■民話と保育 | |||||
―「個育て」のために― | |||||
矢口裕康著 | |||||
著者は、ひとりひとりの子どもたちは「乳幼児期の体験を原点として、自分にとっての個性・個人差を形成しながら大人へとなってゆくのだろう」とし、したがって人は自己形成の途次にあっても「自分の子ども時代も大切なテキストの一つとして、生き方を模索するさい活かしてゆくべきではと思っている」、そしてその上ではじめて「自分の人生を自らの手でデザインしてゆくことも実現」し得ると、そう説いている。昨今賑やかな心理学的なアプローチとは明らかに異質の、清新かつ刺戟的な「民話保育論」。 著者の関連書籍 矢口裕康著 語りの再生 |
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著者紹介 矢口裕康 やぐち・ひろやす 1950年、横浜市生まれ。 1972年、國學院大學文学部卒業。 1975年、成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻修士課程修了。 1977年より宮崎女子短期大学に勤務。 |
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ISBN4-7924-0532-7 | (2003.3) | 四六判 | 上製本 | 272頁 | 本体2800円 |
■本書の構成 序 文 野村純一 第一部 保育と語り T 紙芝居と子どもたち U 野菜と保育 V 神道と保育 W やなせたかしと短大生 X ボランティアと語り 第二部 宮崎民話のエッセンス I はじめに II みやざきを語る「よだきい」 III ポピュラーな昔話 IV 宮崎でも笠地蔵 V 女の物知り・半ぴのとんちから語りはじめる VI 多様な民話世界を内包する宮崎での語り VII テンポのよい軽やかな昔話 VIII 少しこわい話 IX かっぱの民話 X 狐・猫・にんげんの話 XI 蟹の話 XII 宮崎みんわ様々 XIII 人生を語る民話 XIV ラジオと口承文芸存在 |
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清新、刺戟的な「民話保育論」 | |||||
國學院大學文学部教授 文学博士 野村純一 | |||||
福井県とはいっても、実質は旧若狭国の方である。敦賀と小浜の間、若狭湾に接して「三方五湖」がある。その一つに「日向湖」がある。併せて三方郡美浜町には「日向」という集落がある。北陸の海辺に何故「日向」を名乗る処があるのか。これには言い伝えがあった。 江戸中期の頃という。九州宮崎は日向の衆が漁に出て、時化に会って遭難した。一行の船は流れ流れて北上し、周防灘を経て響灘に出てしまった。その後、対馬海流に乗ったのであろう、日本海に入った。そして辿り着いたのは、常神岬の内懐、つまりは現在の「三方五湖」の一つであった。漂着した彼等は土地に定住して、そのまま生業を営むようになった。遠く、故郷の地を懐旧してそこに「日向」の名を冠したとする。のみならず、漁労の業に長けていた日向の衆は、やがて土地のひとびとに先進の技術を伝え、鰤漁を積極的に先導して、遂には莫大な収益を得るに至った。こうして、若狭湾に行われる寒鰤漁の先蹤は、日向の漁師によってもたらされたとするのである。この話を、かつての ”鰤御殿” の末裔から私は聞いた。 右の例一つを取っても、宮崎の人と文化は早くから外に向けて大きく開かれ、しかもそこには先取の気象に富む心意気がよく示されているように思われる。南からの風を受けて、この地のひとびとはいったいに小事にこだわらず、常に時代の先頭に立っていたのである。 今回、矢口裕康君の『民話と保育―「個育て」のために―』を一瞥して、そのことがよく判った。宮崎の土地柄の良さと、そこでの発想の大胆さに思わずも瞠目した。著者はこの「あとがき」の中にひとりひとりの子どもたちは「乳幼児期の体験を原点として、自分にとっての個性・個人差を形成しながら大人へとなってゆくのだろう」とし、したがって人は自己形成の途次にあっても「自分の子ども時代も大切なテキストの一つとして、生き方を模索するさい活かしてゆくべきではと思っている」、そしてその上ではじめて「自分の人生を自らの手でデザインしてゆくことも実現」し得ると、そう説いているが、これこそはごく自然に、まさしく彼自身が体得したかけがえのない ”民話論””民話教育論”として成り立っていると理解した。要は「乳幼児期」に、それぞれは母親から母なる言葉をもって語り掛けられていないと、結果としてその児(個)は「大切なテキスト」を欠いてしまう。それが故に「自分の人生を自らの手でデザイン」する決め手を欠いてくる、ということになる、と受け取ればよいのであろう。 矢口裕康君のこうした着眼点と独自の論理の展開は、机上からはなかなか生成し難い筈である。おそらくは、長年にわたる丹念、篤実なフィールド調査と、そこでの対人観から習得、立ち上がってきた応用、実践によってはじめて提唱されたものかと思われる。 その意味で昨今賑やかな心理学的なアプローチとは明らかに異質の、清新かつ刺戟的な「民話保育論」かと認識した。本書一冊の誕生を心から祝って、一筆添える次第である。 (本書序文より) |