城下町警察日記
清文堂史料叢書第111刊
紀州藩牢番頭家文書編纂会編



紀州藩の牢番頭家に遺された元禄12年からおよそ150年にわたる御用記録。城下町和歌山の多様な警察的機能を担った岡島皮田村頭組織の活動の具体相と、18世紀前半の社会的状況が詳細につづられる稀な史料である。部落史はもとより、藩政史、身分的周縁論、都市史、芸能史など多くの分野での活用が期待される。

紀州藩牢番頭家文書編纂会委員
代 表 林 紀昭(関西学院大学教授)
副代表 寺木伸明(桃山学院大学教授)
     藤本清二郎(和歌山大学教授)
顧 問 三尾 功(和歌山市立博物館名誉館長)
委 員 市川訓敏(関西大学教授)
     小笠原正仁(社団法人 和歌山人権研究所研究員)
     高橋克伸(和歌山市立博物館主任学芸員)
     藤井寿一(社団法人 和歌山人権研究所研究員)
     前田正明(和歌山県立博物館学芸員)
     森 俊彦(前和歌山市同和委員会委員)
     安竹貴彦(大阪市立大学教授)
     山本敏明(和歌山市立東中学校教諭)
     上平けい士(社団法人 和歌山人権研究所事務局長)
     辻 健二(社団法人 和歌山人権研究所事務局次長)





 編者の関連書籍
 紀州藩牢番頭家文書編纂会編 城下町牢番頭仲間の生活

 藤本清二郎著 城下町世界の生活史

 藤本清二郎著 近世賤民制と地域社会

 藤本清二郎編 和泉国かわた村支配文書



ISBN4-7924-0531-9 (2003.5) A5 判 上製本 850頁 本体15,000円


■本書の構成
 一 御用覚日記(元禄十二年〜同十五年)
 二 万御用控帳(元禄十五年〜宝永三年)
 三 御用控之帳(宝永六年〜正徳二年)
 四 御用控之帳(正徳二年〜同五年)
 五 御用控之帳(正徳五年〜享保二年)
 六 御用覚帳(享保二年〜同四年)
 七 万御用覚帳(享保六年〜同十八年)
 八 御用之控帳(享保十九年〜元文二年)
 九 御用控之帳(元文二年〜同四年)
 十 御用控之帳(元文四年〜寛保三年)
十一 御用之控帳(寛延二年〜同四年)
十二 町方御用留(文政三年)
十三 諸御用并ニ願書等控帳(文政十三年〜天保九年)
十四 御番所様・公事方様諸御用留帳(弘化五年〜嘉永元年)
『城下町警察日記』の時代・社会研究の到達点―解説・解題にかえて―……藤本清二郎


むずむずする資料
大阪市立大学名誉教授 牧 英正
 題名の意味は後で御理解いただけよう。これは紀州藩の牢番頭家のほぼ一五〇年にわたる御用記録である。
 元文二年、牢番頭は奉行所から巾着切のさばきについて尋ねられた。頭たちは直ちに前例五件を挙げ、巾着切は「私共支配ニ仕候義ニ御座候ハヽ、古方(法)之通り衣類をはぎ、其上所持之物不残私共被下候…」と申上げたところ、古法之通にするようにと指示があり、科人の鼻を削ぎ国境まで護送し、裸にして追放している。その翌年、牢番頭は召捕って死罪となった科人の脇差・衣服・銀子等所持品を下付されたいと願い出た。奉行所は古例の提出を命じた。頭たちはすぐに先例五件を挙げ、願いはかなえられた。牢番頭たちは彼等が関わったさまざまな事柄を記録し、前例を踏襲し、下問に答え、あるいは既得権を守ったのである。
 牢番頭は、牢番の外、城の掃除、行刑(伊勢松坂までも出張する)等を役としたが、命をうけて捕物、見廻り、施行等を行っている。記録は役のほか牢番株、名跡相続、芝居興行の取分、喧嘩、ま男の処理などさまざまな市井の雑事に及んでいる。
 召捕には大がかりなものもある。元文二年、吉田兵衛門の召捕を命じられた牢番頭平八ら二名は人足四人を帯同して大坂長町に宿を取り、所縁の大坂長吏に協力を依頼、情報と助けを得て攝州勝王(尾)寺にひそむ兵衛門をつきとめ、鳶田長吏、近郷の番太五〇余名をもって取り囲み召捕った。奉行から「天下不(無)双之大手柄」と絶賛された。寛保三年には破牢した黒田数馬を京都・大津まで追跡している。縁組等により結ばれたのか、政治的組織とは別に支配を越えたネットワークが見られる。
 目についたことをほんの少し書いてみる。正徳二年、非人番仁兵衛は「長吏手下ニ付候ヘハ、さがりにて有之候、自分と頭ニ成、郷中ノ番太共我手下ニ付ケ、長吏下をぬけ可申」と策動したが成功しなかった。嘉永元年、牢番頭たちは、八年前の御用のうち召捕と隠密内聞を停止され、その後無宿と皮田の召捕のみを認められたが在家有宿は停止のままである。頭たちの言い分は、盗賊は盗品の捌口から露見し、何事によらず縺事は内聞によって召捕るものである。自分たちは天正年中以来血脈を以て相続し御用を勤めてきたが、このように減役されては「役威」にかかわり「不都合不弁理」となるから旧に復してほしいと願い出た。後が欠けているので、どうなったか結果は不明である。
 むずむずする資料と言ったのは、読んでいて、もっと調べてみたい、確かめたい、整理したい、考えたい等の衝動に駆られるという意味である。まことに中身の濃い記録である。


論点の鉱脈
東京大学大学院人文社会系研究科教授 吉田伸之
 城下町の社会=空間の特徴は、多様な身分集団が、分節的に共在する構造物=分節構造をなす点にあると考えている。その中で、かわたや非人など、賤民層が城下町の内外でどのように集団化を遂げあるいは個別に集住するか、またそうした集住域がいかに位置づけられるかは、城下町の性格を考える上で避けて通れない重要な問題である。しかし、主として素材の点から、これはなかなか容易に取り組める課題ではないように筆者には思われた。こうした中で、最近、塚田孝氏による大坂渡辺村に関する研究(塚田『近世の都市社会史』青木書店、一九九六)に学んで、城下町に隣接する賤民集落を「皮多町村(まちむら)」という範疇で理解しようと試みた(「城下町の構造と展開」『都市社会史』山川出版社、二〇〇一)。これは、それ自体が複数の町共同体によって構成される小都市域であるにもかかわらず、行政的には村として把握された一個の惣町であり、その内部に「都市と農村」を包摂すると同時に、広義には城下町の一構成要素でもある、という特質から賤民集落を捉えようという方法的仮説である。
 今回、城下町和歌山に隣接する岡島皮田村の頭仲間が残した「御用之控帳」という史料が翻刻されるということを知り、その紹介文を書くために、厖大な分量の校正ゲラをわざわざ送っていただいた。正直に言って、当初あまり期待したわけではないが、実際にこのゲラを見てその内容のおもしろさに大変驚き、すばらしい「論点の鉱脈」に出会えたという、小躍りしたいような気分になった。ここには、城下町和歌山の多様な警察的機能を担う、岡島皮田村頭組織の活動の具体相と、かれらの目を通して活写される一八世紀前半の城下町・和歌山の社会状況が詳細に記されている。と同時に、「皮多町村」に関する恰好の検討素材を新たに得たように感ずる。
 本書はこうして、いわゆる部落史の専門家にとってだけでなく、藩政史、身分的周縁論、都市史、芸能史、文化史など、近世史の多くの分野にとって裨益するところ大となるのは確実である。貴重な本史料を翻刻・紹介する労をとられた編纂会メンバーに敬意を表するとともに、近世社会を考える上で、こうしたかけがえのない基礎史料が多くの人々に共有され、と同時に共同で深く検討されてゆくことを願わずにはいられない。そして筆者も、本書の熱心な読者の一画に加わらせていただきたいと思う。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。