| ■東北と上方を結ぶ藩政史 | |||||
| 後期秋田藩政と館入 | |||||
| 金森正也著 | |||||
大名と上方銀主との調達銀をめぐる交渉はどのように行われ、両者間の信頼関係は、いかにして維持されたか。本書では、出羽国秋田藩の大坂詰勘定奉行の日記の分析を通して、債務者の「誠意」の表示と、飢饉時の買米資金調達の狭間の苦闘を描写するとともに、単なる銀主にとどまらず、藩内産業への出資・育成者としての館入の役割に着目する。また、秋田の特産物である鰰を用いた魚肥、および秋田絹の上方移出による「国益」の志向と、領内通用の銭札をめぐる対応から、秋田藩の館入を務めた上方商人たちの役割と機能を明らかにする。 ■本書の構成 序に代えて Ⅰ部 第一章 一 九世紀における秋田藩大坂留守居役と館入 ―文政~天保期を中心に― はじめに/大坂蔵屋敷と館入/館入の役割/天保三年の調達銀と「御借財」仕法の継続問題/天保凶作・飢饉下の調達銀と買米/おわりに 第二章 上方銀主との交流と交渉 はじめに/銀主との日常的な交流/臨時調達銀と「御借財仕法」の継続への館入の対応/天保四年の凶作・飢饉と臨時調達銀の交渉/酢屋利兵衛の「仁政」批判と介川の館入認識/おわりに Ⅱ部 第三章 秋 田藩の殖産政策と館入 ―加島屋作兵衛家の養蚕事業支援― はじめに/秋田藩と加島屋作兵衛/養蚕事業開始時の資金源/養蚕方請負仕法後の転換/請負仕法後の展開/おわりに 第四章 預札の流通問題と館入 はじめに/文政年間における預札の発行と統制/預札の流通拡大とその背景/天保期以降の預札対策と大坂館入の関与/おわりに 第五章 男鹿半島の鰰漁と鰰干鰕専売計画 はじめに/男鹿鰰漁の概観/鰰干鰕生産とその販売/鰰干鰕専売制の志向/上方銀主の問題/農民の動向から/おわりに Ⅲ部 第六章 絹方殖産の展開と地域社会 はじめに/織絹の払い先/織師の実像/織師の広がり/織師に対する規制/糸の生産と供給/おわりに 第七章 絹方殖産と織絹の上方移出 はじめに/他領移出の概観―「絹払帳」の分析より―/山下半兵衛との取引―絹殖産の初発段階―/百足屋新六との取引―文政後期から天保前期―/大坂屋宇六との取引―天保六年~嘉永六年―/那波三郎右衛門の課題認識/おわりに 終 章 初出一覧 あとがき 索引 金森正也(かなもり まさや)…………1953年秋田県生まれ 秋田県公文書館嘱託 博士(文学) 著者の関連書籍 金森正也著 藩政改革と地域社会 |
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| ISBN978-4-7924-1542-6 C3021 (2026.3) A5判 上製本 368頁 本体9,500円 | |||||
近世後期の秋田藩政と上方商人の関係を解明 |
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| 宮城学院女子大学名誉教授 菊池勇夫 |
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上方、とりわけ大坂の商人は蔵元・館入(たちいり)として近世後期の大名の財政・政策と深く関わった。本書は東北地方の秋田藩(佐竹氏)を事例とし、藩政と大坂商人の結びつきを大坂蔵屋敷の留守居役を勤めた人物の日記を用いて解き明かした。生々しい大坂商人の発言までが記されている。留守居研究としての意義も大きい。 その人物の名は介川東馬(すけがわとうま)という。文化期から天保期にかけて二八年間もの長期にわたって勘定奉行の職にあり、五度も大坂詰を経験した財政方のエキスパートであった。卓越した渉外能力を持ち合わせていたのだろう。介川は、藩主佐竹義和が寛政改革で設置した藩校に学んで人材登用された。著者が「改革派官僚」と呼ぶ一人である。秋田藩にとって、天保四年の大凶作と翌年にかけての飢饉状況はかつてない藩政史上の困難となった。介川は当時大坂にあって、商人からの臨時調達銀や、領内の飯米確保のための十万石の買米を国許から命じられ、館入に協力を依頼して奔走した。大坂での買米は幕府の出米規制を受けたが、「国民撫育」は公儀(幕府)に対する大名の第一の勤め、という論法によって切り抜けた。幕府との関係では大坂の銅座に納入した長崎御用銅の支払い滞りをめぐって銅座と交渉もしている。 秋田藩が館入とした大坂商人は二〇家を越えている。そのうち鴻池新十郎・塩屋孫左衛門の両蔵元と加島屋作兵衛を「三家」と呼んで重視した。なかでも加島屋の支配人がよく相談に乗っていた。単に大名貸する銀主というにとどまらず、臨時御用の金策などにあたってアドバイザー的な役割を果たしていた。しかも、留守居は日常のレベルで館入と酒席を共にするなど、良好な関係の維持に努めていた。こうした日々の行動・交際が日記から明らかにされる。 館入はまた、後期秋田藩の改革政治に関係していたとするのが、本書での論点である。加島屋作兵衛は藩が進めた殖産事業である種紙養蚕に継続的に資金を提供し、販売ルートの開拓などに支援していた。秋田藩では諸上納役所預札、両替屋預札など種々の預札が発行され、その整理が課題となっており、大坂館入の久々知屋吉兵衛が金札を発行、その後加島屋・辰巳屋が札元となり、金札の信用を高めた。男鹿地方は鰰(はたはた)の干鰕(ほしか)の生産地帯で、手繰網の解禁など、藩は「国産」として振興し、北陸の買積船(北前船)が入ってきた。大坂館入の酢屋利兵衛が買い付けに船を廻したことは確認されるものの、上方商人を銀主として専売制が実施されたとする先行研究の理解は否定している。 久保田の豪商那波三郎右衛門(祐生)は本書のもう一人の重要人物といってよい。那波が絹方支配人に任命されて請け負った絹織殖産について詳しい帳簿分析を行っている。織師となったのは主に所預の家中(陪臣)や足軽で、大坂・京都へ出荷していた。もっぱら領民が富むこと、養蚕菅糸の領外への交易の道筋を開く、これが那波が認識した領主・役人が取り組む「国産」の本旨であったという。 本書と前著『藩政改革と地域社会―秋田藩の「寛政」と「天保」―』(清文堂出版、二〇一一年)をセットで読むことを勧めたい。後期秋田藩の地域社会・藩政改革・外部世界とのつながりがより一層、一体的・全体的に私たちの前に立ち現れてくる。藩政史研究の範例となっていくに違いない。 |
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| ※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |