せざるを得なくなった戦争末期の各時期に光を当て、外米を通じた近現代史を炙り出す。戦前期日本の食糧事情を考える上で必読の一書。 ■本書の構成 凡例 序章 課題と方法 第1章 1890年の米価騰貴と外米輸入 補論1 1897~98年の米価騰貴と外米輸入 第2章 米騒動前後の外米輸入と産地 補論2 千葉県における外米消費 ―1910年代末と20年代半ばの比較― 第3章 戦時期の外米輸入 ―1940~43年の輸入と備蓄米― 第4章 総力線下の外米輸入 ―受容から脱却へ― 終章 小括 あとがき 索引 大豆生田稔(おおまめうだ みのる)……1954年、東京都生まれ 東洋大学文学部教授 博士(文学 東京大学) 著者の関連書籍 大豆生田稔編 港町浦賀の幕末・近代 ―海防と国内貿易の要衝― 大豆生田稔編 軍港都市史研究Ⅶ 国内・海外軍港編 |
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ISBN978-4-7924-1538-9 C3021 (2024.12) A5判 上製本 234頁 本体7,000円 | |||||
日本の食糧事情を考える上で必読の一書 |
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松山大学名誉教授 川東竫弘 |
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大豆生田稔さんが三一年前に刊行した『近代日本の食糧政策―対外依存米穀供給構造の変容』(ミネルヴァ書房、一九九三年)は、戦前日本の食糧問題・食糧政策をテーマに、主穀の対外依存(外米)が恒常的になり始めた一九〇〇年前後から、米騒動をへて、一九二〇年代に植民地米増殖に舵を切り、二〇年代末に植民地米に依存した「自給」を達成し、一九三〇年代初めには「過剰」になるという、米穀需給構造の歴史過程を緻密な統計分析と豊富な資料により跡づけた優れた研究書で、多くの研究者から高く評価されてきた名著であった。 本書は、前著の研究を踏まえ、戦前日本が東南アジアから輸入した「外米輸入」をテーマに、戦時体制期まで論じ、特に三つの時期に絞り考察したものである。第一に日本の米穀需給が不足傾向となり、それを補填するために大量に外米を輸入し始めた一八九〇年前後及び一八九七・一八九八年の時期(第1章)、第二にいわゆる米騒動が勃発し、国内の米不足を補うために大量に外米を輸入した一九一八・一九一九年の時期(第2章)、第三に一九三九年の西日本と朝鮮における大凶作を契機に、植民地米依存の「自給」構造が瓦解し、米穀不足が深刻化し、急遽それを補填するために過去最大の外米を輸入した一九四〇~一九四三年の時期(第3・4章)を考察している。特に第2章の「米騒動前後の外米輸入と産地」は東南アジア産地側と日本政府側との米穀輸入をめぐる外交交渉について、前著では使用できなかった外務省外交史料館所蔵の「外務省記録」を駆使し、丹念に読み込んだ労作である。第3章「戦時期の外米輸入―1940~43年の輸入と備蓄米―」は朝鮮米移入の激減に直面し、外米を大量に輸入・備蓄し、危機を乗り切ろうとしたが、それも四四年には戦局の悪化により途絶し、食糧危機・国民生活の危機が深刻化し、敗戦を迎える時期の考察である。その際、敵国アメリカも戦略物資としての食糧に関心を持ち、米国戦略諜報局が四五年四月に報告書をまとめているが、それを初めて本格的に紹介した貴重な論文となっている。 大豆生田さんは従来のアカデミズム、講座派、労農派、宇野派等の研究史を適切におさえながら、その問題点も指摘し、史学科の出身らしく、徹底的に資料を探索し、緻密な分析の上で新しい知見を導き出しており、その研究手法は極めて堅実である。日本本国の米穀需給統計の作成、外米輸入の具体的展開、政府の政策・外交交渉、国内での外米消費の実態等の分析はいうまでもなく、これまで不十分であった外米産地・東南アジア諸国の分析にまで及んでおり、視野が広く、詳細である。 本書は、食糧の対外依存がいかに不安定で危険であるかを明らかにしており、今後の日本の食糧事情を考える上で、ぜひ一読をお薦めしたい。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |