■大坂西町奉行 久須美祐明日記 | |||||||
天保改革期の大坂町奉行 | |||||||
清文堂史料叢書第133刊 | |||||||
藪田 貫編 | |||||||
天保十四年、七三歳の高齢をもって大坂町奉行に栄転した久須美祐明の『浪華日記』を翻刻。見出し・頭注を付して、利用者の便をはかるとともに、絵図・書簡集等の付録を収録する。 |
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■本書の構成 口絵/凡例 浪華日記 乾・坤 天保十四年五月〜十二月 天保十五年正月〜十月 付 録 往復書簡「難波の雁」(抄)/大坂西町奉行所図/天保期の大坂市中図/近世後期の大坂城図/天保十五年年頭在坂武士一覧表(浪華御役録) 解 題 久須美祐明と祐雋 ―父と子の大坂町奉行― …………藪田 貫 大坂町奉行の見た天保改革…………片山早紀 ◎あとがき/人名索引 藪田 貫……1948年大阪府生まれ 関西大学名誉教授・兵庫県立博物館館長 片山早紀(解題執筆・編集協力)……1982年生まれ 大阪大学大学院後期博士課程単位取得退学 現在、摂津市史編さん嘱託員 著者の関連書籍 藪田 貫編著 大坂西町奉行 新見正路日記 藪田 貫著 新版国訴と百姓一揆の研究 藪田 貫著 近世大坂地域の史的研究 藪田 貫編 近世の畿内と西国 藪田 貫編 天保上知令騒動記 寺木伸明・藪田 貫編 近世大坂と被差別民社会 |
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ISBN978-4-7924-1060-5 C3021 (2016.10) A5判 上製本 口絵4頁・本文480頁 本体13,500円 | |||||||
刊行にあたって |
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二〇一〇年に出た『大坂西町奉行新見正路日記』に次ぐ、二冊目の大坂町奉行所日記の公刊を前にして感慨深いものがある。町奉行日記の刊行という作業を、よく継続してきたなという思いと、三冊目はもうないだろうな、という思いが交差しているからである。 わたしの「武士の町」大坂研究が、一九九七年に始まったことは、『大坂西町奉行新見正路日記』でも触れている。最初の調査(一九九八年)からこの度の出版まで、実に十八年の歳月が流れている。長かったーというのが実感である。その長さは、もし三冊目を出すとすれば、その時には寿命が残っているだろうか、という思いを強くさせる。 『新見正路日記』のあとがきに書いたと同様に『久須美祐明日記』もまた、古文書解読の有志たちとの共同作業として実を結んだ。その場所は、かつて所属していた関西大学文学部の古文書実習室で、月に一度、集まるのが慣例となった。日記読了後は、書簡集『難波の雁』も手掛け、本書の形が徐々に出来上がって行った。有志で読んだ原稿は、有志の中で筆耕者を決め、原稿用紙に鉛筆で黒々と書き溜められていった。その後、アルバイトに頼んだ学部生・大学院修了生が代替わりしながら、コツコツと入力してくれた。その意味でも複数の人々の協力を得て、出版にこぎつけることができたのである。 有志の中でひとり、若手の研究者がいる。片山早紀さんである。参加した当時は大阪大学大学院に属し、近世大坂の市制について研究していたので、専門家としての助力を依頼した。もうひとつは、本書には知恵を絞って頭注と小見出し、巻末に付録と索引を付けることにしたが、その基礎的作業を担ってもらったのである。パソコン世代らしく詳細な事項が、エクセルデーターとして提供され、作業の順調な進捗を支えてくれた。それは、『新見正路日記』にない斬新さを『久須美祐明日記』にもたらしてくれた。さらにもう一点、本書の読者のために、『浪華日記』に主題として書かれている内容を、天保改革最中に書かれたという時代状況を考慮して紹介するという専門研究者としての課題も背負ってもらった。それによって、久須美祐明・祐雋父子と大坂に関するわたしの拙い解題では及ばない分野がカバーされることとなった。 ところで、大坂町奉行で久須美といえば、久須美祐雋である。戦前、いちはやく随筆「浪花の風」が『近古文芸温知叢書』に収められ、その後、『日本随筆大成』第三期にも収録されたことで、ひろくその名を知られることとなった。その中に「浪花の地は、日本国中船路の枢要にして、財物輻輳の地なり、故に世俗の諺にも、大坂は日本国中の賄所とも云、また台所なりといへり」という一節があり、「天下の台所」大坂という言説とともに、随筆「浪花の風」が知られるようになったと推測される。 それに対しわたしは、父であった祐明を取り上げる。天保十四年(一八四三)三月、七三歳の高齢を以て大坂町奉行に栄転した。筆まめさは、『浪華日記』に朝昼夜三食の献立を記録するという稀有な痕跡を残した。 祐明の末子でのちに沼津兵学校三等教授を勤めた祐利の幼名は七十五郎と言い、その名の通り、父祐明七五歳の時の子どもである。七五歳に祐明は江戸に戻り、勘定奉行となっているので祐利の出生地は江戸だろう。それにしても七五歳になって子を儲けるとはすごい。人並み外れている。そんな役人らしからぬ素顔が日記のいたるところに見え、読者を惹きつけるが、とりわけ江戸人として見た大坂批評がことのほか面白い。同時期に大坂に代官としていた竹垣直道が「日記」を残している(東京大学史料編纂所蔵)という偶然も手伝い、さきの中公新書『武士の町大坂―「天下の台所」の侍たち―』(二〇一〇年)を書く際の基本資料となったが、『浪華日記』は、うたがいなく、小説家の関心を呼ぶ素材でもある。いつの日か文才のある人が、祐明をモデルに小説を書かれんことを秘かに願う。 |
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(藪田 貫) | |||||||
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |