尾張藩社会の総合研究 《第七篇》
岸野俊彦編


『愛知県史』の成果を盛り込み、三河国との比較も視野に入れながら、「藩」研究を深めるシリーズ第7冊。


■本書の構成


序 章 七篇編纂の意義と課題…………岸野俊彦

  はじめに
  第一節 六篇から七篇への「尾張藩社会」研究の進展
  第二節 本書収録論文の構成と意義
  おわりに


  第一部 尾張藩社会の文化・宗教

第一章 馬琴・一九・北斎と尾張藩社会…………岸野俊彦
  はじめに
  第一節 狂歌を通じた江戸と名古屋の交流
  第二節 『羈旅漫録』にみる馬琴と名古屋の人々
  第三節 一九の文化二年名古屋訪問
  第四節 北斎の名古屋訪問と一九の再訪問
  第五節 北斎第二次訪問と高力猿猴庵
  おわりに


第二章 尾張藩主の「御延気」と江戸の植木屋…………白根孝胤

  はじめに
  第一節 九代藩主宗睦の「御延気」と植木屋
  第二節 十代藩主斉朝の御成と園芸植物
  第三節 十一代藩主斉温の「名所」めぐりと江戸の植木屋
  おわりに


第三章 徳川宗勝の茶の湯と松本見休…………水野荘平

  はじめに
  第一節 徳川宗勝の代の尾張藩の茶の湯に関係する人物について
  第二節 徳川宗勝と松本見休をめぐる茶の湯
  おわりに

第四章 大洞院における神職離檀一件について…………山端信祐

  はじめに
  第一節 大洞院天宮神宮について
  第二節 離檀騒動一件について
  おわりに

第五章 堀田理右衛門知之の経営と学問形成 
―特に神道・和歌を中心に― …………坪内淳仁
  はじめに
  第一節 津島天王領向島と堀田理右衛門家の家系
  第二節 堀田理右衛門家の経営
  第三節 知之の学問形成と蔵書
  おわりに

  第二部 尾張藩社会の政治・制度

第六章 名古屋城下成瀬・志水両蔵屋敷地子町屋と町政…………松田憲治

  はじめに
  第一節 成瀬・志水両蔵屋敷地子町屋の概要
  第二節 成瀬・志水家による蔵屋敷町屋の支配
  第三節 町奉行支配と両蔵屋敷
  第四節 両蔵屋敷という町
  おわりにに


第七章 海東郡藤高新田の所有権をめぐる争論について…………種田祐司
  はじめに
  第一節 伊藤家が藤高新田を入手するまで
  第二節 仁和寺、弥市跡目の代理として新田返還を要求
  第三節 弥市跡目、伊藤家に押しかけ新田返還を要求
  第四節 江戸市谷役所で訴訟が始まる
  第五節 川田久保役所、忠左衛門に新田売却を命ずる
  第六節 重兵衛、喜代太郎と忠左衛門を訴える
  第七節 重兵衛、工作を再開する
  第八節 その後の動き
  おわりに


第八章 文化期の尾張藩政と巨大絵図
…………鈴木 雅
  はじめに
  第一節 庄内川上流域の巨大絵図
  第二節 文化期の尾張藩政
  おわりに


第九章 幕末禁裏御料増献をめぐる徳川慶勝 
―文久三年上半期を中心に― …………伊藤乃玄
  はじめに
  第一節 禁裏御料一五万俵増献をめぐる徳川慶勝と高松保実
  第二節 禁裏御料増献をめぐる慶勝と安藤石見介・松尾相永の動向
  おわりに


第十章 運上奉行について 
―尾張藩に一時的に設置された役所の役割― …………杉本精宏
  はじめに
  第一節 運上奉行達の経歴
  第二節 鷹匠組織の解体と再編
  第三節 鷹匠組織解体の理由
  第四節 運上奉行支配下の組織
  第五節 運上奉行支配下の餌指の役割
  第六節 運上奉行支配下の鳥見の役割
  おわりに

 
  第三部 尾張藩社会の広域展開

第十一章 竹腰氏と今尾 
―付家老の「城下町」― …………筧真理子
  はじめに
  第一節 元禄以前の今尾村
  第二節 竹腰氏居館の建設
  第三節 正武による大火後の復興・振興策
  第四節 六代から八代の竹腰氏と今尾
  第五節 「城下」今尾と九代竹腰正富
  おわりに


第十二章 道中記からみた宮・桑名間の交通について
…………石田泰弘
  はじめに
  第一節 尾張地域の交通路
  第二節 東国地域の道中記にみる旅程
  第三節 道中記が語る佐屋廻りの実態
  おわりに


第十三章 元治元年の徳川慶勝上洛と宿駅・渡船場
…………宮川充史
  はじめに
  第一節 慶勝上洛の対応と延期
  第二節 慶勝の上洛再開と規模
  第三節 上洛に関わる費用
  おわりに


第十四章 預所代官千村平右衛門家の預所支配 
―矢彦神社祭礼と御朱印改め― …………鈴木重喜
  はじめに
  第一節 千村家預所小野村と矢彦神社および神光寺について
  第二節 矢彦神社の神事祭礼について
  第三節 矢彦神社の御朱印の取扱について
  おわりに





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岸野俊彦編・『膝栗毛』文芸と尾張藩社会



ISBN978-4-7924-1456-6 C3321 (2020.2) A5判 上製本 406頁 本体9,200円
 『尾張藩社会の総合研究』は、本書で七篇となる。六篇の刊行が二〇一五年九月で、この間『愛知県史』が資料編「近世9維新」、「通史編近世1」、「通史編近世2」と刊行が続き、三十年にわたる『愛知県史』近世の調査と史料編・通史編の刊行が完了した。本書執筆者の多くが、執筆にも関わっていた。

 本書は「尾張藩社会」ということで「尾張藩」を中心にしているが、「愛知県」は、「尾張国」と「三河国」から成立している。近世には尾張藩が一円支配した「尾張国」と、多くの藩領、旗本領、幕府領、寺社領という多領主が支配した「非領国」「三河国」という個性の全く異なった地域である。これらを同時に研究し、「通史編」とする『愛知県史』は、困難ではあったが、多くの発見もあった。本書は、県史執筆者が県史で書き残したことや、さらに展開したもの、県史執筆者以外が独自の視点で執筆したものなど、様々な論文を収録したものであり、今後の研究の新しい展開をめざしたものである。

     *     *     *

 六篇の「あとがき」は、二〇一五年四月四日付で書いた。定年退職の一年前である。定年となり、大学の研究室の書籍・史料の整理と引越をすることになった。この作業は大変なエネルギーを要した。それより大変だったのは、大幅な移動のため、原稿を書いている途中に参照したい史料や書籍、論文が見つからないことが多々あったことである。新たな研究環境・体制を作るのは、研究そのものより大変な事だと実感した。

 「尾張藩社会」研究会も、大学の私の研究室の隣の会議室を使っていた。これも移動することになり、愛知県岩倉市の生涯学習センターの会議室を使うことにした。会場変更の結果、利便性が大幅に改善されることになった。私たちの研究会は、会則も会費もなく、同好者が自由に集まり、議論し、居酒屋で雑談するという会である。便利になったので、気が向いたら自由に参加していただきたいと思う。

 居酒屋で雑談しながら、ふと、思い出したことがある。

 四十年以上前、私が短大に就職が決まった時である。その短大は当時愛知県下で最も非民主的で有名であった。指導教官であった網野善彦さんが「どんな困難な職場でも、自分の中に、燃えるものがあれば、必ず研究はできますよ」と私を励ました。小さな短大を民主化することであっても、実は、法律・制度の背後にある、生々しい全国的な政治・社会関係の中でのせめぎ合いと、関わることなしには前進しないことが、よく理解できた。

 網野さんにいわれた「燃えるもの」は、研究史から学んだものも多いが、現実生活の中で、闘いながら、学び・発見したものが多い。非民主的で困難な職場だったからこそ、古文書の中から自分らしい発見をし、研究を続けられたようにも思う。

 同じ頃、山口啓二さんに「論文というのはネ、完結する論文はよくないですヨ、いい論文は、必ず新しい芽が二つ三つ出てるものですヨ」と云われたことがある。新しい「芽」を掘り進めていけば、また「芽」が出て、いつの間にか大きな鉱脈に向かい合うことになる。私たちは、今、大きな鉱脈と格闘を始め、その途中にいる。多くの知恵と力を集めて猶、掘り進めなければならないと思う。
 (岸野俊彦)  

※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。