評伝 朝鮮総督府官吏・吉田正廣とその時代
坂根嘉弘著


著者は、薩摩農村の研究者「吉田正廣」が朝鮮農村研究中に知った「吉田正廣」と同一人物であり、勤務する広島修道大学出身のシンガーソングライター吉田拓郎氏の父であることを偶然知る。小作農保護では内地以上とされた「朝鮮農地令」起案等に奮闘して判任官から高等官に抜擢され、朝鮮や薩摩の農村研究者としても活躍した吉田正廣の足跡を、戦前の諸制度の懇切な解説も交えて追体験する。




■本書の構成


はしがき 
―吉田拓郎氏の父親・「吉田正廣」との出会い―

序 章
  
本書の課題と先行研究/研究史上の位置づけ
 
第1章 生い立ち
  
北薩の地・鹿児島県伊佐郡羽月村/江戸時代の門割制度と堂之前門/小学校時代/中等学校への進学
   
第2章 鹿児島県立鹿屋農学校に学ぶ
  
鹿屋農学校への進学/鹿屋農学校での勉学/鹿屋農学校卒業後の進路/針持俊熊家について

第3章 官吏制度と吉田正廣官歴の概観
  
官吏制度の概要/吉田正廣の官歴/吉田正廣の徴兵検査

第4章 朝鮮総督府技手時代
  
京畿道技手に任官/同族部落論/小田内通敏との出会い

第5章 釜山府書記時代 
―守屋栄夫と吉田正廣―
  
守屋栄夫への就職斡旋依頼/釜山府広報誌の編纂と社会問題に関する論稿

第6章 朝鮮総督府属時代Ⅰ 
―小作問題への取り組み―
  
朝鮮総督府への転任と小作問題対策/朝鮮の小作慣行―日本との比較―/朝鮮総督府属時代の吉田正廣の著作

第7章 朝鮮総督府属時代Ⅱ
 ―朝鮮農地令と小作慣行調査―
  
朝鮮農地令の制定/小作慣行調査と『朝鮮ノ小作慣行』/朝鮮農地令と朝鮮の小作慣行

第8章 高等官(奏任官)時代
  
小作官時代/農村振興課での勤務/朝鮮農村における人口の増加/拓務課嘱託時代の吉田正廣

第9章 鹿児島県庁時代 
―戦後の吉田正廣―
  
『鹿児島県農地改革史』の編纂事務局/単著『鹿児島県農民組織史』と『鹿児島県史』第五巻の編纂/『鹿児島明治百年史年表』と鹽田正洪/『鹿児島県議会史』の編纂

終 章 
―吉田正廣家について―

  
寄稿 吉田正廣の思い出 ……………………………針持和郎

  
〈人物注記〉 〈文献〉 〈吉田正廣年譜〉 あとがき




  ◎坂根嘉弘
(さかね よしひろ)……1956年、京都府舞鶴市生まれ 広島修道大学商学部教授・広島大学名誉教授 農学博士(京都大学)


 
◎おしらせ◎
 『経営史学』第56巻第4号(2022年3月号)に書評が掲載されました。 評者 谷ヶ城秀吉氏



  著者の関連書籍
  坂根嘉弘編 軍港都市史研究1 舞鶴編

  坂根嘉弘編 軍港都市史研究6 要港部編

  大鎌邦雄編 日本とアジアの農業集落―組織と機能―

  勝部眞人編 近代東アジア社会における外来と在来

  坂根嘉弘・森 良次編 日本の経済発展をどうとらえるか

  坂根嘉弘著 日本戦時農地政策の研究




ISBN978-4-7924-1487-0 C0021 (2021.1) 四六判 並製本 332頁 本体2,700円

  
吉田拓郎さんの父上の仕事

広島修道大学教授(広島修道大学元学長) 川本明人  

 日本を代表するフォーク・シンガーでありミュージシャンである吉田拓郎さんは、数々の病と闘いながらもコンサートを続け、現役で走り続けている。多くの曲を作り、歌い、軽妙な語りでファンを引きつけてきたすごい人だ。その拓郎さんの父上が、坂根嘉弘著『評伝 朝鮮総督府官吏・吉田正廣とその時代』で描かれた吉田正廣である。拓郎さんの父上の話ということで、俄然興味も沸いた。分かったことは、戦前の朝鮮における小作調査や農政、そして戦後の鹿児島県史に対して、吉田正廣が懸命に仕事に取り組み、大きな成果を残したということだ。仕事への情熱、覚悟、そして責任感をもって一途に励んだ父上の生涯も、やはりすごいものだったと感動した。

 著者と吉田正廣との研究上の出会いがスリリングである。鹿児島地域史研究に登場する吉田正廣と、その後知り得た朝鮮総督府刊行物の調査・編纂者である吉田正廣が、同一人物なのかどうか判断がつかなかった折に、偶然手にした吉田拓郎さんのインタビュー記事から問題が解決し、しかも拓郎さんと親子であることが判明したことから始まったという。そこから一気に研究の火がつき、壮大な研究書が仕上がった。

 本書の中心となるのは、吉田正廣が心血を注いだ朝鮮総督府官吏時代における業績の考証である。とりわけ、彼が中心になって編纂した上下巻二千頁超の小作慣行調査や、朝鮮農地令の解説によって、吉田正廣の官吏、研究者としての高い能力が示されていることを検証している。その後、高等官時代を経て終戦まで朝鮮に留まり、いくつかの任地で活躍を続ける。そして戦後、鹿児島に引き揚げてからも、県の職員として鹿児島県政史に関する執筆を続け、貴重な文献や資料を遺すことになる。吉田正廣の職歴や生涯にわたる仕事を詳細に追うことで、戦前の朝鮮農政史や植民地官吏論に新たな光を投じようとする意欲的な著書になっている。さらに、本書の考証に厚みを加えているのが、吉田正廣の親戚筋にあたる針持和郎広島修道大学教授やご家族等からの、数々の証言や教示である。これらによって、吉田正廣の仕事と人となりがさらに活き活きと描かれている。

 私が学長の折の二〇〇八年八月、朝から夏の太陽が照り付ける大学キャンパスで、広島修道大学五〇周年を記念する行事として、卒業生である吉田拓郎さんの歌碑の建立除幕式が行われた。拓郎さんの昔のバンドメンバーからご提案いただいた企画だった。その夜、広島の繁華街で、拓郎さんの仲間である広島フォーク村四十周年のイベントがあった。その会場で、思いもかけず拓郎さんから「今日はありがとうございました」と丁寧に歌碑のお礼を言われた。「ちょっと飲みましょうか」と言って、ビールのジョッキを注文してくれた。対面に座って、「いい大学生活でしたよ」とか、「広島も好きですよ」と言ってくれたのは覚えているが、こちらは緊張して相槌を打つくらいしかできなかった。短い時間であったが、最後に「思い出に浸るのもいいけど、後ろばかり向いてちゃ。前向いて生きていきたいね」と印象的な言葉を投げかけてくれた。父上のことも振り返るだけでなく、前を向いていく力になっているに違いない。歴史研究者はもちろん、拓郎さんを知る人にも是非薦めたい。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。