■大蔵虎明能狂言集 翻刻 註解 全二冊
大塚光信編


本書の底本と構成
●本文は、笹野堅編『古本能狂言集』(岩波書店刊)を底本とし、大蔵彌太郎編『
大蔵家伝之書 古本能狂言』(臨川書店刊)を参照し定めた。
●本書は上・下巻二冊からなる。
上巻には
 脇狂言之類・大名狂言之類・聟類山伏類(以上、岩波版第一冊所収)鬼類小名類(岩波版第二冊所収)を収める。
下巻には
 女狂言之類・出家座頭類(以上、岩波版第二冊所収)集狂言之類・萬集類(以上、岩波版第三冊所収)を収める。
●頭注は、見開き二ページを単位として通し番号を付し、当該箇所の理解に資するように、解釈・解説のほか、他の資料よりの引用も適宜行なった。



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ISBN4-7924-1398-2 C3091 (2006.7) A5 判 上製本 上巻636頁・下巻550頁 全二冊揃本体28,000円
セジナイことを
京都教育大学名誉教授 大塚光信
 大名狂言の一つに「文蔵」という曲がある。京見物に行った太郎冠者が京の寺で振舞われた珍しい食物の名を、大名が散々苦労した末、やっと探しあてるというものである。そこに、
 ○とにかくに、くらはじなひ物をたべおつて、某によひほねをおらせた(古本能狂言集、一379-380)
という文言がみえるが、ここの「くらはじなひ物」について、古川久『狂言辞典 語彙編』は「食べたことのない物、食べつけない物」、池田廣司・北原保雄『
大蔵虎明本狂言集の研究 本文篇』は「食うべきでない物の意か」と、それぞれ解する。
 ところで、抄物に、
 ○サテ底ノ心ニハ、君タル人ヲコリホコリテせシナイ事ヲスレハ、不久シテ国家モ乱ルヽト云心ヲ含マせテ、上ヘハ不
見ソ(内閣文庫本三体詩抄、五54オ)
 ○ソレヲサハ无テ、せマジイ事ヲせハワルイソ、貧賤ヲ去ラウトテ、せマジナイ事ヲせマイソ(笑雲清三講、論語抄
里仁一102オ)
 ○林甫カ君ニ諛事(ヘツライツカヘテ)不
諫(イサメサルニ)ヨリテ、貴妃ニ惑テ、スマシナイ茘子スキヲサせテ寵愛せラルヽソ(四河入海、一〇の三22ウ)
と、珍しいせジナイ・せマジナイ・スマジナイの語が見える。これは、サ変動詞に助動詞ジまたはマジが下接したものに、『かたこと』が「如在なきといふやうの、“なき”は前に云る付字にて、只“な”といふことなり、“無”ノ字の義にあらず」というナイが加ったもので、結局はセジ・セマ(ジ)イ・スマ(ジ)イと同義の語で、「すべきではない」の意である。すると、前掲「文蔵」の「くらはじなひ物」も、忝なくも釈尊が身を温めるために食せられた「温糟粥」はお前如きの者の「食べるべき物」ではないの意となり、万事うまく収まる。
 英語の Nice は、もともと“無知”の意で、無知なる者は無言であることが多いことから、それを基として現在のような意になったという。「沈黙は金なり」である。大蔵虎明の狂言本を対象に、抄物などの用例をいくばくか新たに援用しながら簡単な註解を施したものの、おおけなくもセジナイことをしたものだと、今更のように先立たぬ後悔の思いがしないでもない。しかし、柳田征司・小林賢次両氏のご援助のおかげで、ようやく本書が陽の目をみることとなったのは、いずれにしても、嬉しいことでもある。
大蔵虎明能狂言集 翻刻 註解』刊行にあたって
京都女子大学教授 小林賢次
 大蔵流十三世大蔵虎明の狂言意識、あるいは狂言用語意識について探ってみたことがある。虎明は、大蔵虎明本において、行間あるいは上欄書き入れ、さらには曲の末への書き入れの形で、伝承されてきた演出あるいはその用語について疑問を呈し、しばしば自らの見解・主張を述べている。口頭で伝承されてきた狂言詞章を大成し、『わらんべ草』で自らの狂言観を明確に示している虎明の本領発揮というところであろう。たとえば「末広がり」では、伝承された本文で、毎年の「嘉例」で招待客に「末広がり」を進上するとあるのに対して、毎年嘉例としているなら、使用人の太郎冠者が末広がり(扇)を知らないはずはないとし、今年が特にめでたいからとするか、または、太郎冠者が新参者であるために知らないのだという形にすべきだと言う。理詰めの論であって、この主張が受け入れられたのであろう、のちの虎寛本(寛政四年〈一七九二〉書写)になると、この場面では「嘉例」という言葉は使わないようになっている。もっとも、後世の大蔵流において、必ずしもすべてが虎明の主張した方向に向かっているとは限らず、それはまたそれで興味深いのであるが。
 数ある狂言台本の中でも、狂言の発達過程を知るための根本資料として、また、我々にとっては中世から近世への日本語の変遷を考えるための、まさにことばの宝庫として、虎明本の価値は絶大である。池田廣司・北原保雄両先生の手になる翻刻・注釈が刊行されてからすでに二十年以上を数える。影印として岩波版に加えて臨川版も利用可能となり、その本文の厳密な翻刻と言語資料としての側面に重点を置いた詳細な注釈は、久しく待望されていたところである。
 さて、今回、大塚光信先生のお誘いをうけ、『
大蔵虎明能狂言集 翻刻 註解』の仕事に、柳田征司氏とともにお手伝いできたことは、私にとって大きな喜びである。本書の刊行を機に、また新たな視点での大蔵虎明本の研究、そして狂言ことばの研究が一層進展することを期待したい。


※上記のデータはいずれも本書刊行時のものです。