東方正教の地域的展開と移行期の人間像
北東北における時代変容意識
山下須美礼著



日本におけるキリスト教受容の姿をあらためて考える。


■本書の構成

序 章

第一章 士族ハリステアニンの誕生
 第一節 地方知行給人としての素地
 第二節 士族ハリステアニンの故郷における伝教

第二章 個別教会の成立と展開
 第一節 受洗者名簿にみる教会の成立
 第二節 金銭出納簿にみる教会設備の充足過程
 第三節 士族集団維持を目的とした教会持続の試み

第三章 伝教区の形成と機能
 第一節 伝教区「顕栄会」の意義
 第二節 商業活動の展開

第四章 伝教の主体と受容者の展開
 第一節 士族ハリステアニンによる東京以西への伝教
 第二節 神道教導職の布教活動と正教会
 第三節 敗北藩士族としてのハリステアニン

終 章 地域における時代変容意識

 参考文献
 図表一覧
 あとがき
 索引




  ◎山下須美礼(やました すみれ)……1977年生まれ 博士(文学) 現在、帝京大学文学部講師



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ISBN978-4-7924-1016-2 C3021 (2014.9) A5判 上製本 298頁 本体7,800円
変革期の在村知識層と「教え」としての東方正教
     青森中央学院大学教授 北原かな子
 本書は、ハリストス正教会として知られる東方正教受容の分析を通して、近世から近代へと移り変わる北東北地域を論じたものである。著者の山下須美礼さんは、北方地域社会を中心とした地域史の豊かな研究蓄積を踏まえ、東方正教を受け入れた信者の日記や、北東北各地の教会活動記録、ハリストス正教会諸資料を丹念に読み込むことで、戊辰の傷跡深い北東北の人々がどのように時代を捉え、対応したかを描き出している。
 本書の特徴として第一にあげるべきは、なんといっても、本書が日本における東方正教受容の実情を詳らかにしたということである。かつて、キリスト教史を研究した高橋昌郎氏がその著書『明治のキリスト教』(吉川弘文館、二〇〇三)で指摘した通り、日本のキリスト教受容およびその研究については、アメリカ系プロテスタントが主流を占め、ハリストス正教会の広がりについては、それほど知られていなかった。しかし本書によると、たとえば明治一一(一八七八)年当時、旧仙台藩領の信徒数が一六三二名を数えたことがわかる。同じ北東北からメソジスト派の伝道者を輩出した弘前教会の、同時期の信徒数は二九名、受洗希望者一六名(Sixtieth Annual Report of the Missionary Society of the Methodist Episcopal church for the Year 1878)。文字通り、桁違いである。本書では、なぜこうした教勢を持ち得たのか、具体的なところが明らかにされている。
 次の特徴としてあげたいのは、本書がいわゆる無名の知識層を分析対象にしているということである。ここには、ニコライ、沢辺琢磨などの数名を除くと、有名人がほとんど登場しない。仙台藩、盛岡藩、八戸藩が地方知行制を行ったことから、藩士は給地である村と密接な関係を持ったが、本書では、これらの在村知識層が持ち得た文化的影響力が描き出される。特に旧仙台藩士でハリステアニン(クリスチャン)である小野荘五郎成信の日記から、彼が東方正教をどのような経緯で受け入れたか、その受容基盤も含めて語られる第一章は、近代化とひとくくりにされがちな中に生きる、個々人の有り様を伝えて惹き付けられる。
 明治のキリスト教世界での影響力が知られるアメリカ系プロテスタント各派は、日本の知識層をターゲットにした「英語」あるいは「教育」という武器を持ち、熱烈な福音主義のもと、来日した宣教師およびその周辺の日本人を通して教勢拡大を図った。しかし、本書で描かれる北東北の東方正教受容には、それとは違う世界が広がっている。来日宣教師ではなく日本人の伝教者たちが、「信仰」というよりむしろ「教え」に近い形で、地域の人間関係の中で広めて行った。それは日本におけるキリスト教受容の姿をあらためて考える契機となろう。丹念に、資料を読み込むことから描きだされた北東北の近代。実に魅力的な本書をぜひ手に取っていただきたい。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。