しばらく前に、「フクロウが地上の獲物を探している時、時々頭を左右に動かすが、これは視点を動かしているわけである。視点を動かせばそれに伴って物の形は変わって見えるが、視点の移動と物の形の見えの変化の間には一定の法則があり、脳はそれに計算を加えて物の本来の形を把握する」(国広哲弥「語義の構造」二〇〇二年、朝倉日本語講座4『語彙・意味』一五四頁)という言説にふれた。それ以前から、日本語に関わる知見を得るために「二つのテキスト」を使うということをずっと考えてきた。
第二巻、第三巻では、そうしたみかた/方法をさらに鮮明にすることを目的として、「二つのテキスト」を共通の書名とし、扱うテキストの時期を「明治期以前」と「明治期」とに分け、それぞれを「上」「下」とした。第二巻では、結果的に冷泉家時雨亭文庫に蔵されているテキストを多く扱うことになったが、それは結果としてそうなったということである。
「意味」に「語義(word meaning)」と「文意(contextual
meaning)」とがあるように、「具体性」ということは言語にとって重要なことがらといえよう。一つのテキストによって言語分析をしようとした時、目にしている言語現象が、どの程度の一般性をもつのかということの判断をしなければならない。しかし、その一つのテキストをみているだけでは、「一般性」と「個(別)性」との見極めが難しい。
かつて「違式詿違條令」を採り上げて明治期の日本語について考えたことがあった。その後、表紙に「違式詿違條例」と打ち付け書きされている写本を入手した。この写本では「第十七條 人家稠密ノ場所ニ於テ妄リニ火技ヲ 玩 ブ者」のように、ところどころに振仮名が施されているが、それは必ずしも多くはない。また最近になって、『[山形縣]違式詿違條例圖解 完』という題名の一冊を入手した(右図)。「圖解」であるので、ただみていても興味深いが、第十條には「 乗馬 してみだりにはしらせ又は馬車を 疾驅 して 行人 を 觸倒 するもの但し 殺傷 するは 此 かぎりにあらず」とある。今江五郎解『[御布令]違式詿違圖解』には「 乗馬 (左ムマノリ)して 猥 (左ワケナシ)りに 驅馳 (左カケハシラ)し 又 は 馬車 を 疾驅 (左ハシラ)して 行人 (左ミチユクヒト)を 觸倒 (左ユキアタリコカ)す者但シ 殺傷 (コロシキズツケ)する 者 はこの 此限 (左コノホカノツミデアルゾ)にあらず」とある。この條の対照だけでもさまざまなことを考える緒がありそうで、今後も「二つのテキスト」を注視し続けていきたい。 (今野真二)
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