■創作した手紙『万の文反古』(よろずのふみほうぐ) | |||||
西鶴を楽しむB | |||||
谷脇理史著 |
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西鶴が創造した手紙十七通 | |||||
早稲田大学文学部教授 谷脇理史 |
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現存している西鶴自身の手紙は、写真や写しのみで伝わるものを含めてもわずか七、八通にすぎない。が、さいわいなことに西鶴は、その創作した手紙十七通を残している。元禄九年(一六九六年)正月に刊行された第四遺稿集『万の文反古』がすなわちそれである。 『万の文反古』は、一通の手紙を一章とし、それぞれに独立した手紙を十七章に並列するが、それらは「万の」と冠されているように、手紙の書き手、その置かれた状況が種々さまざまに虚構されて書かれており、そこには変化に富んだ世界が手紙という趣向の中で展開していく。 何とか馴染みの男をつなぎとめようとする遊女、故郷を出奔して京へ来たものの今絶望的な状況となっている男、江戸で一旗あげようとするもののどうにもならず故郷の兄に帰郷の旅費をねだる男、冷たかった故郷の親類に恨み言や嫌みをいう男、倒産寸前になっても何とか大晦日をしのぐようにと息子に指示する父親、といった人間が次々に登場、それぞれの状況の中で受け取り手(と同時に我々読者)の心を動かすべく訴えかけて来る。 一方、こんな緊迫した状況の人たちとは逆に、もててもいないのにいい気になって自分のもてぶりを報ずるとぼけた俗僧や、勘当された後でその尻ぬぐいを依頼するどら息子などもおり、身近なところで起こった奇談・珍談を面白く、時に深刻なものとして報ずる人たちもある。 さらに、それぞれの手紙は、常套的な挨拶から始まるものがあるかと思えば、挨拶など抜きで切迫した状況をただちに告げるものもあり、飛脚便、荷物とともに送る手紙、人に託す手紙、代筆の手紙といった、さまざまな手紙のあり方までも導入して、一通ごとに変化をつけ、工夫がこらされているのである。 といった具合に、その手紙の書き手の状況、その内容の書き方はさまざま、まさに変化に富む。おそらく西鶴は、その一通一通を書く時、その書き手の立場に身を置き、受け取り手(読者)の反応を予想しつつ、楽しんで手紙を創作していたにちがいない。 西鶴は、どんな手紙を創作し、どんな世界をつくりだしたのか。本書を通して、西鶴が創作した手紙の多様な面白さを楽しんでいただければ幸いである。 西鶴作品のおかしさ、面白さを追求する好評シリーズ @谷脇理史著・『好色一代女』の面白さ・可笑しさ A谷脇理史著・経済小説の原点『日本永代蔵』 C広嶋進著・大晦日を笑う『世間胸算用』 別巻@谷脇理史著・『日本永代蔵』成立論談義 DE杉本好伸著・日本推理小説の源流『本朝桜陰比事』 別巻A谷脇理史・広嶋進編著 新視点による西鶴への誘い |
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ISBN4-7924-1385-0 (2004.7) 四六判 上製本 332頁 本体2800円 | |||||
■本書の構成 一 ある遊女の手紙 二 故郷は遠くにありて 三 江戸下りの成功と失敗 四 奇談・珍談の報告 五 とぼけた堕落僧二人 六 復讐と敵討ち 七 どら息子二人 八 商人たちのありよう 九 遺稿集ゆえの問題 |
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挑発するテキスト『万の文反古』―谷脇西鶴の原点 | |||||
青山学院大学文学部教授 篠原 進 |
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鋭い読みでA・B二系列の時差を明示し、学界に衝撃を与えた「「万の文反古」の二系列」(一九六四年)。二四歳でその論文を発表して以来四○年間、常に西鶴研究の最前線を疾走してきた谷脇理史氏が「西鶴を楽しむ」シリーズを大阪の清文堂出版から刊行し、話題を呼んでいる。 第一回「『好色一代女』の面白さ・可笑しさ」、第二回「経済小説の原点『日本永代蔵』」、そして今回完成した「創作した手紙『万の文反古』」だ。その特質を一言で述べれば、西鶴の本質を根底から問い直し、今日的な読みにも耐える知的仕掛けに満ちた文学として、その魅力を再評価したことにある。 西鶴の浮世草子は不完全なジグソーパズルに似ている。ピースが当初から一、二個欠けているため、完璧に仕上げたつもりでも空白部分が必ず残るからだ。読者はそれを想像力で埋めなければならない。読者の参与性が高い「冷たいメディア」(M・マクルーハン)としての西鶴。その典型が書簡体文芸の最高傑作と評すべき『万の文反古』にある。 さながら推理小説のごとく、小出しに提示される断片的な情報。急迫した心情を客に書き送る遊女。客の忘れた財布を横領して生き地獄を味わう僧侶。一七通の手紙が照射する、悔恨に満ちた一七通りの人生。宮本輝の書簡体小説をもじって言えば、モノトーンの『錦』。 どの文面にも必ず「裏」がある。たとえば、京都での失敗者が仙台の元妻に再婚を促す手紙。自分の住所まで記し、彼がわざわざ発信したのはなぜか。谷脇氏はそこに男の未練を裏読みし、「十八年後の女がどう変貌するものかという認識がない」と思わず実感を洩らす。ミルフィーユのように多層的な西鶴の表現構造。それが熟練した時計職人のごとき手際で、あざやかに解析されて行くのだ。言葉の層をていねいに剥ぎながら秘匿された意味を的確に解読する、谷脇西鶴のエッセンスが本書に凝縮されていると言っても過言ではないだろう。 なるほど、成立論を抜きにして『文反古』を語ることはできない。ただ、それにこだわるあまり、立論に都合の良い話ばかりが取り上げられるという憾みもあった。本書は最終章に「遺稿集ゆえの問題」と一括することで成立論の呪縛を解き放ち、A・B併せた総体としての『文反古』の魅力を縦横に語るのだ。一読を薦めたい。 |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |